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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第22章「 救済と聖なる関係」22-5本文
22章22-5 弱さと防御の姿勢
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どうすれば人は幻想を克服するのでしょうか。
もちろん、力づくや怒りによってでもなく、何らかの方法でそれらに対抗することによってでもありません。
単に、幻想は実相に矛盾するという事を理性に教えてもらいさえすればいいのです。
幻想は、真実であるはずのものに対抗します。
対抗は、実相からではなく、幻想から生じます。
実相は、何に対しても反対しません。
ただ在るというだけのものは、防衛を必要とせず、それを差し出す事もしません。
幻想だけが、その弱さのために防衛を必要とします。
そして、弱さだけが邪魔をしている真理への道を歩むことが難しい、などという事があるでしょうか。
この葛藤のように見えるものの中で、強い者はあなたです。
そして、あなたにはいかなる防衛も必要ありません。
防衛を必要とする一切は、あなたが望まないものでしょう。
なぜなら、防衛が必要なものは何であれ、あなたを弱めることになるからです。
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自我が何のために防衛を望むのか、それをよく考えてみなさい。
それは常に、真実に逆らい理性に真っ向から対立し、何の意味もなさないものを正当化するためです。
このようなものが、そもそも正当化され得るでしょうか。
これは、あなたを真理から救うための、狂気への招待以外の何でしょう。
そして、あなたは自分が恐れているもの以外の何から救われたいというのでしょうか。
罪への信念は多大な防衛を必要としていて、その代価も莫大なものです。
聖霊が差し出している全てを相手に防衛しなければならず、その全てを犠牲にしなければなりません。
なぜなら、罪とは、あなたの平安の一部を切り取ってそこに刻み込まれ、障害物となってあなたと平安の帰還との間に置かれているものだからです。
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しかし、平安をそのように断片化することなど出来るでしょうか。
平安は依然として全一であり、そこから何も取り去られてはいません。
邪悪な夢の手段も材料も、無であることを見て取りなさい。
真理においては、あなたと兄弟は、何かに遮られることなく共に立っています。
神があなたの手を握っていて、神が神自身と一つに繋いだものを、いったい何が分離されられるでしょう。
あなたは自分の父を相手に防衛しようとしているのです。
しかし、愛を外に締め出すというのは、不可能である事に変わりありません。
神は、静けさの中で無防備のまま全く防衛する事もなく、あなたと共に安息しています。
なぜなら、こうした静かな状態の中にのみ強さと力があるからです。
ここには、何の弱さも入り込む事は出来ません。
なぜなら、ここには攻撃などないので、したがって幻想もないからです。
愛は確かさの中で安息します。
不確かさだけが、防衛的になり得ます。
そして、不確かさとは、全て自分自身についての疑いです。
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恐れとは、なんと弱く、なんと卑小で、無意味なものでしょう。
愛が繋げた者たちの静かな強さを前にしては、なんと取るに足らないものでしょう!
これがあなたの「敵」、それはまるで宇宙を攻撃しようする怯えたネズミです。
その攻撃が成功する見込みがどれだけあるでしょうか。
自らが万能だと告げるその弱々しい鳴き声を無視するのは、難しい事でしょうか。
この弱い声がかき消そうとしているのは、全宇宙の全ての心が一つになって永遠に歌い続けている創造主への賛歌です。
どちらのほうが強い者でしょう。
そのような小さなネズミでしょうか、それとも神が創造した一切でしょうか。
あなたと兄弟は、このネズミによって繋がったのではなく、神の意志によって繋がったのです。
それに、神が繋げたものに、ネズミが背くこと出来るでしょうか。
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兄弟との融合についての、あなたの自覚とあなたとの間にはほんの僅かなものにしか介在していないという事を、あなたが認識できないものでしょうか!
それが提示している大きさや厚みや重さや堅固さ、土台の確かさといった幻想に騙されてはなりません。
確かに、 身体の眼には、それはまるで山のように不動で頑丈で巨大な物体に見えます。
しかし、あなたの中にはどんな幻想も抵抗しきれない力があります。
この物体は不動に見えているだけであり、その力には真に抵抗不可能なものです。
それなら、それらが一緒にされた時に何が起こるでしょう。
静かに通り抜けて、彼方へと行ってしまったものを相手に、不動性という幻想をいつまで防衛していられるでしょうか。
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何かについて防衛する必要が生じるように感じるなら、あなたは自分自身を幻想と同一視しているということを忘れてはなりません。
そうなると、あなたは孤独であるがために自分を弱い者として感じます。
これが全ての幻想の代価です。
どの幻想も、一つとしてあなたが分離しているという信念に基づいていないものはありません。
重たく頑丈で不動なものとして、あなたと兄弟との間に介在しているように見えないものは何一つありません。
そして、どれ一つとして、真理が軽く通り過ぎていけないものはなく、あまりに容易く通り越せるので、あなたは以前それをどのように考えていたとしても、それが無であることを確信せずにはいられなくなります。
もし、あなたが兄弟を赦せば、必ずこのようになります。
なぜなら、それを突き通せないものと見せ、その不動性という幻想を防衛しているのは、自分と兄弟の間に介在するように見えるものを見過ごしたくないというあなたの気持ちだからです。
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