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- 奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第23章「自分との戦い」23-2本文
- 第23章23-2混沌の法則
- ACIM-Text-chapter-23-2-1
- ACIM-Text-chapter-23-2-2
- ACIM-Text-chapter-23-2-3
- ACIM-Text-chapter-23-2-4
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- ACIM-Text-chapter-23-2-6
- ACIM-Text-chapter-23-2-7
- ACIM-Text-chapter-23-2-8
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- ACIM-Text-chapter-23-2-11
- ACIM-Text-chapter-23-2-12
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- ACIM-Text-chapter-23-2-15
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- ACIM-Text-chapter-23-2-18
- ACIM-Text-chapter-23-2-19
- ACIM-Text-chapter-23-2-20
- ACIM-Text-chapter-23-2-21
- ACIM-Text-chapter-23-2-22
- 第23章23-2混沌の法則
- 奇跡講座(奇跡のコース)第23章「 自分との戦い」目次
- 奇跡講座(奇跡のコース) テキスト編、ワークブック編、マニュアル編 各目次
奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第23章「自分との戦い」23-2本文
第23章23-2混沌の法則
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混沌の「法則」は、決して理解できるようなものではありませんが、光のもとへと運ぶ事は出来ます。
混沌とした法則などというものに意味はないに等しく、したがって、それは理性の領域からは外れています。
にもかかわらず、これらの法則は理性と真理に対する障害物となっているかのように見えています。
では、それらを冷静に見てみることにしましょう。
そうすれば、そうした法則の正体について理解し、それらが主張するものではなく、それらを越えたところを見ることが出来るようになります。
それらの法則が何のためのものなのかを理解することは重要です。
なぜなら、そのような法則は、ものごとを無意味にして、真理を攻撃することを目的としているからです。
これらが、あなたが作り出した世界を支配している法則そのものです。
それにも関わらず、それらが支配しているものは実在性が無いものなので、それらに背く必要はなく、ただそれらを見たうえで、超えていけばいいだけなのです。
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最初の混沌の法則の一番目となるものは、真理は人によって異なるというものです。
これら全ての混沌とした原理と同じように、この第一の原理も、まず誰もが分離しており、誰もが自分を他者から区別する一組の異なった想念を、それぞれに持っていると主張します。
この原理は、幻想には順位が有るという信念から発展しているものです。
すなわち、ある幻想には他の幻想より価値があるので、それは真実であるという信念です。
誰もがこれを自分自身に設定していて、他者が価値を置くものを攻撃することによって、自分の定めた順位を真実であるとします。
そして、こうした攻撃は正当化されます。
その理由とは、価値観は多様であり、様々な価値観を持つ者たち同じではないので敵同士のように見えるからです。
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こうしたことが、どれほど奇跡の第一の原理に妨げになりそうか、考えてみなさい。
これが幻想同志の間に真実性の段階を設定するので、幻想のうちのあるものは他の幻想よりも克服するのがより難しいかのように見せています。
もし、幻想はいずれも同じでどれも等しく真実ではないと分かれば、奇跡がそれら全てに適用されると理解することは容易です。
どのような種類の誤りであれ、訂正できる理由とは、まさしくそれらが真実ではないからです。
ある誤りが誤りのもとではなく真理のもとへ運ばれる時、誤りは単に消滅するだけです。実在しないものの中のある部分の方が他の部分よりも、真実に対して抵抗力が大きいということは有り得ません。
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罪の崇拝者たちの全てが非常に大切にしている混沌の法則の二番目は、誰もが必ず罪を犯すはずであり、したがって攻撃や死を受けるのは当然である、というものです。
この原理は、第一原理に密接に関係していて、誤りは訂正すべきものではなく処罰すべきものであるという要求です。
誤りを犯す者を破滅すれば、その人を訂正や 赦しの及ばない状態に置けるからです。
こうして、その人が犯した誤りはその人自身に対して下された取り消し不可能な判決であり、神自身でさえそれを無効にする力はないと解釈されます。
罪とは、神の子が自らの破滅が避けられなくなるような間違いを犯す事が出来るという信念なので、癒しを得させることは出来ないものであるとします。
