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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第9章 「贖罪の受容」9-7本文
第9章9-7 二つの評価
ACIM-Text- chapter9-7-1
神の意志があなたの 救済です。
それを見つけるための手段を、神があなたに与えなかったということが有るでしょうか。
もし、あなたがそれを手にすることを神が意志するのであれば、神はそれを可能にし、容易に手に入るようにしたはずです。
兄弟たちは至る所にいます。
救済を求め遠くを探す必要はありません。
毎分、毎秒ごとに、あなたに自分自身を救う機会は与えています。
こうした機会を逃さないようにしなさい。
その機会が再び訪れないからではなく、喜びを遅らせる必要がないからです。
神は、あなたがいま完璧に幸福であることを意志しています。
これはまた、あなたの意志でもあると言えないでしょうか。
それに、これが兄弟たちの意志でもあると言えないでしょうか。
ACIM-Text- chapter9-7-2
それでは、この共同の意志においてあなたたち全員がひとつに結びついているということ、そしてこのことにおいてのみ結びついているということ、を考えてみなさい。
他の事については意見の不一致はあるかもしれませんが、これについてはそうではありません。
そうであれば、これこそが、あなたが平安の中に留まる場所ということになります。
そして、あなたが自ら平安の中に留まろうと決断するなら、あなたはそこに留まります。
けれども、贖罪を受け入れない限り、あなたは平安の中に留まることは出来ません。
なぜなら、贖罪こそ平安への道だからです。
その理由は極めて単純で非常に明白なので、しばしば見過ごされています。
自我は明白なものに恐れを抱きます。
なぜなら、明白さは、実相の本質的な特徴だからです。
けれども、あなたは見ていないというのでない限り、明白なものを見過ごすことは有り得ません。
ACIM-Text- chapter9-7-3
聖霊が、知覚する全てのものを愛をもって見ているとすれば、あなたのことも愛をこめて見てくれることは本当に明白です。
聖霊によるあなたの評価は、あなたが何であるかということについて 聖霊の叡智に基づいています。
したがって、 聖霊はあなたを真に見通します。
そして、この眼差しは、あなたの心の中にあります。
なぜなら、 聖霊はそこにいるからです。
自我もまた、あなたの心の中にいます。
なぜなら、あなたが 自我をそこに受け入れたからです。
しかし、あなたについての 自我による評価は 聖霊による評価とは正反対です。
それというのも、 自我はあなたを愛していないからです。
自我はあなたが何であるかについて認識していません。
自我のの知覚はとても変わりやすいので、自らが知覚するものをことごとく全く信用していません。
したがって、 自我は、良くしても疑ぐり深く、悪くすれば凶暴にになりかねません。
これが 自我の占める範囲です。
自我は決して確信が持てないので、この範疇を越えることは出来ません。
そして、 自我は決して確かにはなれないので、決してこれを越えることはありません。
ACIM-Text- chapter9-7-4
では、あなたの心の中には自分自身について、相容れない二つの評価があり、その両方が真実では有り得ません。
まだあなたは、こうした評価がどれほど完全に異なったものであるかを気がついていません。
なぜなら、 聖霊が本当のあなたをどれほど高貴なものとして知覚しているのか、あなたは理解していないからです。
聖霊はあなたの本性を決して忘れないので、あなたが何を行うかによっても欺かれることはありません。
自我はあなたが行う全てのことによって欺かれます。
特にあなたが 聖霊に応答する時はそうです。
なぜなら、そのような時には 自我の混乱が深まるからです。
したがって、あなたが愛を持って応答する時には、 自我はあなたに攻撃する可能性は高まります。
なぜなら、 自我はあなたを愛のない存在として評価しているのに、あなたはその判断に背いているからです。
あなたの動機が、 自我が知覚しているあなたとは明らかにそぐわないものになるや否や、 自我はそれを攻撃します。
自我が猜疑心から凶暴性に突如として移行するのはこの時です。
それは、 自我の確信のなさが深まるからです。
けれども、言うまでも無く、これに対して反撃することは無駄なことです。
そのような反撃には、あなたの本性についての 自我の評価に、あなたが同意していること以外に何を意味し得るでしょう。
ACIM-Text- chapter9-7-5
もし、あなたが自分自身を愛の存在として見ることを選ぶなら、あなたは幸せにはなりません。
あなたは自分自身を咎めているのであり、自分自身を力不足であると見なしているに違いありません。
あなたがこの力不足という感覚から逃れるために、あなたは 自我に頼ろうとするのでしょうか。
自我が、自分でその感覚を生み出したものであり、自らの存在のためには維持していかなければならないものです。
このような 自我像をそのままに保つための 自我の方策を用いることで、あなたが 自我による評価から逃れるでしょうか。
ACIM-Text- chapter9-7-6
自我の信念体系を、その内側から評価することは不可能です。
それが占める範囲のゆえに、これが不可能になっています。
あなたに出来ることは、ただその狂気の思考体系を越えて、正気が存在する地点から振り返り、正気と狂気の対照性を見ることだけです。
この対照性によってしか、狂気が狂気として判断されることはあり得ません。
神の壮大さを内に持ちながら、あなたは卑小さであることを選び、自分の卑小さを嘆くという選択をしています。
この選択を命じた思考体系の内側では、悲嘆は避けられません。
そこでは自分の卑小さは当然のものとされ、「誰がそれを認可したのか」と問うことはありません。
この質問は 自我の思考体系の中にあっては無意味です。
なぜなら、それは 自我の全思考体系を疑問に晒すことになるからです。
ACIM-Text- chapter9-7-7
私は既に、 自我は何が真の質問であるかを知らない、と述べました。
叡智の欠如は、それがいかなる種類のものであっても、知る意欲の欠如と常に関連していて、これは叡智とは全的なものであるという単純な理由から、叡智の全面的な欠如を生み出します。
したがって、あなたの卑小さを疑わないということは、一切の叡智を否定することであり、 自我の全思考体系を完全に保つことに他なりません。
思考体系の一部のみを保持することは出来ません。
なぜなら、思考体系はただその土台からしか疑問視できないからです。
そして、その土台はその思考体系を越えたところから疑問視しなければなりません。
なぜなら、その内側では、その土台には確かに有効性があるからです。
聖霊が 自我の思考体系の実在性を拒む理由は、単に 聖霊はその土台が真実ではないと知っているからです。
したがって、そこから生じるものが何であっても何の意味もありません
聖霊は、あなたの保持する信念の一つ一つを、それがどこからきているかという観点から判断します。
もし、それが神からのものなら、 聖霊はそれが真実であると知ります。
もし、それが神からのものでなければ、 聖霊はそれが無意味であると知ります。
ACIM-Text- chapter9-7-8
あなたが自分の価値に疑問をもつ時は、いつでも次の言葉を言いなさい。
私がいなければ、神自身が不完全です。
自我が語る時にはこれを思い出しなさい。
そうすれば、 自我の声は聞こえなくなるでしょう。
あなたについての真理は実に高貴なものなので、神に相応しくないものは一切あなたにとっても相応くありません。
それならば、これらの観点から、自分が望むのは何なのか選びなさい。
そして、神に完全に適したものとして神に捧げたいと思えないようなものは、何も受け入れてはなりません。
それ以外には、あなたは何も望んでいません。
あなたという一部を神に返しなさい。
そうすれば、神に属し、神を完全にするものが戻されたことと引き換えに、神は神自身の全てをあなたに与えるでしょう。
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