奇跡講座テキスト編22章22-6神聖な関係の光

奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第22章「 救済と聖なる関係」22-6本文

 

第22章22-6 神聖な関係の光

ACIM-Text-chapter-22-6-1

あなたは、 身体の自由を望んでいるのでしょうか。

それとも、心の自由を望んでいるのでしょうか。

その両方を持つ事は出来ません。

どちらに、あなたは価値を置くのでしょうか。

どちらが、あなたのゴールなのでしょうか。

あなたは、一方を手段と見なし、もう一方を目的と見なすことになります。

そして、一方がもう一方に仕えて、それを優勢へと導かなくてはならず、それ自身の重要性を減じることでもう一方の重要性を増大させます。

手段とは、目的のために仕えるものです。

そして、手段の価値は、目的が達成された時には減少し、機能をもたなくなったと認識された時には完全に失われます。

誰もが自由に憧れ、それを見つけようとしない者はいません。

しかし、誰もが、それが存在し見つかると信じている場所で、それを捜し求めます。

その人は、心か 身体かのどちらかについての自由が可能だと信じて、自分の選択した一方を見つけ出す手段として、もう一方をそれに仕えさせます。

 

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身体の自由が選択されている場合、心はその手段として使われ、その手段の価値は 身体の自由を達成するための方法を考案する能力にある、とされます。

しかし、 身体の自由というものには何の意味もありません。

したがって、心は幻想に仕えるために捧げられることになります。

これは、実に矛盾した全く有り得ない状況です。

こうした選択をする者は、何に価値があるのかが全く分かっていません。

ですが、言葉に尽くせないほど甚だしいこの混乱の中でさえ、 聖霊は優しい忍耐を持って待ち続け、創造主の愛を確信しているのと同じように、その結果に確信を持っています。

この狂った決断をした存在も、愛が愛自体を愛しむように創造主が愛しむ存在であることが、 聖霊には分かっています。

 

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神が愛し、永遠に自由にしておこうとする存在の中で、 聖霊がどのようにして手段と目的の役割をこうも容易に交換できるのかと、思い煩うにはおよびません。

それより、自分が 聖霊の目的に仕えるための手段になれることに感謝しなさい。

これが自由へとつながる唯一の奉仕です。

この目的に仕えるためには、 身体は罪はないと知覚されなければなりません。

というのも、ゴールが無罪性だからです。

矛盾が無ければ、手段から目的への穏やかな移行は、癒しの眼差しの前で憎しみが感謝のへと変わるのと同じように容易になります。

あなたは自分の 身体をただ罪なきもののためだけに使うことで、兄弟によって聖別されるでしょう。

そして、あなたが自分が癒そうとする相手に奉仕するものを憎むことは不可能になるでしょう。

 

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この神聖な関係は、その無垢性ゆえに麗しく、その強さゆえに卓越し、あなたに見えている空に輝く太陽よりも遥かに明るくきらきらと光を放っていて、あなたの父により神自身の計画のための手段として選ばれているものです。

それは、あなたの計画には全く役立たないということに感謝しなさい。

それに委ねられて誤用されるものは何一つなく、それに与えられて使用されないままになるものは何もありません。

この神聖な関係には、どんな形の苦痛であれ、全ての苦痛を癒す力があります。

あなたにせよ、あなたの兄弟にせよ、一人では全く役に立ちません。

ただあなたと兄弟の一つに結ばれた意志の中にのみ、癒しがあります。

ここにあなたの癒しがあり、ここであなたは贖罪を受け入れるようになるからです。

そして、あなたの意志と兄弟の意志が一つに結ばれてたからこそ、あなたの癒しの中で一なる子が癒されるのです。

 

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神聖な関係の前には、罪は存在していません。

誤りの形態というものはもはや見られることはなくなり、愛と一つになった理性が全ての混乱を静かに見て、単に「これは間違いだった」と言うだけです。

そして、あなたが自分の関わる関係の中に受け入れた贖罪そのものが、その誤りを訂正し、代わりに天国の一部をそこに置きます。

この贈り物が与えられることを可能にするあなたは、なんと祝福されていることでしょう!

あなたがもたらす天国の部分はことごとくあなたに与えられます。

そして、天国の中の空になっている部分のひとつ一つが、光で再び満たされ、今あなたの上に輝いています。

無罪性という手段は、ただ愛だけを携えるので、恐れを知りません。

 

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平安の子よ、光は既にあなたに訪れています。

あなたは自分が運ぶ光に認識していませんが、これからきっと思い出すでしょう。

自分が他者へと運ぶ心眼を、自分に否定できる者がいるでしょうか。

そして、自分を通して天国に置かれたようにした贈り物を認識し損なう者がいるでしょうか。

あなたが 聖霊の捧げる優しい奉仕は、あなた自身への奉仕となります。

今や 聖霊の手段であるあなたは、 聖霊が愛している全てのものを愛するはずです。

そして、あなたが運ぶものは、永遠なるもの全てについてのあなたの記憶です。

何であれ、時間の中にあるもの痕跡は、時間を超越したものに仕える心の中に長く留まることは出来ません。

そして、いかなる幻想であれ、平安の手段となった関係の平安を乱すことは出来ません。

 

