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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編16章「幻想を赦す」より
16章16-7 幻想の終焉
ACIM-Text- chapter16-7-1
特別な関係を放棄せずに過去を手放すことは不可能です。
特別な関係とは、過去の出来事を再演して、それを変えようとする試みだからです。
軽べつされたと思い込んでいることや忘れられない苦しみ、失望したこととか不公平に扱われたとか奪われているように知覚したことなど、全てこの特別な関係に入り込み、その関係は自分の傷ついた自尊心を修復しようとする手段となります。
過去がなければ、何に基づいて特別な相手を選べるでしょうか。
こうした選択は、どれもこれも過去にあった何らかの不快なことで自分が執着していることに基づいており、自分以外の誰か他のものがそれを償わなければならないとします。
ACIM-Text- chapter16-7-2
特別な関係は、過去のことに対して復讐しようとします。
そんな関係は、過去の苦しみを取り除こうとするあまり過去のことに没頭し、それに全く身を投じて、現在のことを見過ごしてしまいます。
特別な関係はどれ一つ、現在において経験することはありません。
過去からの影が包んで、そうした関係を作り上げています。
現時点でそれに何の意義もなく、もし今何の意味もないとすれば、それには本当の意義など少しもあるはずがありません。
空想の中ならともかく、どうやって過去を変えられるでしょうか。
それに、あなたが過去に奪われていたと思うものを、いったい誰が与えてくれるでしょうか。
過去は実在しません。
奪われていることを過去のせいにしてはなりません。
過去のことは過ぎたからです。
すでに過ぎ去ったことを手放さずにいるということは、実際できません。
したがって、あなたは自分の果したいと願う目的に過去が少しは役立つと考えます。
それゆえに、過去は過ぎ去っていないという幻想に固執しているに違いありません。
そのうえその目的はいまここでは実現できず、過去においてのみかなえられるに違いありません。
ACIM-Text- chapter16-7-3
自我が過去に復讐するように、と激しく駆り立てる思いというものを見くびらないことです。
それは、実に残忍で完全に正気を失っています。
自我は、あなたがしたことで気に入らなかったことをことごとく覚えているので、それなりの報いをしょうとするからです。
自らの憎しみを演じる為に選んだ関係の中で、 自我はあなたを破壊するという空想を描きます。
というのも、 自我は過去を持ち出してあなたを非難し、あなたが過去から逃げようものなら、あなたが受けて当然だと信じる復讐の機会を奪われたような気がするからです。
しかし、あなた自身、自分が破滅することに同意しなければ、 自我はあなたを過去に縛りつけておくことはできません。
特別な関係をもつことであなたは自分を破滅させていることになります。
こんなことが狂気の沙汰であることは明白です。
しかし、あなたが 自我の味方になって 自我の目標を追求するうちは、現在という時はあなたにとって無用だということはそれほど明白ではありません。
ACIM-Text- chapter16-7-4
過去は過ぎ去りました。
それを特別な関係の中で保持しようとしないことです。
そんな関係はあなたを過去に縛りつけて、救いは過去のものだからあなたも過去に戻って救いを見つけなければならないと教えようとするでしょう。
過去のことに応報するという夢を含んでいない空想など一つもありません。
あなたはそんな夢を実演したいでしょうか。
それとも、手放したいでしょうか。
ACIM-Text- chapter16-7-5
特別な関係にあっても、それで自分の求める復讐を実演しているとは思えないことでしょう。
そして、たとえ憎しみや残忍さがちらついたとしても、この関係こそ愛だと錯覚していることはそれほどひどくはぐらつきません。
しかし、 自我は特別な関係によって自分自身に対して復讐しようとしているようなものだということだけは、あなたに決して気づかせないようにしています。
ですが、それ以外の何でありえるでしょうか。
特別な関係を求めているうちは、あなたは自分自身のなかに栄光を捜そうとはしません。
それがそこにあることを否定してしまい、そんな関係をもつことがあなたにはその代用になりました。
したがって、復讐することがあなたにとっては贖罪の代用となり、復讐を逃れることは自分を失うことになるのです。
ACIM-Text- chapter16-7-6
自我は、救いについて正気とは言いかねる考えをもっていますが、それに対して 聖霊は聖なる瞬間をそっと差し出してくれます。
以前述べたように、 聖霊は必ず物事を比較することで教え、対立するものを使って真理を示そうとします。
聖なる瞬間は、過去のことに対して復讐することで救われるとする 自我の固定観念の正反対だと言えます。
聖なる瞬間には、過去は過ぎ去り、それに伴って復讐に駆られる動因は根こそぎにされ、消えてなくなったと理解できます。
