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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第9章 「贖罪の受容」9-8本文
第9章9-8 壮大さと尊大さ
ACIM-Text- chapter9-8-1
壮大さは神に属し、それも神だけに属するものです。
したがって、それはあなたの中にあります。
たとえそれがいかに微かであってもそれに気づく時は、あなたはいつでも自我を自ずと捨て去ります。
なぜなら、神の壮大さの前では自我の無意味さがすっかり明かになるからです。
こうした事が起こる時、自我はたとえそれを理解していないにも関わらず「敵」が襲ってきたと信じ、あなたが自我の「庇護」のもとに戻ってくるようにと、贈り物を差し出そうとします。
自我が差し出せる贈り物は、慢心だけです。
自我の尊大さが、神の壮大さに代わる自我の選択肢です。
あなたはどちらを選択するでしょうか。
ACIM-Text- chapter9-8-2
尊大さとは、いつでも絶望感を隠すためのベールです。
それは実在しないので、希望はありません。
それは、卑小さは実在するという信念に基づいて、あなたの卑小さを打ち消そうとする試みです。
この信念がなければ尊大さには意味がなく、あなたがそれを望むことも有り得ません。
尊大さの本質とは、競争心です。
なぜなら、それはいつも攻撃を必然的に伴うからです。
それは、凌駕しようという妄想的な試みであり、取り消そうとする試みではありません。
私たちは、自我は猜疑心と凶暴性の間を揺れ動くということは、すでに語ってきました。
あなたが自分自身に絶望している間は、自我は猜疑心を持ち続けます。
あなたが自己卑下に甘んじることを辞めて、苦しみの軽減を求めるという決断をするなら、自我は凶暴性に移行します。
その後、自我は「解決策」として、攻撃という幻想をあなたに差し出します。
ACIM-Text- chapter9-8-3
自我には、壮大さと尊大さとの違いが理解できません。
なぜなら、奇跡志向の衝動と、自我そのものがもつ信念の中で、自らにとって異質な信念とその見分けがつかないからです。
既に述べたように、自我は自らの存在に対する脅威を認識してはいますが、このように非常に異なった種類の脅威を区別しません。
自らの深い脆弱性ゆえに、自我は攻撃という観点からしか判断できません。
自我が脅威を感じると、自我が下す判断は、今すぐ攻撃するか、それとも後から攻撃するために今は撤退するか、そのどちらしかありません。
もし、あなたが自我の差し出す尊大さを受け入れるなら、自我は直ちに攻撃します。
もし、あなたがそれを受け入れないなら、自我は待ちます。
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自我は神の壮大さの前では動けなくなります。
なぜなら、神の壮大さがあなたの自由を確立するからです。
あなたの実相性については僅かにほのめかすだけでも、文字通り自我をあなたの心から追い払うことになります。
なぜなら、その時あなたは、自我に対する一切の思い入れを手放すからです。
壮大さには幻想が全くありません。
そして、それは実在するので、有無を言わせない説得力があります。
けれども、実在するという確信は、あなたが自我にそれを攻撃させずにしておかなければ、あなたのもとに留まりません。
自我はあらゆる努力を払って挽回しようとして、あなたの解放を阻止するためのエネルギーを総動員します。
自我は、あなたは正気ではないと告げるでしょう。
そして、自我が信奉する卑小さのために、壮大さがあなたの真の一部であるはずがないと説き伏せようとするでしょう。
けれども、あなたの壮大さは、あなたが作り出したのではなく、それゆえに、妄想的なものではありません。
あなたは自分で尊大さを作り出し、それを恐れています。
しかし、あなたの壮大さは神に属し、神はそれを神自身の愛から創造しました。
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あなたの壮大さからは、祝福することだけが可能です。
なぜなら、あなたの壮大さはあなたの豊かさだからです。
祝福することによって、あなたは壮大さを心の中に保持し、それを幻想から守り、自分自身を神の心の中に留めます。
あなたは神の心の中以外の何処にも在ることはないということを、いつも覚えておきなさい。
これを忘れる時、あなたは必ず絶望し、攻撃することになります。
ACIM-Text- chapter9-8-6
自我を容認しようというあなたの気持ちだけに自我は依存しています。
もし、あなたに自分の壮大さを見ようとする意欲があるなら、絶望することは有り得ません。
したがって、自我を望むことは有り得ません。
あなたの壮大さは、自我に対する神の答えです。
なぜなら、その壮大さは真実だからです。
卑小さと壮大さとは共存不可能であり、また交互に両者が入れ替わることも不可能です。