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いかなる誤りも例外とせず、何も隠されたままにしない完全な癒しの眼差しであなたが兄弟を見つめた時、一体どこにあなたが見過ごせないような間違いがあるでしょう。

どんな形の苦しみがあなたの視界を妨げ、あなたがそれを通り越して見るのを妨げることができるでしょうか。

そして、どんな幻想であれ、あなたが間違いだと認識しないような幻想が有り得るでしょうか。

あなたはそれを一つの影と認識し、まったく動揺すること無く歩いて通り抜けるでしょう。

神は、自らの意志を自分の意志とする者たちを何物にも邪魔させません。

そして、その人たちは自分が神の意志に仕えているがゆえに、自分の意志が神の意志だと認識します。

その上、その人たちは喜んで神の意志に仕えています。

そうであるなら、その人たちが自分の本性を思い出せないままでいるということがあるでしょうか。

 

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あなたは、自分の価値を兄弟の目を通して見ます。

そして、あなたも兄弟も、自分を攻撃する者がいると思っていた場所に自分の 救済者を見る時に解放されます。

この開放を通して、世界が開放されます。

これが、平安を運ぶあなたの役割です。

なぜなら、あなたは、ここでのあなたの機能は何かと尋ね、その答えを与えられたからです。

それを変えようとしたり、別のゴールで代用しようとしてはなりません。

これが、そしてこれだけが、あなたに与えられたゴールです。

これを受け入れて、喜んでこれに仕えなさい。

あなたが兄弟に与える贈り物で、 聖霊が何を行うか、いつどこで誰にそれを差し出すか、それは 聖霊が決めることです。

聖霊は、それらが受け取られて歓迎されるところに、それらを与えるでしょう。

そして、それらを一つ残らず平安のために使うでしょう。

また、ほんのかすかな微笑みの一つであれ、些細な間違いを看過しようとするささやかな意欲の一つであれ、、誰からも失われることはないでしょう。

 

ACIM-Text-chapter-22-6-9

あなたの父が愛するものを、慈愛をもって眺めることは、普遍的な祝福でなくて何でしょうか。

赦しの拡張は 聖霊の機能です。

それは 聖霊に任せておきなさい。

あなたは、ただ拡張が可能なもののみを 聖霊に渡すこと、それだけを気にかけておきなさい。

聖霊が使うことが出来ないような暗い秘密をとっておかずに、 聖霊が永遠に拡張させていける小さな贈り物を 聖霊に差し出しなさい。

聖霊はその一つひとつを取り上げ、それを平安への強力な力とするでしょう。

聖霊が、それに祝福を与えずにいることはなく、どのような形であれそれを限定することはないでしょう。

聖霊は、神が 聖霊に与えた全ての力をそれにつなげ、それぞれの小さな愛の贈り物のひとつ一つが世界を明るく輝かせます。

闇を気にかけてはなりません。

闇は見ずに、あなたの兄弟に目を向けなさい。

そして、光を知る 聖霊に闇を払いのけてもらいなさい。

聖霊は、あなたが信と確信を抱いて静かに微笑みながら兄弟を祝福するたびに、その微笑に光を与えてくれます。

 

ACIM-Text-chapter-22-6-10

世界の幸福が、あなたが学ぶか学ばないか、それにかかっています。

そして、ただ傲慢さだけが、あなたの意志の力を否定しようとします。

神の意志が無力だとあなたは思うのでしょうか。

これは謙遜でしょうか。

あなたにはこの信念が何をしてきたのかが見えません。

あなたは自分自身を、傷つきやすく脆くてすぐに打ちひしがれ得る存在で、自分よりも強力な無数の攻撃者たちに意のままにされる存在として、見ています。

こうした誤りが、どうして生じたのかを正視しましょう。

なぜなら、ここに重たい楔が打ち込まれていて、それが神に対する恐れをそこに保って、まるで堅い岩のごとく不動で頑強なものにしているように見えるからです。

この誤りが存続している間は、それはそのように見え続けるでしょう。

 

ACIM-Text-chapter-22-6-11

神の子を攻撃しておいて、その父を攻撃せずにいられる者などいるでしょうか。

神が、弱々しくて脆くてすぐに打ちひしがれるようなものでない限り、どうして神の子がそのようなもので有り得るでしょう。

あなたは自分が知覚し、そして正当化している罪と咎めのひとつ一つが、まさしく父への攻撃そのものであるということが分っていません。

だからこそ、それは起こったことはなく、実在のものでは有り得ません。

あなたは、父と神の子が分離していると思っているので、それが自分のしていることだとは分かりません。

そして、あなたは恐れのために、父と神の子が分離していると考えざるを得ません。

なぜなら、自分自身か他者を攻撃するほうが、自らその力を知っている大いなる宇宙の創造主攻撃するよりも、安全だと思えるからです。

 

