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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第22章「 救済と聖なる関係」22-0本文
第22章 22-0 序論
ACIM-Text- chapter22-0-1
こんなにも長い間に渡って、奴隷状態にあったあなた自身を哀れみなさい。
神が出会わせた者たちが結ばれ合い、もはや別々に罪を見る必要がなくなったことを喜びなさい。
二人の人が共に罪を眺めることは出来ません。
というのも、二人が共に同じ場所で同時に罪を見ることは、決して出来ないからです。
罪とは、厳密に個人的な知覚なので、相手の中に見られていても、各自が自分自身の中にあると信じているものです。
そして、各々が異なった誤りを犯すように見え、しかもそれは相手には理解できない誤りのように見えます。
兄弟よ、それは同じものによって犯された同じものであり、それを犯した者のために同じ方法で赦されるものです。
あなたの関わる関係の聖性が、あなたと兄弟を 赦し、あなた達双方が信じて見ていたものの結果を取り消します。
それらが消えていくにつれて、罪の必要性も消え去るのです。
ACIM-Text- chapter22-0-2
罪を必要とするのは誰でしょうか。
寂しく孤独な者たち、すなわち兄弟は自分とは違っていると見ている者たちだけです。
見えているけれども実在ではないこの相違こそが、実在しないけれども見える罪の必要性を、正当なものに見せています。
そして、罪が実在するものであったとすれば、これらの全ては実在することになります。
なぜなら、神聖でない関係は、違いがあるということに基づいているからであり、そこでは、各々が相手は自分の持っていないものを持っていると考えているからです。
その人たちが近づくのは、自分自身を補完し、相手から奪うためです。
そして、盗めるものが何も無くなったと思えるまでそこに留まり、そのあとは次に進みます。
そうして、その人たちは、自分とは似ても似つかぬ異邦人の世界を彷徨います。
互いの 身体を傍らにして一つ屋根の下で暮らすこともあるかもしれませんが、そこにはお互いにとっても避難場所になることはなく、同じ部屋にいたとしても、隔絶した世界に住んでいます。
ACIM-Text- chapter22-0-3
神聖な関係は、それとは異なる前提から始まります。
各自が既に自分自身の内面に目を向けて、そこにいかなる欠如も見ていません。
自らの完成を受け入れているため、自らの完成を自分と同じく全一である他者とつながることで拡張させます。
その人には、これらの自己の間の違いは目に入ることはありません。
違いとは、 身体のみに関するものだからです。
したがって、その人が見るものの中には、その人が獲得したいと思うようなものは何一つ見当たりません。
その人自身の実相が真理であるがために、その人はそれを否定しません。
その人は天国のすぐ下に立っていますが、そこには地上に戻らなくてすむほど、天国への至近距離にあります。
なぜなら、こうした関係には天国の聖性が備わっているからです。
これほど天国に似た関係が、天国からどれほど遠くに離れていられるでしょうか。
ACIM-Text- chapter22-0-4
神聖な関係が、何を教えられるかを考えて見なさい!
ここにおいて、違いが存在するという信念が取り消されます。
ここで、相違への信が、同一性への信に変化します。
そして、ここで、違いを見ていた視覚が、心眼へと変容します。
そうなると、理性が、あなたとあなたの兄弟を結ばれているという論理的帰結にまで導くことが出来ます。
あなたが兄弟とつながった時にあなたが拡張したのと同様に、結ばれることが拡張されずにはいられません。
あなたが 身体を越えて広がっていったように、それはあなたと兄弟をつながらせるためにそれそのものを越えて広がるはずです。
そして、今やあなたが見た同一性が拡張していき、最終的には、あらゆる違いの感覚を取り去るので、それらの根底に横たわる同一性が全て明らかになってきます。
ここに、黄金の輪があり、そこであなたは神の子を認識します。
神聖な関係の中に生まれたものに、終わりはないからです。
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