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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第29章「目覚め」29-9本文
第29章29-9 赦しの夢
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偶像たちの奴隷とは、自ら進んで望む奴隷です。
なぜなら、生命のないものを崇拝して平身低頭し、力のないものの中に力を探すようなことを自分にさせるその人とは、それを自ら望んでいるに違いないからです。
そういったことを自らの願望にし、路傍の石よりも低いところに自らを貶め、自分を引き上げてもらおうとして偶像に依存するとは、神聖な神の子に一体何が起こったのでしょう。
それならば、あなた自身が作り出した夢の中の自分についての物語を聞きなさい。
そして、自分自身に問いなさい。
自分は、本当のところ、それが夢ではないと信じているのではないだろうか、と。
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神がご自身と同じように完全無欠なものとして創造した心の中に、裁きの夢が入りました。
そして、その夢の中で天国は地獄に変えられ、神は神の子の敵にされました。
神の子はどうすればこの夢から目を覚ますことが出来るでしょうか。
それらは、裁きを下すという夢です。
したがって、その人は裁かずにいなければなりません。
そうすれば、その人は目覚めるでしょう。
夢は、その人自身がその一部であるうちは、続いていくように見えます。
裁いてはなりません。
裁く者には、裁きが自分自身の身に裁きが下されないようにするための偶像が必要になります。
また、その人には自分が有罪判決を下した自己を知ることも出来ません。
裁いてはなりません。
裁けば、自分自身を邪悪な夢の一部とすることになるからです。
その夢の中では、偶像があなたの「真の」のアイデンティティーとなり、恐怖と罪悪感の中で自分自身に下した裁きからの 救済になるからです。
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夢の中の登場人物は全て偶像であり、その夢からあなたを救うために作り出されています。
とはいえ、あなたをその夢から救うために作り出されているその人たちも、その夢の一部をなしているのです。
そうして、偶像は夢を生かし続け、恐ろしいものにし続けます。
なぜなら、恐怖と絶望の中にいる者でなければ、誰も偶像を望んだりはしないからです。
これが偶像が表象しているものであり、したがって、それを崇拝するということは、絶望と恐怖、そして絶望と恐怖が生じた場である夢を崇拝することです。
裁きは、神の子に対する不正義です。
そして、神の子を裁く者は自分の作り出した夢の中で自分自身に課した罰を免れられないというのは、まさに正義です。
神は正義を知っており、罰は知りません。
しかし、裁きの夢の中では、あなたは攻撃し、有罪判決を受けます。
そして、自分の裁きとそれがもたらす罰の間に挿入される偶像たちの奴隷になることを願います。
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あなたが夢見ているような夢の中には、 救済はあり得ません。
なぜなら、あなたが成し遂げたと信じているものや、自分を罪深き者にし、内なる光を消すために行ったと信じているものからあなたを救い出すためには、偶像たちがその夢の一部でなければならないからです。
幼なき子よ、光はそこにあります。
あなたは夢を見ているに過ぎません。
偶像たちは玩具であり、あなたはそれらと一緒に遊んでいるという夢を見ているのです。
子供以外に誰が玩具を必要とするでしょうか。
子供たちは、世界を支配しているつもりになって、玩具に動き回る力を与え、話をしたり、考えたり感じたり、その人達を代弁したりする力を与えます。
しかし、その人達の玩具がしているように見えることは、全てそれらで遊んでいる者たちの心の中にあります。
しかし、彼らは玩具が実在するかのような夢を作り出した描く願望は、自分自身の願望である事を認識することもありません。
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悪夢は子供じみた夢です。
自分で玩具を実在のものにしたと考えた子供に対し、玩具が反抗したのです。
しかし、夢が攻撃できるでしょうか。
あるいは、玩具が大きくなって、危険なものになり、獰猛で手に負えなくなくなるということがあり得るでしょうか。
子供はこれを信じています。
それというのも、その人は自分の様々な想念を恐れ、それらを代わりに玩具に与えているからです。
そして、そうした玩具の実在性がその人自身の実在性となります。
なぜなら、それらがその人を自分の想念から救うように思えるからです。
しかし、玩具はその人の想念を生かして実在のものとし続けます。