卑小さと尊大さは交互に入れ替わることが可能であり、それは必ず入れ替わります。
それはどちらも真実ではなく、したがって、同じレベルにあるからです。
それは変化のレベルなので、変化しているものとして体験されます。
そして極端な物事がそのレベルの本質的な特徴です。
ACIM-Text- chapter9-8-7
壮大さは真理であるので、真理と卑小さは相互に否定し合います。
真理は揺れ動くことはなく、それはいつでも真実であり続けます。
壮大さがあなたからすり抜けていく時は、あなたは壮大さを、自分で作り出した何かに置き換えてしまったということです。
その何かとは、卑小さへの信念かもしれませんし、あるいは、尊大さへの信念かもしれません。
けれども、それは真実ではないので狂っているに違いありません。
あなたの壮大さがあなたを欺くことは絶対にありませんが、あなたの幻想は必ずあなたを欺きます。
幻想は欺瞞です。
あなたは勝つということは出来ず、ただ高みへと引き上げられます。
そして、この崇高なる状態において、あなたは自分と同じような者たちを捜し求め、その人たちと共に喜び合います。
ACIM-Text- chapter9-8-8
壮大さを尊大さから区別することは容易なことです。
愛は戻ってきますが、自惚れは戻ってこないからです。
自惚れは奇跡を生み出すことはなく、それ故にあなたの実相の真の証人をあなたから奪います。
真理は不明瞭でもなければ、隠されてもいません。
しかし、真理があなたに明白になるのは、あなたが真理の証人たちに喜びをもたらす時です
その人たちがあなたにそれを見せてくれます。
その人たちはあなたの壮大さを証明しますが、自惚れは分かち合えないので、自惚れを証明することは出来ません。
神は、神自身が創造したものをあなたにしっかり見て欲しいと思っています。
なぜなら、それが神の喜びだからです。
ACIM-Text- chapter9-8-9
あなたの壮大さを神自身が証しする時、あなたの壮大さが傲慢で有り得るでしょうか。
そして、証人がいないのに実在し得るものがあるでしょうか。
そのようなものからいかなる善きことが生じ得るでしょうか。
もし、何も善きことが生じないなら、聖霊はそれを使うことは出来ません。
聖霊が神の意志へと変換できないものは、そもそも存在してはいません。
尊大さはあなたの壮大さの代わりに使われるので、尊大さは妄想的です。
けれども、神が創造したものを取り替えることは出来ません。
神の壮大さは全的なものなので、あなたがいなければ神は不完全であり、それ故にあなたがそこから欠けることは有り得ません。
ACIM-Text- chapter9-8-10
神の心の中では、あなたは全く代替不可能な存在です。
他に誰もその中にあるあなたの持ち場を埋めることは不可能です。
そして、あなたが神の心の中におけるあなたの持ち場を空にしている間ずっと、永遠にあなたの場所はただあなたの帰りを待っています。
神は神自身の声を通じて、そのことをあなたに思い出させ、神自身があなたの拡張したものをその場所安全に保っています。
けれども、その場所へ戻るまで、あなたはそれらを知りません。
あなたは神の国を取り替えることは出来ません。
また、あなたは自分自身を取り替えることは出来ません。
あなたの価値を分かっている神は、そのようなことはさせません。
したがって、そのようになってはいません。
あなたの価値は神の心の中にあり、したがって、あなたの心の中だけにあるのではありません。
神が創造したままの自分自身を受け入れることが傲慢なはずがありません。
あなたの卑小さを受け入れることこそ傲慢です。
なぜなら、それは自分自身についてのあなたの評価は、神の評価よりも真実だと、あなたが信じていることを意味するからです。
ACIM-Text- chapter9-8-11
しかし、真理が不可分のものであるとすれば、自分自身についてのあなたの自己評価は、まさしく神によるあなたの評価でもあるに違いありません。
あなたが自分の価値を確立したのではないため、それは防衛される必要はありません。
いかなるものもそれを攻撃できないばかりか、それを打ち負かすことも出来ません。
それは移り変わることもありません。それは、ただ在るのみです。
それが何であるのかを聖霊に尋ねなさい。
そうすれば、聖霊は教えてくれるでしょう。
しかし、聖霊の答えに恐れを抱いてはいけません。
なぜなら、それは神から訪れるからです。
それはその源ゆえに、それは崇高な答えであり、その源は真実であり、その答えも同様です。
耳を傾けなさい。
そして、自分の聞くことを疑ってはなりません。
神は欺くことをしないからです。
聖霊は自我の卑小さへの信念を、あなたの本性についての聖霊自身による崇高な答えと、取り替えさせるでしょう。
それによって、あなたはそれに疑いを抱くのをやめて、それをあるがままの形で知ることが出来るようになるでしょう。
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