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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第22章22-1本文
第22章22-1聖なる関係のメッセージ
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理性にもう一歩踏み込ませなさい。
もし、あなたが、神が癒そうとする者を攻撃し、神が愛する者を憎むとすれば、あなたと創造主とは異なる意思を持っていることになります。
しかし、あなたが神の意志そのものだとすれば、あなたはその時に自分が自分自身ではないと信じているに違いありません。
あなたは、まさにこう信じることも出来るし、確かに信じてもいます。
そして、このことに信を抱いていて、その裏付けとなる証拠もたくさん見ています。
それでいて、自分の何とも言えない不安感や、自分が切り離されているような感覚や、自分に意味が欠けているという執拗な恐れは、一体どこから生じるのだろうか、とあなたは訝しく思っています。
まるで、あなたはそこに迷い込んで来た者であり、彷徨うことだけが確かなことに思えるために、それ以外のどんな計画も持っていないかのようです。
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しかし、以前にこれと本当によく似た話を私たちは聞いたことがあります。
ただ、それはあなたについての話ではありませんでした。
しかし、それにも関わらず、あなたはそこに正確に描写されている奇妙な想念のことを自分だと考えています。
理性があなたに教えようとするのは、あなた自身のものでない目を通して見る世界には、あなたにとって何の意味も為さないはずだ、ということです。
このような見方は、誰の元にメッセージを送り返すのでしょうか。
あなたの元でないことは確かです。
あなた自身の視覚は、この世界を見る目には完全に依存しているわけではないからです。
もし、これがあなたの心眼でないとすれば、それはあなたに何を見せることが出来るのでしょうか。
頭脳は、あなたの心眼が見ているものを解釈することが出来ません。
このことは、あなたになら理解できるでしょう。
頭脳は、それそのものがその一部となっている 身体に向かって解釈します。
ところが、頭脳が告げる事を、あなたは理解できません。
それにも関わらず、あなたはそれに耳を傾けてきました。
そして、長い間、懸命にそのメッセージを理解しようしてきました。
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あなたは、あなたの元に全く届くことの出来ないものを理解することは不可能だということが、まだ分かっていません。
あなたは、今まで自分が理解できるようなメッセージをただの一つも受け取ってきませんでした。
というもの、あなたは決して意思の疎通を行うことが出来ないものに耳を傾けてきたからです。
そうすると、何が起こるか考えてみなさい。
自分の本性を否定し、自分は何か他のものだと固く信じれば、あなたが自分自身として仕立ててしまった「他の何か」が、あなたの視覚となります。
しかし、見ている主体は「他の何か」であって、あなたではないものが、それ自身が見ているものをあなたに向かって説明します。
もちろん、あなたの心眼は、こうした事を全く不必要にするでしょう。
とはいえ、もしあなたの目が閉じられていて、あなた自身がそのようなものを自分の導き手として頼りにし、それが見ている世界を説明してくれるように望んだとしたなら、あなたがそれに耳を傾けない理由も、それが告げることが真実ではないかもしれないと疑う理由も、なくなります。
理性があなたに告げることは、あなたがそれを理解しないが故に、それは真実では有り得ないということです。
神に秘密はありません。
神は、あなたに悲惨な世界を通過させてから、なぜそんなことをしたのかを旅路の最後を待ってあなたに教えるようなことはしません。
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一体何を神の意志から秘密に出来るでしょう。
それなのに、あなたは自分には秘密があると信じています。
あなたの秘密とは、神から離れてあなただけが持っている別の「意思」以外に何であり得るでしょう。
理性があなたに告げることは、これは罪として隠さなければならないような秘密ではないということです。
しかし、確かにそれは間違いではあります!
罪に対するあなたの恐れが、罪を訂正させずに守ろうとするのをそのままにしてはなりません。
なぜなら、罪悪の魅力とは単なる恐れに過ぎないからです。
たとえそれがいかなるものに見えるとしても、ここにあるのはあなたが作り出した唯一の感情です。
これは、秘密の感情であり、個人的な想念と 身体に伴う感情です。
これは、愛に対立し、常に相違の視覚と同一性の喪失へと導く唯一の感情です。
ここにあるのは、あなたを盲目のままに保つ唯一の感情です。
あなたは、その感情のために自分で作り出したと思っている自己に依存して、その自己があなたのために作り出した世界を通り抜けるための導きをその自己に求めます。
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あなたの視覚は、あなたが理解できる全てのものと共に、あなたに与えられました。
この心眼があなたに告げることを理解するに当たって、あなたはいかなる難しさも知覚しないでしょう。
というのも、誰もが自分の本性だと考えているものだけを見るからです。
そして、あなたの視覚があなたに見せるものを、それが真理であるが故に、あなたは理解するでしょう。
あなたの心眼だけが、あなたに見ることが出来るものをあなたに伝えられます。
それはあなたに対して解釈される必要もなく、直接あなたのもとに達します。
解釈を要するものは、異質なものに違いありません。
また、そのようなものだ、あなたには理解できない解釈者によって、理解できるものになるということも絶対に有り得ません。
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あなたが今まで受け取っても理解出来なかった多くのメッセージの中で、このコースだけはあなたに理解されやすく理解可能なものです。
