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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第9章 「贖罪の受容」9-2本文
第9章9-2 祈りに対する答え
ACIM-Text- chapter9-2-1
何かを求めて祈ったことのある人なら誰でも、その祈りが聞き入れられなかったように思える経験をしたことがあるはずです。
これは、ただ害を及ぼしそうな特定の物事に関してだけでなく、あくまでもこのコースの教えにきちんと従った願い事をしている場合に関しても言えることです。
特に後者のほうは、このコースで言われていることは、その通りのままを意味していないという「証拠」として、間違って解釈されるかもしれません。
しかし、このコースは、恐れからの脱出を目的としていると繰り返し言っていることを、思い出さなければなりません。
ACIM-Text- chapter9-2-2
では、あなたが聖霊に求めていることは、自分が真に望んでいても、まだそれに恐れを抱いていることでもある、と仮定してみましょう。
このような場合には、その達成はもはやあなたが望むことではなくなっています。
それ故に、たとえ癒しの状態が達成されている時でさえも、ある特定の具体的な形の癒しは達成されません。
ある人は、身体的な悪化状態を恐れているという理由で、身体の癒しを求めるかも知れません。
しかし、それと同時に、もし、その人が肉体が癒されたならば、それがその人の思考体系に与えることになる脅威は、肉体的疾患そのものよりもその人にとっては遥かに恐ろしいものになるという場合もあります。
このような場合、その人は実際には恐れからの解放を求めているのではなく、ただその人自身が選び出した症状を取り除くことを求めているだけです。
したがって、この願い事は全く癒しを求めてはいません。
ACIM-Text- chapter9-2-3
聖書は、全ての祈りには応えが与えられると強調していますが、これは確かに真実です。
聖霊に何かを頼んだというまさにその事実があるだけで、応答は保証されています。
しかし、聖霊から与えられる応答は決して恐れを増大させるものではないということも、同様に確かなことです。
聖霊の答えが聞かれないということは有り得ます。
しかし、それが失われることは有り得ません。
あなたが既に受け取ってはいてもまだ聞き入れてはいない答えが、数多くあります。
そうした答えがあなたを待っているということを、私が保証します。
ACIM-Text- chapter9-2-4
あなたの祈りが応えられていると知りたいのなら、決して神の子を疑ってはなりません。
神の子を疑問視してはならず、困惑させてはなりません。
なぜなら、その人に対するあなたの信があなた自身の信だからです。
もし、神と神の答えとを知りたいなら、あなたに対して揺ぎない信を置いている私を信じなさい。
聖霊に真実の願い事をしておいて、あなたの兄弟を疑うということが出来るでしょうか。
兄弟の言葉は、その人の中にある真理ゆえに真実であると、信じなさい。
あなたは兄弟の中にある真理と結びつき、そうしてその兄弟の言葉は真実そのものとなります。
あなたはその人の声を聞く時に、私の声を聞きます。
ただ真理に耳を傾けることだけが、今それを聞き、ついにはそれを知ることが出来るようになる唯一の方法です。
ACIM-Text- chapter9-2-5
兄弟があなたに送るメッセージは、それはあなた次第です。
その人はあなたに何を言うでしょうか。
あなたはその人に何と言わせたいのでしょうか。
その人についてあなたが決断することが、あなたがどのようなメッセージを受け取ることになるかを決定します。
聖霊が兄弟の中に在るということ、そして兄弟を通じて聖霊があなたに語るということを、思い出しなさい。
これほどに神聖な兄弟が、真理以外に何を、あなたに語れるでしょう。
しかし、あなたはそれに耳を傾けているでしょうか。
兄弟は自分が誰であるかを知らないかもしれませんが、その人の心の中はそれを確かに知っている光があります。
この光はあなたの心の中に入って輝くことができ、その人のの言葉に真理をもたらし、あなたにその人の言葉が聞こえるようにしてくれます。
その人の言葉こそが、聖霊からあなたに対しての答えです。
その言葉を聞けるほどに強い信を、あなたは兄弟に対して抱いているでしょうか。
ACIM-Text- chapter9-2-6
あなたは自分ひとりのために喜びを見い出せないのと同じように、自分ひとりのために祈ることも出来ません。
祈りとは、包含を別の言葉で言い換えたものであり、神の法則に従って聖霊によって導かれます。
救済はあなたの兄弟から来るものです。
聖霊はあなたの心から兄弟の心へと拡張していき、その上であなたに答えます。
あなたは、あなたはひとりではないからです。
そして、聖霊は本来あなたのためだけにあります。
あなたは、私があなたに対して抱いている信用を拡張させない限り、その信頼を知ることはありません。
聖霊の導きを他者の中に聞かない限り、あなたはその導きを信用せず、またそれが自分に向けられたものだということも信じないでしょう。
それはあなたのためのものだからこそ、兄弟のためのものでもあるはずです。
神は、あなた一人だけのために声を創造したでしょうか。
あなたは、神が全ての神の子たちに与える答えを聞かず、神の答え聞くことが出来るでしょうか。