今このときの静けさと平安が申し分ない優しさであなたを包んでくれます。
あらゆるものは過ぎ去り、残ったのは真理だけです。
ACIM-Text- chapter16-7-7
しばらくの間、あなたは幻想を聖なる瞬間に持ち込もうとするかもしれませんが、それは自ら経験する真理と幻想の間で、全ての点において完全な違いがあることを十分に自覚しないように邪魔するためです。
しかし、これをいつまでも続けようとはしないでしょう。
聖なる瞬間には 聖霊の力が勝ります。
あなたが 聖霊に加わったからです。
あなたのもたらす幻想が、しばらくの間 聖霊を実感する度合いを弱めます。
そのうえ、あなたの心にその経験を留めるのを妨げることになります。
しかし、聖なる瞬間は永遠であり、あなたが錯覚している時間によって、その時間を越えたものが本来の姿を保つのを妨げられることはしません。
そして、あなたがそれをそのまま経験するのを妨げられもしないでしょう。
ACIM-Text- chapter16-7-8
神があなたに授けられたものは本当に与えられており、本当に受けとられることになります。
なぜなら、神の贈り物はあなたが受け取らなければ実在性がないからです。
あなたが受け取ることで、神が与えてくれることを完了させるのです。
神が与えることを意図しているのは確かです。
それゆえ、あなたは受け取ることになります。
神は聖なる瞬間をあなたが授かるようにと与えられたのであり、確かに与えてくました。
それゆえ、あなたが受け取らずにいるのは不可能です。
神の子が自由であるようにと神が意図した時、神の子は確かに自由でした。
神は聖なる瞬間に、神の子はいつでも全く創造されたときのままだということを思い出させてくれます。
そして 聖霊が教えようとすることは何事もみな、神が授けてくれたものを受け取っているということを、あなたに思い出させる為です。
ACIM-Text- chapter16-7-9
あなたが実在を非難しようとして持ち出せるようなものは何一つありません。
赦す必要があるのは、あなたが自分の兄弟たちを非難するのに持ち出した幻想だけです。
その兄弟たちの真実の姿には過去はないので、ただ錯覚していることを赦せるに過ぎません。
神は誰ひとり非難したりしないというのも、どんなことであれ神には幻想を抱くことなど不可能だからです。
あなたの兄弟たちを自らの幻想の奴隷となっている状態から、あなたがその人たちの中にあると知覚している幻想を 赦し、解放しなさい。
そうすれば、あなた自身赦されていると分ってきます。
兄弟たちに幻想を提供したのはあなただからです。
そのうちこうしたことが聖なる瞬間において、本当の天国の情況をあなたにもたらすためになされます。
ACIM-Text- chapter16-7-10
あなたは、いつも真理と幻想のどちらかを選んでいるということ、つまり癒しをもたらす真の贖罪かそれとも破壊につながる 自我の「罪の償い」か、そのどちらかを選択しているのだということを覚えておきなさい。
神の力と限りない愛はこぞって、あなたがその愛から生ずる贖罪の計画のなかの、自分の持ち場だけを捜そうとするのを支えてくれるでしょう。
どうすれば贖罪を自分のものにできるか捜すには、 自我ではなくて神の味方になりなさい。
神の助けがあれば十分です。
神の使者は、いかにして天国をあなたに戻せるか、又どのようにしてあなたの救いのための投資を全て神との関係に置いたらいいのか、よく理解しているからです。
ACIM-Text- chapter16-7-11
探しなさい。
そして、聖なる瞬間のうちに神のメッセージを必ず見つけ出しなさい。
その一瞬には幻想は全て赦されているからです。
そこから奇跡は拡張していき、全ての人を祝福し、ありとあらゆる問題点を、たとえそれが大きく見えようが小さく見えようが、可能だとか不可能だと思えようが全部解決してくれます。
神と神の尊厳を前にして、しかるべき場を与えようとしないものは何一つありません。
神との親密な関係に加わるとは関係というものを真実として受け入れることです。
そして、その真実性をもって、あなたと神との関係も真実だとしそれに幻想をみな譲ることです。
賛えるべきはあなたと神との関係であり、他の何物でもありません。
真理はそこにあり、そこ以外のどこにもありません。
あなたがこれを選ばないなら、実在しないものを選ぶことになります。
ACIM-Text- chapter16-7-12
父よ、われらの幻想を 赦し、あなたとの真の関係を受け入れさせてください。
そこには何一つ幻想は存在せず、これからも入り込むことはないでしょう。
私達の神聖さはあなたの神聖さです。
そのあなたのものが完全であるなら、私達の中に 赦しを必要とするものなど有り得るでしょうか。
忘却という夢を見ているとすれば、ただあなたの 赦しと愛とを思い出すしたくないという気持ちに過ぎません。
私達が、誘惑されてさまようがままにさせないでください。
神の子が惑されるのはあなたの意思ではないのですから。
そして、あなたが与えてくれたものだけを受け取り、ただこうしたことだけを、あなたが創造し愛している心の中に受け入れさせてください。
奇跡講座(奇跡のコース) テキスト編16章「幻想を赦す」目次