Contents
- 奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編16章「幻想を赦す」より
- 16章16-4 幻想と愛の真実
- ACIM-Text- chapter16-4-1
- ACIM-Text- chapter16-4-2
- ACIM-Text- chapter16-4-3
- ACIM-Text- chapter16-4-4
- ACIM-Text- chapter16-4-5
- ACIM-Text- chapter16-4-6
- ACIM-Text- chapter16-4-7
- ACIM-Text- chapter16-4-8
- ACIM-Text- chapter16-4-9
- ACIM-Text- chapter16-4-10
- ACIM-Text- chapter16-4-11
- ACIM-Text- chapter16-4-12
- ACIM-Text- chapter16-4-13
- 16章16-4 幻想と愛の真実
- 奇跡講座(奇跡のコース) テキスト編16章「幻想を赦す」目次
- 奇跡講座(奇跡のコース) テキスト編、ワークブック編、マニュアル編 各目次
奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編16章「幻想を赦す」より
16章16-4 幻想と愛の真実
ACIM-Text- chapter16-4-1
特別な憎悪関係というものを怖がらずに見つめなさい。
それをよく見てみることで自由を見いだせるからです。
愛の意味を知らずにいることなど不可能ですが、次のような場合は例外です。
特別な愛情関係には、愛の意味が隠されてはいますが、そのような関係には単に憎しみを埋め合わせるために関わるだけで、憎むのを辞めるためではないです。
こうしたことを見てみるにつれ、あなたの目の前に自分の救いがはっきりと見えてきます。
憎しみを制限することなどできません。
特別な愛情関係はその埋め合わせにはならず、ただ秘密にしておけるところに追いやって、目に付かないようにしまっておくだけです。
憎しみを見えるところに持ち出すようにし、隠そうと企てたりしないようにすることが極めて重要です。
憎しみと愛情とを天秤にかけるようなことをすると、愛の意義を見失うことになってしまうからです。
双方の間にどれほどの裂け目があるのか、あなたは気づいていません。
そしてそれに気づくまでその裂け目はそのままになるので、癒されることもないのです。
ACIM-Text- chapter16-4-2
憎しみを象徴するものは愛を象徴するものと対立して、争いは存在しないのにそれがあるふりをして通そうとします。
象徴するものとは何か他のものの代わりになるもののことであり、もし愛が全てなら、愛を象徴するものには何の意義もないことになります。
あなたはこの最後の取り消しを難なくやってのけ、ついには本来の自分として現れます。
これこそ神に向かう最後の準備段階です。
今になって躊躇しないようにしなさい。なぜなら、もう一歩というところまできているのであり、全く何事もなくその橋を渡って、戦いから平和へと静かに移してもらえます。
愛だと錯覚していることで満足しようとしても、それは絶対無理です。
しかし、向こう側で待っているのは愛の真実の姿であり、それがあなたに全てを与えてくれます。
ACIM-Text- chapter16-4-3
特別な愛情関係は、いわば罪責感から起きた嵐の中で休息の場を見つけて、憎しみの破壊的な影響を制限しようとする試みだと言えます。
そんな嵐など乗り切って、太陽の光に向かおうという気はありません。
それどころか、そうした休息の場の外にある罪責感を強調し、そのまわりに囲いを築いて閉じ込めておこうと企てます。
特別な愛情関係は、それ自体に価値があるのではなく、単なる安全地帯と見なされており、そこには憎しみは別のものとして持ち込まないことにしています。
特別な愛情関係の相手は、こんな目的に役立つ間だけ受け入れられます。
そこに憎しみが入り込む可能性はあり、実のところそんな関係のある面においては喜んで受け入れられます。
しかし、やはりそのつながりは愛だと錯覚していることで保たれています。
もし、そんな幻想が無くなると、幻滅させられたという理由でその関係が壊れたり満足できなくなったりします。
ACIM-Text- chapter16-4-4
愛は幻想ではありません。
事実そのものです。
幻滅する可能性があるところには、愛どころか憎悪があると言えます。
それというのも、憎しみが幻想であることは確かであり、変化することがありえるものは全くのところ愛ではありません。
