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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第23章「自分との戦い」23-1本文
第23章23-1相容れない信念
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神の記憶は、静かな心に訪れます。
葛藤があるところには来ることは出来ません。
自己と戦っている心は、永遠の優しさというものを思い出さないからです。
戦いの手段は平和の手段ではなく、好戦的な者たちが思い出すのは愛ではありません。
勝利への信念が大切にされていなければ、戦いは不可能です。
あなたの中の葛藤は、 自我が勝利をするだけの力を持っていると、あなたが信じていることに違いありません。
そうでなければ、どうしてあなたが自分を 自我だと思いたがる理由があるでしょうか。
もちろん、あなたは、 自我が神と戦っている、と理解しています。
自我に敵などいないということは確かです。
しかし、それと同じように確かことは、 自我は己に打ち負かすべき敵がいて、己が勝利を収めると固く信じているということです。
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自分自身との戦いとは、神に戦いを挑んでいるということが、あなたには分からないでしょうか。
そこに勝利が有り得るでしょうか。
もし、それが有り得たとしても、それはあなたが望む勝利でしょうか。
もし、神の死が可能であったとすれば、それはあなたの死です。
これが勝利でしょうか。
自我は、あなたに対して勝利できると思っているので、常に打ち負かすために進軍します。
ところが、神はそのようには考えません。
これは戦いなどではありません。
神の意志が攻撃され打倒され得るという、ただの狂った信念です。
あなたは、この信念に一体感を持つことは出来ますが、それは絶対に狂気以上のものにはなりません。
そして、狂気の中では、恐れが支配するようになり、それが愛に取って代わったかのように見えます。
これが葛藤の目的です。
そして、こうしたことが可能だと考える者たちには、そのための手段が実在するかのように見えるのです。
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神と 自我が出会うということ、あるいは、あなた自身と 自我とが出会うということ、は有り得ないと確信しなさい。
あなたは出会うかのように見え、何の意味もない理由で奇妙な同盟を結んでいるかのように見えます。
それは、あなたの信念が全て 身体の上に集中しているからです。
身体とは、 自我が選んだ家であり、あなたはそれが自分の住み処だと信じています。
あなたは誤りの場で出会っています。
それは、あなたの自己評価についての誤りです。
自我は、あなたが 自我と分かち合っているあなた自身についての幻想と結びつきます。
とはいえ、幻想と幻想とが結びつくことは出来ません。
それらは同じものであり、どちらも実在しないものです。
幻想同士が結びつくのは、虚無の中においてであり、二つのそれは一つや千のそれと同じように無意味です。
自我とは実在しないものなので、実在しないものと結びつきます。
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兄弟よ、あなた自身との戦いは、ほとんど終わりに近づいています。
旅の目的地には平安の場所があります。
あなたは、今ここであなたに差し出されている平安を受け入たくはないでしょうか。
あなたが自分の平安への侵入者だと見なして戦ってきた「敵」は、あなたの目の前で平安を与える者へと変容します。
あなたの「敵」とは、神自身でした。
それは、どのような葛藤も勝利も攻撃も全く知らない神です。
神は、完璧にして完全に、しかも永遠にあなたを愛しています。
創造主と戦う神の子というものは、自然が風に向かって怒り、もはや風は自然の一部ではないと宣言するのと同じくらい馬鹿げています。
自然がこうしたことを自分で決めて、それを真実に出来る可能性が有り得るでしょうか。
同様に、何があなたの一部であるのか、何が離しておかれるか、それを決めるのはあなた自身ではありません。
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あなた自身との戦いは、神の子がその人自身ではなく父の子でもないと神の子に教えるために開始されました。
このためには、父についての記憶は忘れ去られなければなりません。
身体としての人生においては、それは確かに忘れ去られていて、もし、あなたが自分は 身体だと考えるなら、それを忘れたと信じることになります。
しかし、真理は決してひとりでに忘れ去られたりはしません。
そして、あなたは自分が何であるか忘れてはいません。
ただあなた自身についての奇妙な幻想だけが、すなわち自分自身に対して勝利を収めたいという願望だけが、それを思い出させないのです。
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自分自身との戦いは、単に二つの幻想の間の争いに他なりません。
どちらも、勝った方が真実だという信念の元に、互いに相手とは異なるものになろうともがいています。
そのような幻想と真理との間には、何の葛藤も存在しません。
それに、二つの幻想は互いに何の違いもありません。
両方とも真実ではないのです。
したがって、それらがどんな形を取ろうとも、それは問題ではありません。
幻想を作り出したものが正気ではなかったのであって、それらはそれらを作り出したものの一部であり続けます。