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こうしたことが、父と神の子との関係に何を為すように見えるか、考えてみなさい。
今や、父と神の子とは、二度と再び一なるものにはなれないかのように見えます。
なぜなら、一方が常にもう一方から咎められなくてはならないからです。
そうなったら、両者は違っている存在であり、敵同士となります。
そして、両者の関わりは敵対関係となり、それは子の分離した側面同士の関わりと同じように、結びつくためではなく、ただ争うためだけに出会います。
一方は弱くなり、もう一方は相手の敗北によって強くなります。
そして、神の子が自分自身と自分の創造主に対して為したことによって神に対する恐れや、神の子同士の間の恐れが実在するものとなり、今やこうした恐れを抱くことが分別のあることとのように見えます。
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混沌の法則の基盤となる傲慢さが、ここに最も明らかに現れています。
ここにあるのは、実相の創造主とはどういったものであるべきかを定義しようとする原理です。
それは、創造主は何を考え、何を信じるべきか、そう信じているならどのように応答すべきか、を定義しようとします。
神の信念として設定されたことが真実かどうか、神に聞いてみることさえ必要とは見なされません。
神の子は、神にそれを指図することができ、神には神の子の言葉をそのまま受け入れるか、それとも間違いを犯すかという選択しかないことになります。
これが、混沌を永遠なものにするかのように見える三番目の不合理な信念に直結します。
なぜなら、もし神が間違うことがありえないとすれば、自分とは何なのかについての神の子の信念を神は受け入れているはずであり、そのために神は神の子を憎悪せざるを得ない、とういうことになるからです。
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このような第三の原理によって、神に対する恐れがどれほど補強されるかを理解しなさい。
今は、不幸の中で神に助けを求めることは不可能となります。
なぜなら、神はその不幸の原因となった「敵」となっていて、その神に訴えても無駄ということになるからです。
それに、 救済は神の子の中にも有り得ません。
神の子の全ての側面において神と交戦状態にあって、その攻撃は正当なものに見えます。
そして、今や葛藤は避けられず、神の助けの及ばないものとなります。
なぜなら、 救済者が敵となってしまったので、いつまでも 救済は不可能なものとならざるを得ないからです。
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そこには、開放も脱出もあり得ません。
かくして、贖罪は神話と化し、 赦しではなく復讐が神の意志ということになります。
こうしたことの全てが始まった所からは、真に助けとなる助力が訪れる見込みは全くありません。
そこから生まれるのは破滅だけです。
そして、神ご自身が神の子を打ち倒すために、破壊勢力の側についているように見えます。
自我の望むものから脱出する道を、 自我があなたに見つけられるようにするとは思ってはなりません。
それはこのコースの機能です。
このコースは 自我が大切にするものに価値を置きません。
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自我は、自らが獲得するものだけに価値を置きます。
これが混沌の法則の四番目へと繋がるものであり、もし他の三つを受け入れらているなら、これも必ず真実ということになります。
この法則のようなものは、自分が獲得したものは自分が所有するという信念です。
これによれば、相手の損失が自分の利得になるということになり、そうしてこの法則は自分自身以外の誰からも奪えないということを気付き損なっています。
それでも、これ以外の混沌の法則も全て必ずここに帰結します。
なぜなら、敵同士は自ら進んで互いに与え合うことはせず、価値を認めているものを分かち合おうともしないからです。
そして、敵たちがあなたから隠しておきたいものは、あなたの目に付かないように隠しておかれるのだから、必ず所有するに値するものに違いない、ということになります。
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ここに、狂気の心理プロセスの全てが明らかになります。
つまり、「敵」は、あなたが受け継ぐべき価値有る賜物を隠しておくことで強くなっています。
それがあなたから隠されている事を理由に、あなたの立場とあなたが仕掛ける攻撃は正当化され、あなた自身が救われるためには、どうしても敵が必ず損失を被らなくてはならないことになります。
こうして、罪ある者たちは、自らの「無垢性」を主張します。
その人たちは、もし敵の不誠実な振舞いが自分をこのようなあるまじき攻撃に駆り立てたのでなければ、自分はただ親切に応答するつもりだろうと思っています。
しかし、この残忍な世界にあっては、親切な者は生き残ることは出来ず、取らなければ取られるだけなので取らざるを得ません。
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そして、ここには、まだ「説明されて」いない漠然とした未回答の問いが一つあります。
この貴重なものとは何か、この高価な真珠、隠された秘密の宝物、この不実で狡猾な敵から正当な怒りをもってもぎ取ってくるべきものとは一体何なのか、という問いです。
それはあなたが望んでいるのに、見つけたことのないものに違いありません。