ただし、それらはその人自身の外側に見られ、そこでは、その人がそれらを裏切った場合にはそれらがその人に反抗することも出来ます。
その人は、自分の想念から逃げ出すためには玩具が必要だと考えます。
したがって、その人は自分の世界を自分の外側に留まらせておき、自分がその一部に過ぎないという遊びをするために、あらゆるものを玩具と化すのです。
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子供時代を通りすぎ、永遠に過ぎ去るべき時というものがあります。
子供の玩具を持ち続けようとしてはなりません。
あなたにはもはや玩具は必要ないからです。
全部片づけてしまいなさい。
裁きの夢とは、子供がその幼い知恵を持ったまま力強い父親になるという子供の遊びです。
その人を傷つけるものは破壊され、その人を助けるものは祝福されます。
ただし、その人は子供としてこの判断を下します。
すなわち、何が傷つけるもので何が癒すものかを知らないままに判断します。
そして、悪いことが起こるように見えると、その人は世界の中のあらゆる混沌を恐れますが、その世界を統治している法則とその人が考えているものは、その人自身が作り出した法則です。
しかし、 実相世界は、その人が実在すると思っている世界から影響を受けることはありません。
また、 実相の世界の法則は、その人が理解しないからといって変えれられはしませんでした。
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実相世界も、依然として一つの夢に過ぎません。
ただし、登場する人影たちは変わっています。
それらは、裏切りをような偶像とは見なされていません。
その夢の中では、誰も他の何かの代わりに使われることはなく、心が抱く想念と心が見るものと間に挿入されることもありません。
誰であれ、自分ではない何らかのものとして用いられることはありません。
子供じみたものは全て片づけているからです。
そして、かつては裁きの夢だったものが、今や全てが喜びである夢に変化しました。
それがその夢の持っている目的だからです。
時間はほどんど終わっているので、夢の中に入ってくる形態は、今や裁きではなく愛の中で兄弟として知覚されるます。
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赦しの夢は、永続する必要はありません。
それらは、心が思考することから分離させるために作り出されてはいません。
赦しの夢は、その夢が誰か別の者によって見られていることを証明しようとはしません。
そして、 赦しの夢の中では、時間の始まり以来聞かれることはありませんでしたが、誰もが今も覚えている旋律が聞こえます。
赦しは、一旦完璧なものとなれば、すぐ近くまで超時性を運んでくるので、天国の歌が聞こえるようになります。
それは、耳で聞くのではなく、神の子の内側の奥深くに永遠に留まっている祭壇から一度も去ったことのなり聖性をもって聞く歌です。
この歌をもう一度聞く時、その人は、自分が確かにそれを聞いていなかったことは一度もなかったということを知ります。
そして、裁きの夢が片づけられた時、時間はいったいどこに存在するというのでしょう。
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どんな形であれ、あなたが恐れを感じる時、-そしてもし、深い満足と助けに対する確信と天国が自分と共にあるという穏やかな安心を感じていないとしたら、あなたは確かに恐れているのですがーそのような時、自分が偶像を作り出し、それらが自分を裏切るだろうと確信して間違いありません。
そのような偶像が自分を救ってくれるというあなたの期待の奥には、自己背信や不確かさがもたらす罪悪感や苦痛が横たわっていて、それらがあまりにも深く苦々しいものであるため、その夢でさえあの悲運の感覚の全てを完全に隠し切れなくなっています。
あなたの自己背信は恐れという結果をもたらさずにはいません。
なぜなら、恐れとはすなわち裁きであり、必ず血まなこになって偶像を探し求め、死を探し求めることにつながるからです。
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赦しの夢があなたに思い出させるのは、自分自身を攻撃したことはないということです。
したがって、あなたの子供じみた恐怖は溶け去り、夢はあなたが偶像を崇拝して攻撃を続けるための再度の試みではなく、新しい出発をしたというしるしとなります。
赦しの夢は夢の中に現われる全ての人影に対して親切です。
それゆえに、 赦しの夢は、その夢を見る者に恐れの夢から完全な解放をもたらします。
その人は自分の裁きを恐れません。
なぜなら、その人は誰も裁かなかったからです。
裁きによって解放されようとはしなかったからです。
そして、その間ずっと、裁きのもたらす罰から自分を救う方法が、裁きそのものであるように見えていた時には忘れていたものをその人は思い出しています。
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