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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第9章 「贖罪の受容」9-3本文
第9章9-3 誤りの訂正
ACIM-Text- chapter9-3-1
他の 自我の誤りに対する敏感さは、 聖霊があなたに身に着けさせたい種類の警戒とは違います。
自我は、自らが指示する種類の「良識」という観点から、批判的です。
この種の良識は 自我にとっては理に適っているため、 自我はそれを理解できます。
聖霊にとっては、それは全然意味をなしません。
ACIM-Text- chapter9-3-2
自我にとっては、誤りを指摘し、それを「訂正する」のは親切なことで、正しく良い事だとしています。
何が誤りなのか、何が訂正なのか、を自覚していない 自我にとっては、これは完璧に意味があります。
誤りとは 自我に属するものであり、誤りの訂正は 自我を放棄することにあります。
兄弟を正そうとする時には、あなたはその兄弟が間違っていると言っていることになります。
その時、その人は意味の通らないことを言っているかもしれません。
そして、その人が 自我から語っているならば、その人が意味をなさないことは確実です。
しかし、それでもあなたの務めはやはり、その兄弟は正しいとその人に告げることです。
もし、その人が愚かなことを語っているのなら、あなたはその人が正しいと言葉で告げることはしません。
その人の誤りは別なレベルにあるので、その人には別なレベルでの訂正が必要です。
それでも、その人は神の子なのだから、依然として正しいのです。
その人の 自我は、たとえ何を言おうと何をしようと、常に間違っているのです。
ACIM-Text- chapter9-3-3
もし、あなたが兄弟の 自我の誤りを指摘するのなら、あなたは自分の 自我を通して見ているに違いありません。
なぜなら、 聖霊は兄弟の誤りを知覚しないからです。
自我と 聖霊の間にはコミュニケーションはないので、これは間違いなく真実です。
自我というものは意味をなさないものであり、 聖霊は 自我から生じるものは何であれ理解しようとはしません。
聖霊はそれを理解しないのだから、それを裁きもしませんが、 自我の作り出すものには何の意味もないと分かっています。
ACIM-Text- chapter9-3-4
あなたが誤りに少しでも反応する時には、あなたは 聖霊に耳を傾けてはいません。
聖霊は単に誤りを無視しているのですが、もしあなたが誤りに注意を向けるなら、 聖霊から聞いていないということになります。
もし、 聖霊から聞いていないなら、あなたは 自我に耳を傾けているのであって、あなたが誤りと知覚している相手である兄弟と同じように、あなたもほとんど意味をなしていません。
これは訂正では有り得ません。
しかし、それは単に兄弟が訂正されないという以上のものです。
それは、あなた自身の中で訂正を放棄するということです。
ACIM-Text- chapter9-3-5
ある兄弟が正気ではない行動をしている時に、あなたはただその人の中にある正気を知覚することによってしかその人を癒すことは出来ません。
もし、あなたがその人の誤りを知覚し、それを受け入れるならば、あなた自身誤りを受け入れていると言えます。
もし、あなたが自分の誤りを 聖霊に預けたいと思うのなら、兄弟の誤りについても一緒にそうしなければなりません。
こうしたやり方であらゆる誤りを扱うようにならない限り、あなたは全ての誤りがどのようにして取り消されるのかを理解出来ません。
これは、あなたは自分が教えることを学ぶと言うのと、どこが違うでしょうか。
あなたの兄弟はあなたと同じように正しいのであり、もしその兄弟は間違っていると考えるなら、あなたは自分自身に有罪判決をしていることになります。
ACIM-Text- chapter9-3-6
あなたは自分自身でさえ訂正できません。
では、そのあなたに他者を訂正することが可能でしょうか。
ただし、自分自身を真に見ることはできるので、兄弟も真に見ることは出来ます。
あなたに任されているのは、その兄弟を変えることではなく、ただその人をあるがままに受け入れることです。
その人の誤りは、その人の中にある真理から生じてはいません。
そして、この真理だけがあなたのものです。
兄弟の誤りはこうしたことを変えることも出来なければ、あなたの中の真理にいかなる影響も与えることは出来ません。
誰かの中に誤りを知覚し、それがあたかも実在するかのように反応するならば、あなたにとってはそれは実在のものとなります。
あなたはこれのための代価を支払なければならなくなりますが、それはそのための罰を受けるからではなく、間違った導き手に従っているので道に迷うことになるからです。
ACIM-Text- chapter9-3-7
あなたの誤りがあなたに属するものでないのと同じように、あなたの兄弟の誤りはその人に属するものではありません。
その人の誤りを実在のものとして受け入れると、あなたは自分自身を攻撃したことになります。
あなたの道を見い出し、それを保ちたいなら、ただ自分の傍らに真実だけを見なさい。
あなたと真理は一緒に歩んでいるからです。
あなたの中の 聖霊は、あなたと兄弟の中にある全てを 赦します。
兄弟の誤りはあなたの誤りと一緒に赦されます。
愛が分離していないのと同じように、贖罪も分離していません。
愛から生じている贖罪に、分離は有り得ません。
ある兄弟を正そうというあなたの試みは何であれ、あなたが自分で訂正するということが可能だと信じていることを意味します。
これはただ 自我の傲慢さでしかありません。
訂正とは、傲慢さを知らない神からのものです。
ACIM-Text- chapter9-3-8
聖霊の機能をあなたが引き受けてはなりません。
さもないと、あなたは自分の機能を忘れてしまいます。
時間の中では、癒す機能だけを受け入れなさい。
なぜなら、それが時間の使い道だからです。
神は永遠の中で創造するという機能をあなたに与えました。
あなたがそれを学ぶ必要はありませんが、それを望むことを学ぶ必要はあります。
そのために、全ての学びが作り出されました。
これが、あなたが必要としていないにも関わらず自分で作り出した能力を、 聖霊が活用する方法です。
それを 聖霊に預けてしまいなさい!
あなたはそれをどのように使うのか理解していません。
聖霊は、あなたがあらゆるものを咎めず見るにはどうすればいいのかを、あなたに教えてくれます。
そうすることにより、咎めはあなたにとって実在しなくなり、あなたの全ての誤りは赦されるでしょう。
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