やっと今、あなたはどうして自分がそれを見つけられなかったのかを「理解」します。
それは、この敵があなたからこの宝物を奪い、あなたが思い付きそうもないような所に隠したからである、と。
敵は、それを自分の 身体に隠し、その 身体を自分の罪悪を隠す覆いとして、本来あなたに属するものを隠す場所としました。
そうなると、あなたが自分に属するものを手に入れるには、その人の 身体は破壊され、犠牲にされなければなりません。
その人の裏切りのゆえに、あなたが生きるためにはその人の死が必要となります。
こうして、あなたは正当防衛のためにのみ攻撃することになります。
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しかし、相手の死を必要とするほどあなたが望むものとは何でしょうか。
それが何のためなのか分からないままで、あなたは自分の殺意に満ちた攻撃が正当化されると確信できるでしょうか。
そこで、混沌の最後の原理が「助け」にやってきます。
その原理は、愛に取って代わるものがあるというものです。
この愛の代替が、あなたの苦痛を癒してくれる魔術であり、あなたの狂気を「正気」にするために欠けていた要素です。
これが、あなたが攻撃しなければならない理由です。
ここに、あなたの復讐を正当化するものがあります。
覆いを剥ぎ取り、 自我の秘密の贈り物をよく見なさい。
それは、その贈り物の本来の持ち主に対する敵意や憎悪を抱く兄弟が、その人自身の 身体に隠していたものであり、そこからちぎり取ってくる贈り物です。
その人は、あなたの生き方に意味を与えるはずのその秘密の要素をあなたから奪おうとしています。
兄弟に対するあなたの敵意から生じたこの愛の代替が、 救済となる以外に他にありません。
それに代替はなく、それはただ一つしかありません。
そして、あなたの関わる関係の全てには、それを掴み取り、自分のものにするという目的しかありません。
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あなたが手に入れたものは、決して完全にはなりません。
そして、あなたの兄弟は、あなたが盗んだもののゆえにあなたに対する攻撃を決してやめることはありません。
その上、あなたと兄弟の両方に対する神の報復もいつまでも続くでしょう。
なぜなら、怒り狂った神は、その愛にとって代わるものを何としてでも手に入れて、あなた達のどちらも殺すに違いないからです。
あなたは自分でしっかり地に足をつけ、意味を見出せる世界の中を正気で歩んでいると信じているかもしれませんが、よく考えてみなさい。
あなたの「正気」の基盤のように見えているのは、まさしくこのような法則なのです。
このような原理こそが、あなたの足元の地面を実体のあるもののように見せています。
そして、あなたはこのような場所で、意味を探しているのです。
これらが、あなたが自分の 救済のために作り出した法則です。
これらの法則によって、あなたが天国そのものより好んでいる天国の代替が維持されています。
これが、それらの目的であり、それらはこのためにこそ作られました。
それらが何を意味しているのかを尋ねることには意味がありません。
それは明らかです。
狂気の手段が狂っていないはずがありません。
しかし、あなたはそのゴールが狂気だということを自分はよく理解していると、同様の確信を持って言えるでしょうか。
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誰一人、狂気を望む人はいません。
また、狂気だと分かっていて、自分の狂気にしがみつく人もいません。
狂気を守ろうとするのは、それが真実だとう信念です。
狂気の機能は、真理に取って代わることです。
信じられるためには、それを真理だと見なされなくてはなりません。
そして、もし、それが真理ということになれば、以前は真理だったその反対のものは、今では狂っているということになります。
このように、狂気が正気に、幻想が真実に、攻撃が優しさに、憎しみが愛に、殺害が祝福になるという完全な本末転倒をもたらす逆転こそが混沌の法則が目指すゴールです。
これらの法則は、神の法則が逆になっているかのように見せかける手段です。
ここでは、罪の法則が愛の自由を奪い、罪を自由にしているように見えます。
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こうしたことは、混沌が目指しているゴールのようには見えません。
なぜなら、この途方も無い逆転によってそれらが秩序の法則であるかのように見えているからです。
これは当然ではないでしょうか。
混沌は無法則であり、そこには何の法則もありません。
それを信じさせるためには、その見かけ上の法則が実在するものとして知覚されなければなりません。
狂気というゴールが、正気と見なされなければならないのです。
そして、死人のように青ざめた唇と、見るもおぞましい盲目の目をもつ恐れが、愛を征服した屍のような征服者、愛の代替、 救済からの 救済者として愛の王座につきます。
恐れの法則は、死をいかに麗しいものとして見せかけていることでしょう。
恐れと死をもたらすために神の子を救い愛の王座に立った英雄に、感謝を捧げよというわけです。
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とはいえ、どうしてこのような法則が信じられるのでしょうか。
それを可能にしている奇妙な仕組みがあります。
また、それはあなたの知らないものでもありません。
私たちは、それがどのようにして機能するように見えるのか、これまで何度も見てきました。
真実においては、それは機能していないのですが、影法師のみが主役を演じる夢の中では、この仕組みが極めて有力なものに見えます。