特定の人たちを、どんな生活の一面にせよ、自分の相棒として選びだし、他には誰とも分かち合うつもりなどない何らかの目的のためにその相手を利用しようとする者は、罪責感のために命を落とすより、むしろそんな気持ちを我慢しようとしていることは確かです。
この二つに一つだと見ています。
そして、その人たちにとっては、愛は単なる死からの逃避に過ぎません。
それを必死になって捜しはしますが、心に平安があってのこととは言えません。
もし、それがあれば愛は喜んで穏やかにその人たちのものとなるでしょう。
そのうえ、自分が死に対する恐怖心をまだ抱いていることに気づくと、愛で結ばれた関係だと思っていたのは幻想で、そうではなかったと分ってきます。
囲いが取り壊されると、恐怖心がどっと入り込み、憎悪感が何ものにも勝ることになってしまいます。
ACIM-Text- chapter16-4-5
愛の勝利ということは問題ではありません。
ただ憎悪感のみが「愛の勝利」に躍起になります。
愛の幻想は、憎しみの幻想に勝ち誇ることはできますが、必ず双方を幻想だとする代償を払うことになります。
憎んでいると錯覚し続ける限り、あなたにとって愛は幻想であり続けます。
そうなったら自分で選べるのは、どちらの幻想を取りたいかということだけです。
真理と幻想のどちらを選択するかで葛藤を覚えるはずがありません。
真理を取るか幻想を取るかと言われたら、誰ひとり躊躇しないでしょう。
しかし、幻想であるもの同士の中から選ぶことになりそうになった途端、葛藤が入り込んでしまい、こうなったら何を選択するかは問題ではありません。
どちらを選んでも同じように危ない目にあうとすれば、絶望的な決断であるに違いありません。
ACIM-Text- chapter16-4-6
あなたに課せられた仕事は、愛を捜し求めることではなくて、ただ自分自身のなかに愛に反対して築いた障害物を、みな捜して見つけることです。
真実であるものを捜す必要はありませんが、間違ったものを捜す必要があるのは確かです。
幻想はどんなかたちにせよ、どれもこれも恐れの現われです。
そして、一つの幻想からもう一つ別のに逃げ込もうとする試みは失敗するに違いありません。
もし、自分自身の外に愛を求めようとすれば、自分の中に憎しみがあると知覚して恐れていることは確実です。
しかし、愛だと錯覚していることからは決して心の平安は得られないのであって、ただその真実の姿から得られるだけです。
ACIM-Text- chapter16-4-7
今ここで言うことにある真実、それを認識しなさい。
そして、真理を幻想と区別するにはそれを見分けなければなりません。
つまり特別な愛情関係は愛を分離状態にもたらそうとして関わっているということです。
こういう次第で、そんな関係は愛を恐れに持ち込み、恐れの中で本物にしようとする試み以外の何物でもありません。
愛の一つの条件を根本的に無視して、特別な愛情関係は不可能なことをやり遂げるつもりです。
どうみてもこれは幻想の中でしか不可能なことです。
本当は存在しないとはいえ、あなたにとっては本当にあると思えるという、そんな板ばさみ状態を全くのところどうやって解決できると思っているのか、それを一緒に注意深く見てみることは不可欠です。
あなたは真理の近くまで来てはいますが、これだけがそこに導いてくれる橋とあなたとの間に立ち塞がっているのです。
ACIM-Text- chapter16-4-8
天国は静かに待ち受けており、あなたが創造したものはあなたが渡ってきて喜んで受け入れるようにと手を伸ばして助けてくれます。
あなたが捜しているのはまさにその自分で創造したものだからです。
あなたが求めるのはただ自分自身が完全な姿になることであり、それを自分の創造したものが援助してくれるわけです。
特別な愛情関係は単に、幻想の中ではなくて、真理のうちであなたを全き姿にするもののお粗末な代用品に過ぎません。
あなたとあなたの創造したものとの関係には罪責感は伴うことはなく、これであなたも自分の兄弟たちを感謝の念を持って見つめられるようになるわけですが、それはあなたの創造したものとはその兄弟たちと心を一つにして創造したものだからです。
自分の創造したものを受け入れるとは、創造されたものは一体だということを受け入れることであり、あなたはそれなしでは絶対に完全になれません。
どんな特別なことであろうと、あなたに神が授けてくれたものや、あなたが神と心を一つにして与えることにしたものなどを差し出せるほどの、特別なことは何一つありません。
ACIM-Text- chapter16-4-9
橋の向こう側にいるのが完成された自分、あなたは完全に神のうちにあり、何も特別なことではなくて、ただただ本当に神の似姿となり、自分が完成することで神を完成することを願っているからです。
平安と全く神聖なるものとが見いだせるという所に渡るのを恐れることはありません。
