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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編16章「幻想を赦す」より
16章16-3教えることで得られるもの
ACIM-Text- chapter16-3-1
誰もがみな教え、それも絶え間なく教えているということはすでに学びました。
あなたは立派に教えてきたかもしれません。
しかし自分の教えがもたらす慰みをいかにして受けいれたらいいのかは学んでいないかもしれません。
もしあなたが、自分で教えてきたことを見て、それがいかに自分が分っていると思っていたことと異なるかよく考えてみると、あなたは自分の教師が自分の思考体系を越えたところから来ていると気づかざるを得ないでしょう。
だからこそ、その教師はあなたの思考体系を公平にじっくり見て、それは真実ではないと見て取れるのです。
あなたのとはかなり異なっていて、何一つそれとは共通点が見られないような思考体系に基づいているので、そう見て取れたに違いありません。
その教師が教えたことやあなたがその存在を通して教えたことと、その教師がくる前まであなたが教えていたことには、何一つ共通するところなどないのは確かだからです。
そしてその結果、苦痛に満ちていた心に平安をもたらし、苦しみは消え去り喜びで満たされたのです。
ACIM-Text- chapter16-3-2
あなたは自由について教えてきたかもしれませんが、いかにして自分が自由になれるのか学んではいません。
「実をみれば、その人たちがどんな人間か分かるし、その人たちも自分自身が分かるでしょう」と以前にも述べたことがあります。
自分の教えることで我が身を裁くのは確かだからです。
自我の教えが結果をすぐに生じるというのは、それが決めることを自分の選択として即受け入れるからです。
そしてこれを受け入れるとは、あなたがそれに従って自分自身を裁くつもりでいることを意味します。
原因と結果は 自我の思考体系のなかで実にはっきりしています。
それというのもあなたが学んでいることは全てその二つの関係を定めるために向けられているからです。
だから自分自身に信じるようにと精を出して教えてきたことを信頼しないではいられないでしょう。
それに、 自我の思考体系について証言する者を選んだり、真理という原因とその結果について話そうとした証人たちを避けようとしたりして、どれほど気を揉んだか思い出しなさい。
ACIM-Text- chapter16-3-3
自分の教えたことを自分で分っていないという事実が、あなたは神の子としての身分にある者たちを、一体だとは知覚していないことを示しているのではないでしょうか。
それに自分自身を一つだとは見なしていないことをも証明するのではないでしょうか。
全く確信を持たずに、思いどおりにうまく教えるのは不可能だし、同様に確信が自分の外にあるということは絶対に有り得ないからです。
自分が自由というものを信じていない限り、それを教えられるはずがありません。
だからあなたが教えたことは自分自身のなかから生じたに違いありません。
しかし、この本来の自己というものをあなたが知らないのは明らかであり、その本来の自己が働いているにもかかわらず、それに気づいてはいません。
役目を果たすために働いているものは存在するに違いありません。
ただその本来の自己のしたことを否定するつもりなら、その存在も否定できるかもしれません。
ACIM-Text- chapter16-3-4
この奇跡のコースは、いかにして自分を知ることができるか教えています。
あなたは自分が何なのか教えてきたが、本来の自分というものに教えてもらおうとはしていません。
実に注意深く、明白なことを避けるようにし、全く一目瞭然といえる真の因果関係に目をつぶってきました。
それでも、あなたのうちにこそ自ら教えた全てが見出せます。
それを習っていないのはいったい何ものでしょうか。
この部分こそが実のところあなた自身の外にあるもの、それも自分の投影によるのではなくて本当にそうであるに違いありません。
そしてその部分、つまり自分ではない部分を取り入れてしまっています。
自分の心のなかに受け入れたものが、実際に心を変えてしまうようなことはありません。
幻想とはただ存在しないものを信じるということです。
真理と幻想の間にあるように思える葛藤は、自分自身を真理から切り離すのではなくて、そうした幻想から離れることによってのみ解消できます。
ACIM-Text- chapter16-3-5
