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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編16章「幻想を赦す」より
16-1 真の共感
ACIM-Text- chapter16-1-1
共感するとは他の人の胸の痛みを知って自分の胸を痛めるということではありません。
そのように理解することはあなたが拒否しなければならないことだからです。
これこそ 自我の解釈による共感であり、苦しみを分かち合うことになる特別な関係を結ぶのに使うのが常です。
共感できるという能力は、それを 聖霊の思い通りに使ってもらう気がありさえすれば、とても 聖霊の役に立ちます。
聖霊のやり方はかなり変わっています。
聖霊は苦しみというものを理解しないし、あなたにもそれは理解し難いものだと教えさせるつもりです。
あなたを通して関係をもつときにも、あなたの 自我を通して他の 自我に関わろうとはしません。
苦痛を一緒に味わおうともしません。
そうした苦痛に入り込めると妄想し、そんな妄想を分かち合うことで苦痛を和らげようとしても、それを癒すことはできないとよく分っているからです。
ACIM-Text- chapter16-1-2
自我が共感を利用するやり方は破壊的だという最も明らかな証拠は、それがある種の問題をもつ一定の人たちにのみ適用されるという事実に見いだせます。
こういう人たちを選び出しては一緒になろうとします。
自我自体を強めるためでなければ絶対に一緒になろうとはしません。
自我は理解できると思えるものに一体感をもち、そこに 自我そのものを見て、自らに似ているものを分かち合うことで大きくなろうとします。
こんな策略を誤解しないことです。
自我はいつも相手を弱めるために共感するのであって、弱めるために必ず攻撃します。
あなたには共感とは何を意味するのか分っていません。
ですが、これだけは言えます。
もしあなたがただ静かにすわって、 聖霊に自分を通して関わってもらう気になれば、あなたは力強いものに共感することになり、弱くなるのではなくて、強さを増すことになります。
ACIM-Text- chapter16-1-3
あなたの役割は、関係を持つことで何か自分にとって価値のあるものを手に入れたいなどと思わないようにする、ということだけだと覚えておきなさい。
あなたは自分のやり方でそうした関係を傷つけようとすることもなければ、癒そうともしません。
あなたには癒しが何か分っていません。
共感から得てきたものは全て過去のことです。
しかし、あなたが過去のことから分かち合うことになるものは何一つありません。
自分で持ち続けたいと思うような過去のことは何一つないからです。
共感を使って過去のことを真実だとしたうえで、不朽のものにしてはなりません。
穏やかな気持ちで一歩譲り、自分のために癒しをおこなってもらうことです。
ただ一つの思いを心に留め、それを見失わないようにしなさい。
たとえ、どんな場合にせよまず状況を判断したうえで、自分がそれにどう反応するか決めたいという思いがいかに強かろうとも、次のことにのみ心を集中しなさい。
私は一人ではないし、過去のことを私の賓客に押しつけるつもりはありません。
その存在を私が招いたので、ここにいます。
自分は何もする必要はなく、ただ邪魔にならないようにするだけでいいのです。
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本当に共感するということは、それが何かを分っている存在からきます。
その存在がどう解釈されているか分るようになるには、あなた自身の弱さではなくて強さを受け入れることのできる力をその存在に使ってもらいなさい。
あなたが見放されてしまうようなことはありませんが、決して自分でその存在を見放したりすることのないようにしなさい。
謙虚さが強みになることがあるとすれば、自分は何も知らないという事実を認めて受け入れることで、その存在は確かに分っているという事実を認めて受け入れることになるという場合だけです。
あなたにはその存在自身が役割を果たすかどうか確信がありません。
それはあなたがいまだかって自分の役割を完全に果たしたことがないからです。
自分に理解できないことに対してどう反応すればいいのか分るはずがありません。
これにそそのかされたり、 自我が自らの栄光のために共感を利用して勝ち誇るがままにさせたりしないことです。
ACIM-Text- chapter16-1-5
弱さの勝利などというものは、あなたが兄弟に差し出したいものではないでしょう。
しかし、あなたは勝利といえばこれしか認識していません。
こんなことは叡知ではないし、そんな勝利をもたらすような共感の形は極めて歪んでいるので、一方が解放しようとするものを閉じ込めてしまうことになります。
救われていない者が 救済などできないのですが、その人たちにも救い主はいます。
その存在に教えようとなどしないことです。
あなたは教えてもらうほうで、その存在こそが教師だからです。
自分の役割とその存在の役割とを混同しないようにしなさい。
そんなことでは決してだれにも平安は来ません。
あなたの共感する能力をその存在に差し出しなさい。
そうすればその存在の知覚とその存在の力とを分かち合うことになるからです。
そして自分を通して、その存在に自らの力と知覚とを差し伸べてもらうことです。
ACIM-Text- chapter16-1-6
どんな関係にせよ、その中に弱さを見つけて、そこに愛を見いだそうと望むなら、愛の意義というものは失われます。
愛の力、これこそ関係をもつことの意義そのものであり、それはそれぞれの関係をまるで鳥がひなを抱くかのように、癒しの翼で包み込み、静けさのうちに祝福する神の力強さのなかに見いだせます。
なされるがままにし、これに自分の「奇跡」を代用しようとなどしないでおくことです。
以前、もし兄弟に馬鹿げたことをして欲しいと頼まれたら、それをするようにと私が言ったことがあります。
ですが、これは相手や自分が傷つくような馬鹿げたことでもしていい、という意味ではないということを肝に銘じておきなさい。
一方を傷つけるようなことはもう一方をも傷つけるようになるからです。
馬鹿げた願いがどれもこれもばかばかしい理由は、単にそんな願いには必ず何らかの特別性が含まれているために矛盾するところがあるからです。
聖霊だけは馬鹿げた欲求のみならず、本当に必要なことも見分けがつきます。
だから 聖霊は、どうすればどちらも失うことなく両方に対応できるかをあなたに教えてくれます。
ACIM-Text- chapter16-1-7
あなたはといえば、こうしたことをただ秘密裏にやろうとしています。
そして一方の要求を満たせばもう一方を危険にさらさずにすむと思うようになるのですが、それはあなたが二つを別々にしてどちらのことも秘密にしているからです。
このやり方では、生命と真理へと導いてはくれる方法ではありません。
必要なことがあれば、それをもたらす役目である 聖霊に全て任せておく気になりさえすれば、どれも長く待たずにもたらされます。
こうしたことは 聖霊の役目であり、あなたの役目ではありません。
そうしたことを 聖霊は秘密のうちにもたらそうとしません。
あなたが 聖霊を通して与えるものを 聖霊は余すところなく分かち合うつもりだからです。
だからこそ 聖霊は与えようとします。
あなたが 聖霊を通して与えるものは神の子としての身分全体のためであり、一部のためではありません。
なぜなら、ただあなたが自分の色々な関係に入ってきてほしいと頼みさえすれば、ちゃんと役目を果たして、あなたのためにそうした関係を祝福してくれます。
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