狂気は実相にとっては脅かす恐れはなく、実相に何の影響を及ぼしません。
幻想は真理に勝つことは出来ないばかりか、真理に対してどのように脅かすことも出来ません。
そして、幻想が否定している実相は、幻想の一部をなすものではありません。
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あなたが思い出すものは、確かにあなたの一部です。
というのも、あなたは神が創造したままであるに違ないからです。
真理が幻想に対抗して戦うことはなく、幻想が真理に対抗して戦うこともありません。
幻想が、単に幻想同士で戦うだけです。
ばらばらな断片である幻想は、分離し続けます。
しかし、真理は分離できないものであり、幻想が到達できる小さな領域を遥かに越えています。
自分は葛藤の中にいるはずがないと学んだ時、あなたは自分が知っていることを思い出すでしょう。
あなた自身についての一つの幻想がもう一つの幻想と戦うことはあり得ますが、二つの幻想の間の戦いとは、何一つ起こらない状態です。
勝者もいなければ、勝利もありません。
そして、真理は、葛藤から離れたところで何にも影響されることなく、神の平安の中でただ静かに輝いています。
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葛藤というものは、二つの勢力の間に生じるもののはずです。
一つの力と実在しないものとの間には葛藤は有り得ません。
あなたに攻撃できるもので、あなたの一部ではないものは何一つありません。
そして、あなたはそれを攻撃することによって、相互に葛藤する自分自身についての二つの幻想を作り出しています。
そして、あなたが神の創造したものを何であれ愛以外の思いで眺める時はいつでも、このようなことが起こっています。
葛藤は恐ろしいものです。
しかし、実在しないものから生じた何かが、戦いを通して実在性を勝ち取ることは出来ません。
どうしてあなたは、自分の世界を自分自身との葛藤で満たしたいのでしょうか。
この狂気の全てを取り消してもらいなさい。
そして、平安の内に、今でもあなたの静かな心の中に輝いく神の思い出へと向かいなさい。
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真理のもとに運ばれ、幻想同士の葛藤が消えていくのを見なさい!
それはただ、葛藤する二つの真実の間の戦いだと見なされる間だけ、葛藤が実在するかのように見えます。
そして、勝者のほうには、より真実で実在性があるものとされ、敗北によって幻想とされた実在性の乏しいものの征服者となるかのように見えます。
こうして、葛藤とは幻想同士における選択であり、一方を実在するものとして王座につかせ、もう一方を征服された蔑まれるべきものとします。
このようなところでは、父は決して思い出されることはありません。
しかし、どんな幻想も、父の家に侵入して、父が永遠に愛するものから父を追い出すこと出来ません。
そして父が愛するものは、それが父の家であるからこそ、永遠に静かで平安の中にあります。
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神に愛されているあなたは、幻想ではなく、神自身と同様に真実かつ神聖です。
神とあなた自身に対する静かな確信が、分離したものではないひとつのものとして神とあなたが住む家です。
父の至聖なる家の扉を開きなさい。
そして、神と神の子の両方を家なき者としている罪の信念の痕跡を、 赦しによって一掃してもらいなさい。
あなたは、神の家では異邦人ではありません。
あなたの兄弟をこの家に歓迎しなさい。
この家は、神がその人を安らぎと平安のうちに住まわせ、神自身もその人と共に住まう家です。
愛が宿り、真実ではない全てのものからあなたを守っている所に、幻想の入り込む余地はありません。
あなたは、平安の中に住んでいて、その平安はその創造主と同じように限り無く、神を思い出そうとする者たちには全てが与えらます。
聖霊が、神の家を見守り、その家の平安は乱されることは絶対にないと確信しています。
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神の休息の場が自らを敵にして、そこに住む存在を負かそうとしたりするでしょうか。
神の家が自らを分かれ争うものと知覚するのであれば、何が起こるか考えてもみなさい。
祭壇は消え、光は薄れ、聖なる存在の神殿は罪の家となってしまいます。
そして、幻想以外には何一つ思い出されなくなります。
幻想はそれぞれに形態が異なるので、互いに葛藤が起こり始めます。
そして、どの形態が真実なのか、ただそれを立証するだけのために幻想は戦うことになります。
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幻想は幻想に出会い、真理は真理に出会います。
幻想同士の出会いからは、戦いが始まります。
平安は、平安そのものを見ているので、自ら拡張されます。
戦いとは、恐れが生まれ、増大し、優位に立とうとする状況です。
平安とは、愛が宿り、自らを分かち合おうとする状況です。
葛藤と平安は正反対のものです。
一方が留まっている所には、もう一方は存在することが出来ません。
一方が向かう所で、もう一方は消え去ります。
同様に、幻想同志の戦場と化した心の中では、神についての記憶は覆い隠されます。
しかし、その記憶はこのような無意味な戦いを遥かに越えた所で輝いていて、あなたが平安の側についた時にはすぐにでもそれが思い出せる準備が整っています。
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