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もし、あなたが神とひとつであるというなら、そしてあなたがその一体性を認識したなら、あなたは神の力が自分の力であるのだと分かるでしょう。

しかし、どんな種類の攻撃にせよ、攻撃というものに何らかの意味があると信じているうちは、あなたがそのことを思い出すことはないでしょう。

攻撃には何の意味もないので、それはいかなる形であれ正当化されません。

もし、それが正当化できるとすれば、それはあなたと兄弟が分離していて、全てがあなたの創造主から分離している場合だけです。

なぜなら、その場合にのみ、全体を攻撃することなく被造物の一部を攻撃することや、父を攻撃せずに子を攻撃することが、可能となるからです。

また、あなた自身を攻撃することなく他の誰かを攻撃したり、相手が苦痛を感じることなくあなた自身を傷つけたりすることが、可能となるからです。

そして、あなたはこれを信じていたいのです。

しかし、安全に攻撃したいという欲求を除いて、その価値がどこにあるのでしょう。

攻撃は、安全でもなければ、危険でもありません。

それは不可能なことです。

そして、その理由は、宇宙が一つだからです。

宇宙をその作り主から分離したものと見るためには、どうしても攻撃することが不可欠だということがなかったならば、あなたはその実在性を攻撃しようとはしないでしょう。

そして、そのようにすることで、あたかも愛が攻撃することができ、恐ろしいものとなり得るように見えます。

 

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異なっている者だけが攻撃することが出来ます。

とすれば、あなたは、自分には確かに攻撃することが出来るので、兄弟は異なっているに違ないと結論を下します。

ところが、 聖霊はこれに別な説明をします。

あなたと兄弟は異なってはいないので、あなたは攻撃することは出来ない、という説明です。

どちらの見方も論理的な結論です。

どちらを主張することも出来ますが、両方とも主張することは出来ません。

どちらが真実なのか決めるために答えるべき唯一の質問は、あなたと兄弟は異なっているかどうかだけです。

あなたが理解していることの立場からすると、自分たちが異なっているように見え、したがって攻撃できるように見えます。

選択肢の中では、このほうが自然であり、あなたの経験とも一致しているようみ見えます。

だからこそ、あなたには、何が自然で真実なのかを自分に教えるために、より真理に即した他の経験をすることが必要です。

 

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これが、あなたの神聖な関係の機能です。

なぜなら、ひとりが思っていることを、もうひとりも共に経験することになるからです。

これは、あなたの心と兄弟の心が一つであるということ以外に何を意味し得るでしょう。

この幸せな事実を、恐れを抱いて見てはなりません。

そして、それが自分にとって大きな重荷を負わせると考えてはなりません。

むしろ、あなたがそれを喜んで受け入れた時に、あなたは自分と他者との関係は、創造主とその子が一つに結ばれていることの反映であると、悟ることになるからです。

愛に満ちた心からは、何も分離することは出来ません。

そして、愛する心は全て同じなので、一方の抱く想念の一つひとつは、もう一方に喜びをもたらすことになります。

喜びには限界がありません。

なぜなら、輝く愛の想念のそれぞれがそれ自体の存在を拡張させ、それ自体をさらに多く創造するからです。

想念はどれもそれ自体と同じなので、その中のどこにも、いかなる違いもないのです。

 

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あなたと兄弟をつなげる光は、宇宙のすみずみまで輝いており、それがあなたと兄弟をつなげるので、同様に、あなたと兄弟を創造主と一つにすることになります。

そして、創造主の中で、あらゆる創造されたものがつながっています。

あなたの関わる関係が、「愛の力がそこにあり、あらゆる恐れを不可能にする」と教えることも出来るという時に、あなたは自分一人で恐れていることが出来ないと残念がっていたいのでしょうか。

この贈り物と一緒に、 自我を少しだけ取っておこうと企てはなりません。

というのも、それは覆い隠しておくためにではなく、使われるためにあなたに与えられたものだからです。

あなたに、「あなたは分離することが出来ない」と教えるものは、 自我を否定します。

あなたと兄弟は異なっているのか、それとも同一の存在であるのか、それは真実に決めてもらい、どちらが真実なのか教えてもらいなさい。

 

奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第22章「 救済と聖なる関係」目次

22-0  序論

22-1   聖なる関係のメッセージ

22-2   あなたの兄弟の無罪性

22-3   理性と間違いの形態

22-4   道の分岐点

22-5   弱さと防御の姿勢

22-6   聖なる関係の光

 

奇跡講座(奇跡のコース) テキスト編、ワークブック編、マニュアル編 各目次

テキスト編 1章~31章 目次

ワークブック編 レッスン1~365 目次

教師のためのマニュアル編 1~29 目次

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