ただそこにのみ神と神の子の完全な姿が永遠に確立されているのです。
こうしたことを荒涼とした幻想の世界の中で捜そうとしないことです。
そこには確かなものなど何一つないし、満足させてもらえるものなど何もありはしません。
神に誓って、本気で幻想を放棄する気になって欲しいのです。
どんな関係においても、完全な姿、ただこれだけを本気で受け入れるつもりなら、そこで神は完成され、神の子も一緒に完成されます。
ACIM-Text- chapter16-4-10
あなた自身の中での結合が成されるようにと導いてくれる橋は、必ず叡知へと導いてくれるはずです。
その橋は神がそばについていて築かれたものだからです。
そして、それはまっすぐ神のもとへとつながっており、そこに神の完全な姿と全く何の矛盾もないあなたの完全な姿があります。
達成できそうだと判断した幻想を自分の心に受け入れるたびに、それが自分は完全であるという思いをなくしていき、ついには父の完全円満なる御姿というものを否定してしまいます。
愛の空想にせよ憎しみの空想にせよ、そんな空想はことごとく真理を隠してしまう覆いだからです。
それがあなたから知識を奪うことになってしまいます。
本当に暗くて重そうなそんな覆いを持ち上げるのに必要なことは、ただ全ての空想より真理のほうを重要視し、真理の代わりに幻想で満足するような気には絶対にならないということです。
ACIM-Text- chapter16-4-11
あなたには恐れを通り抜けて愛へと向かうつもりはないでしょうか。
その旅路はそのように思えるものだからです。
愛が呼んでいるというのに、憎しみがあなたを引き留めようとします。
憎しみの要求など聞き入れず、空想など何も見ないことです。
あなたの完全な姿は、真理のうちに見いだせるのであって、それ以外のどこにもありません。
憎しみの要求や、思い浮かべる度にあなたを遅れさせてしまうような空想の一つひとつに、ただ創造主に届くようにと、あなたが絶え間なく助けを求める叫び声があるだけだと見なさい。
創造主があなたの求めに応じてくれないはずがありません。
あなたの完全な姿は、そく創造主の完全な姿だからです。
創造主は全く錯覚することなくあなたを愛しています。
それゆえに、あなたもそのように愛さなければなりません。
愛には全く幻想などないことは確かなので、恐れは少しもありません。
神が覚えている者は完全であるに違いありません。
それに自身を完全にしてくれるものを決して忘れてはいないのです。
あなたが自分の完全さに目覚めた時、神の完全円満なる姿と、自らの完成を神はあなたに感謝しているということを思い出す。
神とあなたが結ばれたら、神には忘れることはできず、あなたには思い出す力があると分かります。
神のうちにて、あなたの愛したいという気持ちと、あなたを忘れてはいなかった神の愛全てとが一つとなります。
ACIM-Text- chapter16-4-12
あなたの父があなたの内なる真実の姿を忘れるはずがなく、同様にあなたがそれを思い出せないはずがありません。
聖霊が父への橋であり、それはあなたの父と結ばれたいという気持ちでかけられ、あなたと結ばれるという父の喜びで創造されました。
果てしなく続くように思えた旅もほとんど終わりに近づいています。
終わりがないのは確実だといえるものがすぐ近くにあるからです。
あなたはもう少しでそれに気づくところです。
私と共に、今こそ全ての幻想にきっぱりと背を向け、何ものにも真理への道を邪魔させないようにしましょう。
真理に背を向けた無益な旅はこれが最後にして、これからは神の完成のためにその呼びかけに喜んで答え、手に手を取ってまっすぐ神に向かって進んで行くのです。
ACIM-Text- chapter16-4-13
どんな特別な関係にせよ、もしそれが神の完成を妨げるとすれば、あなたにとって価値があるでしょうか。
神の邪魔をするようなものはあなたの邪魔もするに違いありません。
時間の内にある時だけ、神の完成を邪魔するなどということが可能と思えます。
神があなたを運んでくれる橋が、あなたを時間から永遠へと移してくれます。
時間から目覚め、あなたを永遠なるものとして創造した存在の呼びかけに恐れることなく答えなさい。
時間のない状態へとかけられた橋のこちら側では、あなたには何も理解できません。
しかし気軽に一歩踏み出せば、時間のない状態に持ち上げられて、まっすぐ神の御胸へと連れていってもらえます。
その胸の真ん中、そこでのみ永遠に安全だと言えます。そこでならあなたは永遠に完全な姿だからです。
私たちの内なる神の愛を一緒に合わせれば、持ち上げられない覆いなど一つもありません。
真理への道は開かれています。
私に共にそれを辿りなさい。
奇跡講座(奇跡のコース) テキスト編16章「幻想を赦す」目次