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2-5-A 奇跡を行う者の特別の原則
ACIM-Text- chapter2-5-11
(1)奇跡は低い次元の心配の必要を完全になくします。
それは定型からはみ出た時間枠なので、そこには時間と空間についての通常の配慮は当てはまりません。
あなたが奇跡を為すとき、それに適合するように私が時間と空間の両方を調整します。
ACIM-Text- chapter2-5-12
(2)創造されたものと作り出されたものとの間には明確な区別が不可欠です。
あらゆる形の 赦しは、レベルの知覚におけるこの根本的な訂正に依拠します。
ACIM-Text- chapter2-5-13
(3)正しい心の状態と間違った心の状態を、決っして混同してはなりません。
いかなる形の誤りに対しても、癒したいという欲求以外をもって応じることは、この混同の表れです。
ACIM-Text- chapter2-5-14
(4)奇跡とは常にこうした誤りの否認であり、真理の肯定です。
正しい心の状態のみが、真に効果のある形で訂正を行うことができます。
実用的見地から言えば、真の結果をもたらさないものは真に存在していないことになります。
それ故に、その結果は空虚です。
実質的な内容を持たないため、それは容易く投影されます。
ACIM-Text- chapter2-5-15
(5)奇跡が持つレベル調節の力が、癒しの正しい知覚を誘発します。
これが起こるまで、癒しが理解されることはありません。
赦しは訂正を伴わない限り、空虚な行為にすぎません。それがないなら、本質的にそれは癒しをもたらすどころか裁くものになります。
ACIM-Text- chapter2-5-16
(6)奇跡志向の 赦しとは、訂正に他なりません。
それには裁きの要素は全くありません。
「父よ、彼らを 赦してください。彼らは何をしているか分っていないのですから」とは、その人たちが何をしているかについては、何ら評価していません。
それはその人たちの心を癒して欲しいという神への懇願です。
その誤りの結果については何も言及してはいません。それは問題にはなりません。
ACIM-Text- chapter2-5-17
(7)「心をひとつにせよ」という指示は、啓示を受ける準備を整えるための言葉です。
「私の記念としてこれを行うように」という私の頼みは、奇跡を行う者たちの協力を求める懇願です。
この二つの言葉は、同じレベルの現実に属してはいません。
「記念する」とは現実において過去を思い出すことだからです。
後者のみが時間についての自覚を含んでいます。
時間は私の管理下にあり、時間を超越することは神に属しています。
時間の中では、私たちは互いのために、互いと共に存在します。
時間を超越した中では、私たちは神と共存します。
ACIM-Text- chapter2-5-18
(8)助けが求められている状況において、次のように考えるなら、あなた自身の癒しの為に、また他の人達の癒しの為に、あなたは多くを行うことができます。
私は真に助けとなる為だけにここにいます。
私は自分を遣わした 聖霊の代理としてここにいます。
何を言い、何を為すべきかを心配する必要はありません。私を遣わした 聖霊が私を導くからです。
聖霊が私と共に行くと知っているので、私は何処であろうと 聖霊が望むところに居ることに満足します。
聖霊に癒すことを教えてもらうなら、私は癒されるでしょう。
奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第2章「分離と贖罪」目次