あなたが私に聞かせたいと思うことを、あなたの兄弟から聞きなさい。
私が欺かれることをあなたは望まないはずです。
ACIM-Text- chapter9-2-7
神と同じように、私もあなたの中にある真理ゆえにあなたを愛します。
あなたの欺瞞はあなたを欺くかもしれませんが、私を欺くことは出来ません。
本来のあなたを知っている私は、あなたを疑うことは出来ません。
私に聞こえるのは、あなたの中からあなたを通して私に語りかける聖霊だけです。
もし、あなたが私の声を聞きたいのなら、兄弟たちの声を聞きなさい。
神の声はその人たちの中で語ります。
全ての祈りに対する答えはその兄弟達の中にあります。
全ての人の中に答えを聞く時、あなたに答えが与えられます。
その他のものには、何も耳を傾けないようにしなさい。
さもないと、あなたが真に聞くことはありません。
ACIM-Text- chapter9-2-8
私はあなたを信じているのだから、あなたも自分の兄弟たちを信じなさい。
そうすれば、私のあなたに対する信念は正当だということが分かってきます。
神がその兄弟たちに授けたもののゆえにその人たちを信じることによっで、私を信じなさい。
あなたが兄弟たちに真理だけを求めることを学ぶなら、その人たちはあなたに答えてくれます。
兄弟たちを祝福せずに、祝福を求めてはなりません。
なぜなら、このようなやり方でのみ、いかにあなたが祝福されているのかを学べるからです。
このやり方に従うことによって、あなたは自分の内なる真理を探究しています。
これは。あなた自身を越えていくことではなく、あなた自身に向かっていくことです。
神の子たちの中の神の答えのみを聞きなさい。
そうすれば、あなたに答えが与えられます。
ACIM-Text- chapter9-2-9
信じないという事は、敵対することであり、攻撃することです。
信じる事とは、受け入れることであり、味方になることです。
信じるという事は、物事を妄信することではなく、受け入れて真価を認めるということです。
あなたは、自分が信じていないものの真価を認めることはせずに、自分が価値を認めていないものに対して、感謝の念を抱くということは出来ません。
判断とは値踏みするということであるので、判断に対してあなたが支払う代償があります。
そして、あなたは自ら値をつけた通りの対価を払うことにります。
ACIM-Text- chapter9-2-10
もし、支払うことが手に入れることと同一視されるなら、あなたは値踏みを低く設定しながら、高い見返りを要求するでしょう。
しかし、あなたが忘れているのは、値をつけるということは価値を見積もることなので、あなたに返ってくるものは、価値に対してのあなたの判断に比例するという点です。
もし、支払うことが与えることと関連付けられるなら、それが損失として知覚されることは有り得ず、与えることと受け取ることの互恵的な関係性が認識されます。
そうすれば、返ってくるものの価値ゆえに、値踏みは高く設定されます。
手に入れることの代価は、価値を見失うことでであり、それにより、必然的に自分の受け取るものを軽んじることは避けられません。
その価値を少ししか認めていないあなたは、その真価を認めることも、望むこともなくなります。
ACIM-Text- chapter9-2-11
ということは、決して忘れてはならないのは、自分が受け取るものの価値を自分で設定するということ、そして自分が与えるものによってそれに値をつけるということです。
僅かなもので多くのものを手に入れることが可能だと信じるのは、神と取り引き出来ると信じることです。
神の法則は常に公正であり、完全に首尾一貫しています。
あなたは与えることによって受け取ることになります。
しかし、受け取るということは受け入れるということであり、ただ手に入れるということではありません。
所有しないということは不可能ですが、自分が所有しているということを分かっていないということは有り得ます。
所有しているという認識は、進んで与えようとする意欲であり、ただこの意欲によってのみ、自分が持っているものを認識できます。
したがって、あなたが与えるものとは、あなた自身が持っているもの自分で与えた価値に他ならず、あなたがそれにどれほどの価値を認めているかを正確に示す尺度です。
そしてこれが、ひいてはあなたがどれほどそれを望んでいるかの尺度でもあります。
ACIM-Text- chapter9-2-12
そうであるなら、あなたはただ聖霊に与えることによってしか、聖霊から求めることは出来ません。
そして、聖霊を認識できるところにおいてしか、聖霊に与えることは出来ません。
もし、あなた全ての人の中に聖霊を認識したなら、どれほど多くを聖霊から求めることになるのか、そしてどれほど多くを受け取ることになるか、考えてみなさい。
あなたが聖霊に対して何も拒まなかったという理由で、聖霊はあなたに対して何一つ拒まないでしょう。
それ故に、あなたは一切を分かち合うことが出来ます。
これが聖霊の答えを得るための方法であり、そのための唯一の方法です。
なぜなら、聖霊の答えこそが、あなたが求めることができ、望むことが出来る全てだからです。
では、誰に対しても次のように言いなさい。
『私は自分自身を知ることを意志するので、あなたを神の子であり、私の兄弟として見ます。』
奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第9章 「贖罪の受容」目次