形態を強調して内容を無視することによらなければ、混沌の法則を人に信じさせることは出来ません。
こうした法則の一つでも真実だと思っている者は、それが何を言っているのかが分かっていません。
それが取る形のいくつかには意味があるかのように見えますが、ただそう見えるだけです。
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殺害の形態のうちのいくつかは死を意味しないということが、あるでしょうか。
どのような形であれ、何らかの形の攻撃が、愛でありえるでしょうか。
どのような形の非難であれば、祝福になるというのでしょう。
自分を救う者を無力にしておきながら、 救済を見いだせる者がいるでしょうか。
その人に対してどのように攻撃するか、その形に欺かれてはなりません。
あなたはその人に危害を加えようとしながら、救わることは出来ません。
自分自身と敵対することによって、攻撃から安全に守られる者がいるでしょうか。
こうした狂気がどのような形をとるかが、どうして問題になり得るでしょう。
攻撃とは、それ自体を無効にする裁きであって、救いたいと言いながらとその対象に有罪判決をします。
狂気が、あなたにとって麗しいと思える形をとっていたとしても、欺かれてはなりません。
あなたを破壊することに専念しているものは、あなたの友ではありません。
ACIM-Text-chapter-23-2-18
あなたは、自分はこのような無意味な法則を信じてもいなければ、それらに基づいて行動してなどいないと主張し、その主張を真実だと思いたがります。
そして、あなたがそれられの法則が述べていることを直視する時、それらは信じられるものではありません。
兄弟よ、それでもあなたはそれらを信じています。
そうでなければ、このような内容の法則がとる形を、どうしてあなたが知覚できるでしょう。
こうしたものがとる形のいずれかは、弁護可能でしょうか。
しかし、あなたはそれらの法則が取る形態のゆえに、それらを信じ、その内容を認識しません。
その内容は絶対に変わることはありません。
骸骨の上に薔薇色の唇を描き、美しい服を着せ、かわいがり、甘やかせばそれを生かせるというのでしょうか。
そして、あなたは自分が生きているという幻想で満足できるのでしょうか。
ACIM-Text-chapter-23-2-19
天国の外に生命はありません。
生命は、神が生命を創造した場所にあるはずです。
どんな状態であれ、天国から離れた状態においては、生命は幻想です。
最善の場合でも、それは生命のように見えるだけであり、最悪の場合は死のように見えます。
しかし、そのどちらも、生命ではないものに下した判断であり、不正確で意味がないという点では同じです。
天国の中にない生命は有り得ず、天国の中にないものはどこにも存在しません。
天国の外にあるのは、ただ幻想同士の葛藤だけであり、それは無意味で、不可能で、全て理性を超えるものでありますが、それでも天国に対する永遠の防壁として知覚されています。
幻想とは形態に過ぎません。
その内容は決して真実ではありません。
ACIM-Text-chapter-23-2-20
混沌の法則が、全ての幻想を支配しています。
幻想の形態同士は葛藤し合い、ある幻想を他の幻想よりも重要視することが可能であるかに見えます。
しかし、そのいずれもがその他の幻想と同じく、混沌の法則は秩序の法則だという信念の上に成り立っていることは確かです。
どの幻想も、これらの法則を完全に支持し、これらの法則が真実だとする確かな証拠を提供します。
より穏やかに見える形の攻撃でも、同じように確かな証拠と結果をもたらします。
確実な事は、幻想の形ではなく、幻想そのものが示唆する信念によって、幻想は必ず恐れをもたらすということです。
どのような形をとるにせよ愛に対する信の欠如は、混沌が実相だと証言します。
ACIM-Text-chapter-23-2-21
罪を信じるなら、必ず混沌に対する信頼がその後に続きます。
なぜなら、それが論理的帰結であり、秩序だった思考における妥当な一歩であるかのように見えるからです。
混沌へと下る階段は、その始まりから一段ずつきちんと続いていきます。
その一段一段は、真理の逆転の課程を達成する異なった形態であり、それぞれが真理からさらに遠くへ、さらに深い恐怖へと導いていきます。
その中の一段が他の一段より小さいとか、ある一段から引き返すことは他の一段よりも簡単だ、などと考えてはなりません。
天国からの下降の全過程が、その一段一段の中にあります。
そして、あなたの思考は、必ずあなたが思考することを始めた場所で終わることになります。
ACIM-Text-chapter-23-2-22
兄弟よ、地獄へ落ちる一歩を踏み出してはなりません。
なぜなら、一歩を踏み出したら、その後に続く階段の正体を認識しなくなるからです。
そして、階段は確実に続いていきます。
どのような形で為されたものであれ、攻撃は全て天国から下降する曲がりくねった階段に、あなたが踏み出す一歩となってきました。
しかし、どの瞬間にも、これらを全て取り消してもらうことが可能です。
それでは、どうすれば、自分が天国に上る階段を選んだのか、地獄へ下る道を選んだのかが分かるのでしょうか。
それは極めて簡単です。
あなたはどのように感じているでしょうか。
自分がどの道を進んでいるのか確信があるのでしょうか。
天国というゴールは達成可能だと、あなたは確信しているのでしょうか。
もし、そうでなければ、あなたはひとりで歩いているのです。
そのような時には、あなたの友に、自分と一緒に居てくれるようにと頼み、あなたの行き先についての確信を与えてもらいなさい。
奇跡講座(奇跡のコース)第23章「 自分との戦い」目次