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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編16章「幻想を赦す」より
16章16-6実相の世界への橋
ACIM-Text- chapter16-6-1
特別な関係を捜そうとするのは、あなたが自分自身を神とではなくて自我と等しいものと考えていることを示しています。
なぜなら、特別な関係は自我にのみ価値があるからです。
自我にとっては、特別な価値があるとはいえない関係には何の意義もありません。
愛は全て特別だと自我は知覚するからです。
しかし、こんなことは自然だとは言えません。
それは神と神の子との関係らしくないし、それらしいとはいえないような関係は全部不自然であるに違いありません。
神は愛を自分の望みどおりに創造し、そのまま与えてくれたからです。
愛には創造主が自らの意志で定義した意義があるだけです。
別の定義をしておいて、愛を理解しようとしても無理でしょう。
ACIM-Text- chapter16-6-2
愛は自由です。
愛を捜そうとして自分自身を束縛される立場におけば、自分をそれから分離することになります。
神の愛のために、分離することで一つに結ばれようとしたり、束縛された中で自由を求めたりしない方がいいです。
自ら解き放つがごとくに自分も自由にしてもらえます。
このことを忘れないようにしなさい。
そうしなければ、愛はあなたを見つけて慰めることができなくなってしまいます。
ACIM-Text- chapter16-6-3
聖霊があなたに手助けを頼む方法は一つありますが、これはもしあなたが聖霊の助けを受け入れるとすればの話です。
聖霊にとって聖なる瞬間は、あなたを特別な関係に誘き寄せる手段となる罪悪感の魅力から護るのに、最も役に立つ手立てと言えます。
あなたはその魅力が本当は特別な関係に誘き寄せているとは認識していません。
それは、自我がそこに自由を見いだせるとあなたに教えたからです。
しかし、特別な関係をよく見れば見るほど、その関係はきっと罪悪感を抱かせ、その結果拘束されているように感じさせるに違ないということが明らかになってきます。
ACIM-Text- chapter16-6-4
特別な関係というものは身体がなければ全く無意味です。
もし、あなたがそうした関係を大事にすれば、身体も大事だと思うに違いありません。
そして、大事にするものを離そうとはしないでしょう。
特別な関係は、あなたを身体というものに制限しようとし、また、あなたの知覚を制限して他の人たちも身体だと見るようにさせる手立てです。
偉大なる光線を見ることができさえすれば、それが特別な関係には全く価値がないということを確かにしてくれるでしょう。
そうした光線を見ているうちに身体の重要性は失われ、その結果、身体は消え失せてしまうからです。
したがって、それらを見ようとしてあれこれつぎ込んでいたものを全部引っ込めるでしょう。
ACIM-Text- chapter16-6-5
あなたは、自分にとって価値があると思える世界を見るのです。
実相の世界につながる橋のこちら側の世界では、それぞれが別々の身体をもっており、お互いが別々に結合して一緒になったり、失うことで結ばれたりしようとしています。
二人の人が一体となろうとするときには、自分自身の重要性を減らそうと試みているようなものです。
別々に結合すると全世界を除外視するので、どちらも自分の持つ力を否定することになるでしょう。
自分達の世界に取り入れるより、かなり多くのものを、外側に残すことになりますが、それは神を外に残して値打ちのないものを取り入れたからです。
もし、そうした結合が完全な信頼のうちに結ばれたなら、全世界が入り込んできます。
しかし、自我が求める特別な関係は個人を全面的に受け入れようとさえしません。
自我はその人のある部分だけを欲しがりこの部分だけを見て、他は何も見ようとしないのです。
ACIM-Text- chapter16-6-6
橋を渡ったところでは全く違っています。
もうしばらく身体はまだ見えますが、ここで見えているようにそれだけが見えるのではありません。
偉大なる光線を含んだ小さな輝きも見えるし、この輝きを長い間小さいままに制限しておくことはできません。
いったん橋を渡ると、身体というものの価値は自分にとって減少するので、それを誇張する必要は全くないように思えてきます。
なぜなら、身体のもつ唯一の価値は、あなたがそれのおかげで自分と一緒に兄弟たちを橋まで連れてこられるようになり、そこで共に解放してもらえるということだと悟るからです。
ACIM-Text- chapter16-6-7
実相の世界への橋とは、実在について総体的な見方をするように心を切り替えるというだけのことです。
橋のこちら側では、目に入るもの全てがはなはだしく歪んでおり、全く釣り合いがとれていません。
取るに足らない重要でないようなことが誇張され、強くて説得力のあるものはその値打ちを下げて大したものではないとされています。
そうした心の切り替えをするときには一時的に混乱し、何が何だか分らないような気持ちを味合うかもしれません。
しかし、恐れることはありません。