これはあなたの言語です。
あなたはそれをまだ理解していませんが、その唯一の理由は、あなたの意思の疎通全体が生まれたばかりの赤ん坊のそれに似ているからです。
生まれたばかりの赤ん坊が出す声や聞き取る音は、極めて当てにならないものであり、それらはその子にとってその時々で違ったことを意味しています。
その子が聞く音も、目にする光景も、まだ安定していません。
しかし、その子に聞こえていて、理解できないものが、やがてはその子が周りの人々と意思の疎通を行うための母国語となります。
そして、その子が自分の周りに見ている奇妙に動くものが、いずれはその子を安心させる者たちとなり、その子は自分の家を認識し、自分と一緒にそこにいるその人たちが見えるようになります。
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そのようにして、神聖な関係の一つひとつにおいて、分離する代わりにコミュニケーションをはかる能力が再生します。
しかし、ほんの少し前に神聖ではない関係から再生したばかりの神聖な関係は、それに置き変わる以前にあった古い幻想よりも遥かに往古からのものではあっても、再生した今は生まれたばかりの赤ん坊のようなものです。
それでも、この幼子の中で、あなたの心眼があなたに戻されるのであり、この幼子はやがてあなたに理解できる言語を話すことになります。
この幼子は、あなたが自分自身だと思っていた「他の何か」によって育まれるのではありません。
その幼子は、あなた自身以外の何者かによってそこに与えられたわけではなく、受けとられたわけでもありません。
なぜなら、二人の兄弟たちをひとつと見る心眼を持った キリストに依らなければ、その人たちがひとつになることは出来ないからです。
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私の聖なる兄弟よ、自分に何が与えられているか考えてみなさい。
この幼子が、あなたが理解していないことをあなたに教え、それを平易にしてくれるでしょう。
なぜなら、その幼子の言葉は異国の言語ではないからです。
その幼子はあなたとの間で通訳を必要としません。
なぜなら、その幼子が知っていることを、既に知っていたがためにその幼子に教えたのは、あなただからです。
その幼子はあなた以外の誰のところにも来ることは出来なかったのであり、決して「他の何か」のところに来ることは出来ませんでした。
キリストが入ってきた場所では、誰も一人ではありません。
キリストは、分離した者たちの中に住む家を見つけることは出来ないからです。
しかし、 キリストは、新しく見えても彼自身と同じくらい往古の昔からの彼の家の中に小さな新参者として再生しなければならず、彼を生かすあなたの関係の聖性に依存しなくてはなりません。。
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神は、我が子を無価値の者たちには託してはいなかった、と確信しなさい。
神の一部をなすもののみに、つながり合うだけの価値があります。
また、何であれ、神の一部でないものがつながり合うことは有り得ません。
つながり合う者たちには、コミュニケーションが回復されているはずです。
なぜなら、それはその人たちが 身体によって為すことが出来ないことだからです。
それでは、何がその人たちをつなげたのでしょうか。
あなたに理性が教えるのは、その人が肉眼ではない心眼を通してお互いを眺め、 身体が語る事はない言葉でコミュニケーションをしたに違ないということです。
それに、その人たちを優しく引き寄せて一つにしたのは、恐ろしい光景や音では有り得ません。
むしろ、互いに相手の中に、自分の自己が安全と平安の中で再生できる完璧な避難所を見つけたのです。
その人の理性はこのようにその人に告げました。
そして、それが真理であったがゆえに、このようにその人は信じたのです。
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ここに、あなたが到達できる最初の直接的知覚があります。
あなたはそれを、知覚より前ですが、ほんの一瞬の内に甦る自覚を通して達成します。
常にそうであり続ける者にとって、時間が何だというのでしょうか。
その瞬間が何をもたらしたのかを考えてみなさい。
それは、あなたが自分であると思っていた「他の何か」が幻想だったという認識です。
そして、瞬く間に真実が訪れ、あなたの自己がどこにあるかをあなたに示しました。
真理を招くとは、幻想の否定です。
なぜなら、幻想を否定することは、恐れが無意味であると認識することだからです。
愛は、愛を中に入らせるためにつながり合ったあなた達と一つになれたことを喜び感謝しながら、恐れが無力となった神聖な家に入ってきます。
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キリストは、彼自身と同質のもの、異なるものではなくて同一の存在のもとに訪れます。
というのも、 キリストは常に彼自身へと引き寄せられるからです。
神聖な関係ほど キリストに似ているものがあるでしょうか。
そして、あなたと兄弟を互いに引き寄せる何かが、 キリストをあなたに引き寄せます。
ここにおいて、 キリストの優しさと穏やかな無垢性が、攻撃から守られています。
そして、ここへは キリストが確信を持って戻ってくることが出来ます。
なぜなら、他の誰かへの信は常に キリストへの信だからです。
キリストの選んだ家として兄弟を見るとき、あなたは全く正しくあります。
なぜなら、ここであなたは キリストおよび彼の父と共に意志するからです。
これが、あなたのための父の意志であり、父のためのあなたの意志でもあります。
そして、 キリストと神が神聖な関係の一つひとつに必ず引き寄せられるのと同じように、 キリストに引き寄せられる者は必ず神へと引き寄せられます。
神聖な関係とは、地上が天国に変わる時、 キリストと神のために準備される家です。
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