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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編12章 「 聖霊のカリキュラム」より
12章12-8 愛を引き寄せる愛の魅力
ACIM-Text- chapter12-8-1
あなたが愛だけを望むのなら、他には何も見ないでしょう。
証明となるはずのものに、つじつまの合わないところがあるようにあなたが知覚するのは、単に自分で矛盾したものを招来しているということの反映に過ぎません。
自分の心を見て、そこに反対するものを受け入れています。
それを、そこにあるものとして捜していたからです。
しかし、だからといって、反対するものの証明などが真実だとは信じてはなりません。
というのも、そうしたものはただあなたが実在について決めたことを立証するだけであり、いわば自分で与えたメッセージを戻してくれるからです。
愛もまた、愛の使者たちによって気づくことになります。
もし、あなたが愛を明らかに現すなら、その使者たちがあなたのもとに来てくれるというのも、あなたが招いたからです。
あなたは本当に、神の子を殺すことができると信じているのでしょうか。
父は神の子を安全に自分のうちにかくまい、あなたの破壊的な思いなどから遠く離れたところにおいてくれています。
しかし、あなたはそのような思いのために父ばかりか神の子もわからなくなっています。
実相の世界を毎日、一時間ごと、いや一分ごとに攻撃しておきながら、自分にはそれを見ることができないのを意外に思っています。
もし、あなたが愛を求めているとしても、それはその愛を攻撃する為だとすれば、絶対に愛を見出すことはないでしょう。
愛とは分かち合うことだとすれば、愛そのものを通してそれを見つける以外にどうやって見つけられるでしょうか。
愛を捧げるとあなたに愛がわいてきます。
愛というものはそれそのものに引き付けられるからです。
ですが、攻撃しようとすると隠れたままになります。
なぜなら愛はただ平安のうちに生きることができるだけだからです。
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神の子は父と同じように安全です。
神の子は父に護られていると分かっており、恐れるはずがないからです。
父の愛が申し分のない平安のうちに神の子をおいてくれており、何も必要としないので何も頼んだりすることもありません。
けれども、神の子は、あなたの真の自己でありながら、あなたからは遠い存在です。
それは、あなたがその神の子を攻撃することを選んだので、あなたの前から父の中へと姿を消したからです。
その神の子が変わったのではなくて、あなたが変わったということです。
分離した心とそれがしたことは全て、父によって創造されたものではなく、父の叡知のうちに生存することはできないのです。
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あなたが、真実でないものを肉眼で見えるようにした時、真実であるものが自分に見えなくなってしまったのです。
けれども、それそのものが見えなくなっているはずはありません。
聖霊は申し分のない明瞭さでそれを見ているからです。
あなたに見えないというのは何か他のものに目を向けているからです。
さらに、何が実在なのかをあなたが決めるのではないのと同じで、何が目に見えて何が見えないのかをあなたが決めるのではありません。
見ることができるものとは 聖霊が見ているもののことです。
実在を定義するのは神がすることなので、あなたがすることではありません。
神はそれを創造したので、それが何であるか分かっています。
あなたは、分かっていたのに忘れており、神があなたに思い出す手段を与えてくれていなかったなら、あなた自身それを忘れ去る運命になっていたことでしょう。
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父の愛のお蔭で、あなたは決して神を忘れることなど有り得ません。
誰一人、神自らその人の記憶に納められたものを忘れることができるものはいないからです。
それを否定できても、失うことはできません。
声はあなたが尋ねる質問に一つ残らず答え、心眼はあなたの見るあらゆるものについて知覚の仕方を直してくれます。
というのも、あなたが見えなくしているものが唯一の真理であり、聞き入れていないことが唯一の答えだからです。
神は、あなたをあなた自身と再び一つにし、あなたが悩んでいるときに見捨てるようなことはありませんでした。
あなたは、ただその神を待っているのに、それが分かってはいません。
けれども、その神の思い出はあなたの心の中に輝いており、完全に忘れられてしまうことなど有り得ません。
それは未来のことではなく、同様に過ぎ去ったことでもない、常に永遠なるものだからです。
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あなたは、こうした思い出を求めさえすればいいのです。
そうすれば思い出せます。
けれども、神の思い出をすっかり忘れてしまい、そのままにしておきたいと望んでいる心の中では、その思い出が輝くことなどできません。
神の思い出は、それを思い出すことを選び、実在を制御したいという気違いじみた欲望を放棄した心の中にのみ、よみがえりはじめるはずだからです。
自分自身を制御することさえできない者は、宇宙を制御するという野望などまず抱くべきではありません。
ただ自分でそれを何だと思っていたかを見てみて、思い違いしていたということを喜びなさい。
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神の子よ、実在しないもので満足してなりません。
本当でないものは見ることなどできないし、それには何の価値もありません。
神は、神の子に価値の無いものを差し伸べたりするはずがないばかりか、神の子はそれを受け取ることもできません。
あなたは自ら神を見捨てたと思ったその瞬間、贖われたのです。
自分で作り出したものは、どれも全て実在したこと無く目にも見えません。
聖霊はそのようなものを見ないからです。
けれども、 聖霊が確かに見ているものをあなたも眺めることになり、その 聖霊の心眼を通して、あなたが知覚していることは癒されます。
あなたは、この世界が保っている唯一の真理を目に見えなくしています。
実在しないものを重んじ、実在しないものを捜し求めてきました。
実在しないものを自分にとって真実だとすることなので、そのようなものを見えるとしています。
しかし、そこにはありません。
そしてあなたが自分自身に見えるようにしているもののために、 キリストがあなたの目には見えないのです。
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けれどもあなたが、真理とそれに対する自分の自覚との間にどれほどの隔たりを挿入したとしても、それは問題ではありません。
神の子の心眼は分かち合われているので神の子を見ることはできます。
聖霊はその神の子を見つめ、あなたのなかにそれ以外のものは何も見ないのです。
あなたの目に見えないものが、 聖霊から見れば完全であり、そうしたものをみな包含しています。
聖霊は父を忘れていないので、あなたを覚えています。
あなたは本当でないものを見つめて、絶望してしまいました。
しかし、本当でないものを求めておいて、他に何を見出せるでしょうか。
本当でない世界は絶望をもたらすもとであることは確かです。
そのようなものは絶対有り得ないからです。
そして、神の本質を共に分かち合うものは、実在なしで満足することなど決してできません。
神があなたに与えられなかったものがあなたを支配することはなく、愛に対する愛の魅力は今なお圧倒的です。
それというのも、愛の役目は全てのものを愛そのものと一つに結び、そうした完全さを拡張することによって、全てのものを一緒にしておくことだからです。
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実相の世界は、神からあなたに与えられたものであり、それはあなたが自分で作って見ている世界と、愛をこめて交換するために与えられました。
その 実相の世界をただ キリストの手から受取り、よく見てみなさい。
それの真実の姿を眺めるとは、完全に知覚することであり、それが他のものをことごとく目に見えなくします。
そして、その 実相の世界を眺めるにつれて、いつもそのままだったということを思い出すでしょう。
あなたはついに本当に見たことになるので、実在しない状態は目に見えなくなってしまいます。
購われた知覚は容易に叡知へと変わります。
知覚するときにだけ間違う可能性があるのであり、知覚の対象となるものがあったためしはないからです。
知覚は正されたのでその役を叡知に譲り、その叡知が永遠に唯一の実在そのものです。
贖罪はただ決して失われてなどいないものへと帰る方法に過ぎません。
あなたの父が神の子を愛するのを止めてしまったはずなどないのです。
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