あなたの教えがこうしたことをすでにやり遂げたと言えます。
聖霊はあなたの一部だからです。
聖霊は神に創造されたので、神から離れていないばかりか神が創造したものからも離れてはいません。
聖霊は、神でもあり、あなたでもあります。
あなた自身、神と 聖霊と一緒になっているように。
それというのも、神の分離に対する答えは、あなたが取り去ろうとしたよりも、もっと多くのものをあなたに加えたからです。
その答えはあなたが創造したものとあなたとを一緒に護り、あなたが締めだそうとするものを一緒にしておこうとしています。
そしてあなたが創造したものはあなたがそれを締めだしてその代わりにするために取り入れたものに取って代わる。
創造されたものは、あなたにはまだ分っていないとはいえ、本来の自己の一部だから確かに実在します。
それは、 聖霊を通してあなたと意思の疎通をはかろうとし、もてる力とあなたに創造してもらったという感謝の気持ちとを、あなたが創造されものの安らぎの場であるあなた自身のことを教えるためには、喜んで差し伸べるでしょう。
神のもてなし役たるあなたは自ら創造したもののもてなし役でもあります。
実在するものは何一つその創造主の心から離れたことはないからです。
それに実在しないものが存在したためしはないのです。
ACIM-Text- chapter16-3-6
あなたは、矛盾した二つの自己を内に秘めているわけではありません。
神に理解できないことが何かあるでしょうか。
もし、その神を抱くあなたと神に抱かれているものが宇宙そのものだとすれば、ほかのものは全てその外側にあるに違いなく、そこには実在しないものがあります。
こうしたことをあなたは教えてきましたし、はるか宇宙の果てから、とはいえ自分自身を越えてはいないのですが、あなたの教えることを証明する者たちが集まってきて、あなたが習うのを手助けしてくれています。
こうした証人たちの感謝の念は、あなたのと神のとに加わって、自分が教えたことは信頼できるという気持ちを強めてくれます。
教えたことは真実だからです。
一人だけでは、あなたは自分の教えることを部外者として傍観しているようなものです。
しかし、全ての人と一緒なら、あなたは自分自身に教えたに過ぎないし、共に分かち合った確信から学んだのだと分ってくるはずです。
ACIM-Text- chapter16-3-7
今年、あなたは学び始めるし、教えていることに見あったように学んでいきます。
こうすることを自ら教えようとする意欲があって選択しました。
そのために、苦しいと思えることがあるかもしれませんが、それでもなお教える喜びは自分のものになります。
というのは、その教える喜びは学ぶ者の内にあり、その人がそうした喜びを感謝の内に教えてくれる人に捧げて、共に分かち合おうとするからです。
学ぶにつれて真の自己のことを教えてくれるその存在に対する感謝の念は深まっていき、尊敬できるようにもなります。
それにその存在のもてる力やその強力さや清らかさが分ってくると、あなたはその存在を父が愛するがごとく愛するようになります。
この真の自己の王国には限界はなく終わりもないのであり、その存在の内には完全で永遠でないものは何一つありません。
今ここに述べたこと全てがあなたにあてはまり、これ以外のことは何一つあなたとは言えないのです。
ACIM-Text- chapter16-3-8
あなたの最も神聖なる真の自己に対して、自分が何であるかを褒め讃え、またあなたをあるがままに創造した存在が何であるかを心から賛美しなさい。
いずれは誰もが皆、自分たちの間にあると想像している隔たりを埋めなければなりません。
一人ひとりがいわばそこに橋をかけるわけで、そのためにほんの少しでも努力してみる気になり次第、そうした隔たりに橋をかけて渡ることができます。
一人のわずかな努力は、天国の力強さと、心を一つにすることによって天国を天国たるものにする人たち全ての人の統合された意志とで、そうした努力に報いるべく効果的に補ってもらえます。
したがって、渡るつもりでいるものは、文字どおりむこうまで運んでもらえるわけです。
ACIM-Text- chapter16-3-9
あなたの橋は、自分で思うより強く、あなたはその橋をしっかりと踏み締めて立っています。
向こう側で待ってくれている人たちの引き寄せる力でさえも、自分を無事に引っ張ってはもらえないのではないかと心配する必要はありません。
あなたは、自分の望むところにくることになっており、そこであなたの真の自己が待ち受けているからです。
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