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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第9章「贖罪の受容」9-4本文
第9章9-4 聖霊の 赦しの計画
ACIM-Text- chapter9-4-1
贖罪は全ての者のためにあります。
なぜなら、それは何かがあなた一人だけのためにあるという信念を、取り消す方法だからです。
赦すとは見過ごすことです。
では、誤りを越えたところを見なさい。
そして、あなたの知覚を誤りの上に留めておいてはなりません。
そうしないと、あなたは自分の知覚が捉えているものを信じるからです。
あなたが自分自身を知りたいなら、あなたの兄弟の本性だけを真実として受け入れなさい。
兄弟の本性ではないものを知覚するなら、あなたは兄弟を間違った見方で見ているので、自分自身の本性を知ることが出来ません。
あなたの真のアイデンティティーは分かち合われているということを、そして分かち合われるということがそのアイデンティティーの実相だということを、常に覚えておきなさい。
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あなたには贖罪において果たすべき役割がありますが、その贖罪の計画はあなたを調節しています。
あなたは間違いを見過ごす方法を理解していません。
理解していたなら、もとより誤りを犯すことはありません。
自分は間違いを犯さないと信じることや、訂正するための導き手なしに自分の誤りを訂正できると信じるのは、たださらに誤りとなるだけです。
そして、もしあなたがこの導き手に従わないなら、あなたの誤りは訂正されません。
自分は何であるかについてあなたの考えは制限されたものであるので、贖罪の計画はあなたによる計画ではありません。
こうした制限の感覚が、全ての誤りが生じる場です。
したがって、誤りを取り消す方法はあなたからのものではなく、あなたのためのものです。
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贖罪は分かち合うことについてのレッスンであり、あなたがどのように分かち合えばいいのか忘れてしまったからこそ、これがあなたに与えられています。
聖霊は単に、あなたの能力の自然な使い方をあなたに思い出させるだけです。
攻撃する能力を、分かち合う能力に解釈し直すことによって、 聖霊はあなたが作り出したものを神が創造したものへと翻訳します。
もし、これをあなたが 聖霊を通して為し遂げようとするなら、あなたは自分の能力を 自我の目を通して見てはなりません。
そのように見るなら、あなたも 自我と同じように、自分の能力を裁くことになります。
あなたの能力の有害性は全て、 自我による判断の中にあります。
あなたの能力の有用性の全ては、 聖霊による判断の中にあります。
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自我にもまた許しの計画はあります。
というのも、あなたがそれを求めて居るからですが、とはいえ適任の教師に求めてはいません。
当然、 自我の計画は意味をなさないし、うまくもいきません。
自我の計画に従えば、あなたはただどうしようもない状況に自分自身を置くことになるだけであり、 自我は常にそのような状況にあなたを導きます。
自我の計画は、先ずあなたに誤りをはっきり見せた上で、その誤りを見過ごさせるというものです。
けれども、自分で実在すると思い込んだものを、どうやって見過すことが出来るでしょうか。
それをはっきりと見ることによってあなたがそれを実在するものとしたので、あなたはそれを見過ごすこと出来ません。
ここにおいて、 自我は「神秘」に訴えざるを得なくなり、自分自身を救うためにあなたは無意味なものを受け入れなければならないと主張します。
多くの人が私の名においてこれをしました。
そして、私の言葉は神から来ているがゆえに完璧に意味をなしているということは忘れられました。
私の言葉は以前からずっとそうであったように、今も意味あるものです。
なぜなら、それは永遠なる想念について述べているからです。
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私から学ぶ 赦しは、恐れを取り消すために恐れを使うということはしません。
また、実在しないものを実在のものだとした上で、それを打ち砕くこともしません。
聖霊を通しての 赦しは、単に初めから誤りを越えたところを見ることにより、誤りをあなたにとって実在しないままにしておくことにあります。
それが実在するという信念を、自分の心の中に入り込ませないようにしなさい。
さもないと、あなたは自分が赦されるためには、自分が作り出したものを自分で取り消さなければならないということも、信じることになります。
何であれ結果を伴わないものは存在しないのであり、 聖霊にとっては、誤りの結果は存在していません。
聖霊は、あらゆる場所とあらゆる側面において、その結果を着実に一貫して取り消すことによって、 自我は存在しないと教え、それを証明します。