それは単にあなたが、自分の世界はうまくいっているように思わせていた歪んだ評価基準を、手放す気になりつつあることを意味するからです。
こうした基準が特別な関係のまわりに作られています。
この幻想がなくなれば、あなたがここで捜しつづけたいと思うような意義はないはずです。
ACIM-Text- chapter16-6-8
不意に抱きかかえられて、実在のなかに投げ込まれるのではないかと恐れることはありません。
時間は優しく、もしあなたがそれを実在のために使うのなら、あなたが心の切り替えをゆっくりできるように歩調を保ってくれるでしょう。
急を要するのは、ここに固定されてしまっているあなたの心を、ここから離して移動させることだけです。
こうすることであなたが自分の国を失い、ものごとを評価する基準をなくしたままにされるようなことにはなりません。
実際の切り替えに先だって、何がなんだか分らなくなるかもしれませんが、その期間は、あなたの心を実にがっちりと幻想に固定するのにかかった時間に比べれば極めて短いです。
今となっては、遅れることは以前にも増してあなたを傷つけてしまいます。
しかし、それはただ遅れているのは確かであり、苦しみから逃れることは実際にできるということを自分で悟っているからです。
もはやこの世界において、特別な関係のなかに愛されていると錯覚することもない、ということに失望するよりも、希望と慰めを見い出しなさい。
あなたはもはや完全に正気をなくしているわけではないし、もうすぐ自分で自分を裏切ったという罪悪感がどんなものか気づくからです。
ACIM-Text- chapter16-6-9
あなたが特別な関係の中で強めたいと望むものは何一つ、実際にはあなたにとって大切な部分ではありません。
そして、それこそ真実だとあなたに教え込んだ思考体系の一部を保っておいて、あなたの本来の姿をよくよく知っている思いを理解しようとしても、それはできません。
あなたは自分の真実の姿についての思いを自分の心に入り込ませました。
しかも、自分で招待したのだからそれはあなたのうちに留まるでしょう。
その思いに対するあなたの愛が自分で自分を裏切るのを許しません。
あなたはその思いから離れたいとは思わないので、それがついていけないような関係に関わるはずがないのです。
ACIM-Text- chapter16-6-10
あなたは、自我に差し伸べられた形ばかりの救いから逃れたことを喜びなさい。
そして自我があなたの関係を茶化したようなものにあこがれて振り返ったりしないことです。
今や誰一人苦しむ必要はありません。
あなたは、かなり進歩しているので罪悪感を美しいもの聖なるものとする幻想に屈するには及びません。
完全に正気を失ったものだけが死や苦しみ、病気や絶望感を目にすることがあり、そんな幻想も見るでしょう。
罪悪感が引き起こしたことは醜いし、怖くて実に危険です。
それを真理だとか美しいものだと錯覚することのないようにしなさい。
そして真理と美しいものがあなたを待ち受けているところが確かにあるということに感謝しなさい。
その両方を経験するために喜んで前進することです。
そして価値のないものを見限る気になりさえすればどれだけ多くのものが待ち受けているか分かり、価値のないものは実在しないから価値がないのだと分ってきます。
ACIM-Text- chapter16-6-11
向こう側へ渡ることで得られる新たなものの見方で、天国が本当にどこにあるか理解できるでしょう。
こちらからは、それが外側で橋の向こうにあると思えます。
ところが、あなたが渡っていって天国に加わろうとすると、向こうからあなたに加わって一体になろうとします。
それに驚いて胸をわくわくさせながら、これほどのもののために自分は何一つ捨て去る必要などなかったことを思いうかべるでしょう。
天国の喜びに制限はなく、一つひとつの光が天国で与えられている場に着くために戻ってくると、そのつど喜びは増していきます。
神の愛とあなたのために、もうこれ以上待つことはありません。
聖なる瞬間があなたにその道を急がせてくれることを願いましょう。
あなたが自分にその一瞬が来るのを拒みさえしなければ、そうしてくれることは確かだからです。
ACIM-Text- chapter16-6-12
聖霊はただほんの少しあなたに手助けを頼んでいます。
その頼みというのは、あなたが今でも魅力を感じている特別な関係のほうに自分の思いがそれた時には必ず、聖霊と共に聖なる瞬間を思い浮かべて、自分を解放してもらうようにしてほしいということです。
聖霊にはただ、聖霊のものの見方を完全にあなたに与えるために、あなたがそうした見方を分かち合う気持ちになってくれる必要があるだけです。
しかも、聖霊のそうする気持ちは完全なので、あなたの気持ちが完全である必要はありません。
あなたの気が進まないのを聖霊が完全に信頼することで償うのが、聖霊に課せられた仕事であり、そこで聖霊の信頼をあなたも分かち合うことになります。
あなたが自ら、解放されることに気が進まないということを認めることなので、聖霊があなたを完全にその気にさせてくれます。
聖霊に頼みなさい。
天国は聖霊の呼びかけ次第だからです。
聖霊に頼んで天国を自分のために呼んでもらうことです。
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