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なぜなら、 赦しが 聖霊の機能であり、 聖霊はそれを完全に果たす方法も分かっているからです。
奇跡は自然なものであり、それが起こらない時には何か間違いがある、と私が述べた時、こういう意味だったのです。
奇跡とは単に、 聖霊の 救済の計画が何なのか理解していないと認識した上で、その計画に従う意欲があるということを表すしるしに過ぎません。
聖霊の仕事はあなたの機能ではありません。
このことを受け入れない限り、あなたは自分の機能が何であるのかを学ぶことは出来ません。
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機能についての混乱は 自我にはよくあることなので、あなたは今ではもうすっかりこのことに慣れているはずです。
自我は、全ての機能は自分に属していると信じていますが、ただしそれらの機能がどんな機能であるかは全然分かっていません。
これは単なる混同以上のものです。
それは、尊大さと混同のとりわけ危険な組み合わせであり、こうしたことが 自我を、何の理由もなしに人や物事を攻撃しがちなものにします。
そして、 自我はまさしくそのように行動します。
自我は自分が何を知覚しているのか全然分かってなどいないので、 自我がどう反応するかは予測不可能です。
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もし、何が起こっているのかあなたが全然分からないのなら、どれほど適切な反応を自分に期待できるでしょう。
その反応をあなたがどう説明するかは別として、このように予測不可能な 自我が、あなたにとって導き手として安定した地位につくに相応しいかどうか、あなたは自分に聞いてみてはどうでしょうか。
繰り返しますが、導き手としての 自我の資格は非常に嘆かわしいものであり、それ故に 救済の教師としては、 自我は実にお粗末な選択肢です。
全面的に狂った導き手を選択する者は誰であれ、自分自身が全面的に狂っているに違いありません。
それに、その導き手が狂っているということがあなたには分からないというのも真実ではありません。
私にそれが分かるのであるから、あなたにもそれは分かるのであり、あなたは私が持っているのと同じ基準によってそれを判断しています。
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自我は文字通り、借りてきた時間を糧に生きていて、その余命はいくばくもありません。
最後の審判を恐れず、歓迎しなさい。
そして、 自我の時間はあなたの永遠性からの「借りた」ものなのだから、待つのはやめなさい。
最後の審判は キリストの再臨であり、それは最初の降臨が創造されたのと同じように、あなたのために作られたものです。
キリストの再臨とは単に正気が取り戻されるということに過ぎません。
いったい、これが恐ろしいもので有り得るでしょうか。
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空想以外の何が恐ろしいものとなり得るでしょう。
そして、実相の中に満足を見いだせないと絶望しているのでない限り、誰が空想に頼るでしょう。
しかし、あなたは決して空想の中に満足しないということは確実なので、あなたの唯一の望みは、実相についての自分の心を変えることだけです。
もし、実相は恐ろしいものだという決断が間違っている場合にのみ、神が正しいということになります。
そして、私は神は確かに正しいとあなたに保証します。
それならば、あなたは自分が間違っていたことを喜びなさい。
それはただ、自分は誰なのかをあなたが知らなかったからです。
それを知ってさえいたら、神と同様に、あなたも間違うことは有り得ませんでした。
ACIM-Text- chapter9-4-11
有り得ないことは空想の中だけで起こり得ます。
あなたが空想の中に実相を捜し求めようとすれば、それは見つかりません。
空想を表す象徴は 自我からのものであり、そのようなものなら、あなたはたくさん見つけるでしょう。
しかし、そうしたものの中に意味を捜したりしてはなりません。
それらの象徴は、それらが織りなしている空想と同じく何の意味もありません。
おとぎ話には楽しいのもあれば怖いものもありますが、誰もそれが真実だとは言いません。
子供たちはそのような話を信じるかもしれません。
したがって、しばらくの間はその物語は子供たちにとっては真実になります。
けれども、実相が理解され始めると、空想は消え去ります。
その間中ずっと、実相が消え去っていた訳ではありません。
キリストの再臨とは実相を自覚することであり、実相が戻ることではありません。
ACIM-Text- chapter9-4-12
私の幼い子よ、見なさい。実相はここにあります。
それはあなたと私と神に属し、私たち全てにとって完璧に満足出来るものです。
これは真理を自覚であるので、この自覚だけが癒しをもたらします。
奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第9章 「贖罪の受容」目次