奇跡講座テキスト編27章27-6 罪の証人たち

奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第27章「夢を癒す」27-6本文

 

第27章27-6 罪の証人たち

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苦痛は、 身体が実在するに違いないと証言します。

それは大きくて騒々しい声であり、その声は 聖霊のメッセージをかき消し、 聖霊の言葉をあなたの自覚から遠ざけます。

苦痛は否応なしに注意を喚起し、それを 聖霊から引き離し、苦痛そのものに向けさせます。

苦痛の目的は快楽の目的と同じです。

なぜなら、双方とも共に 身体を実在のものにするための手段だからです。

共通の目的を共有するものは同一のものです。

これが目的の法則であり、目的を共有するものたちを、それ自体の内に結びつけます。

快楽と苦痛は決して達成できない事を目的としているので、どちらも等しく実在しないものです。

したがって、それらはいかなるものの手段でもありません。

それらの持つゴールは意味がないからです。

それらは、その目的に意味が欠如しているという点を共有しています。

 

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罪は苦痛から快楽へ、そしてまた苦痛へと移行します。

それというのも、どちらの証人も同一のものであり、ただ一つのメッセージだけを運んでいくからです。

すなわち、「あなたは確かにここにある 身体の中に存在していて、あなたは傷つくことがあり得る。あなたは快楽を得ることも出来るが、それは苦痛という代価によってのみ可能となる」というメッセージです。

こうした証人に、さらに多くの証人が加勢します。

証人はそれぞれに違った名前を持っているので、違っているように見え、そのためそれぞれ違った音に対して応答するかのように見えます。

こうした点を除けば、罪の証人たちはどれも皆同じです。

快楽を苦痛だと呼べば、痛くなってきます。

苦痛を快楽と呼べば、それは傷つけるものとなります。

罪の証人たちは、一人が一歩前に出ればもう一人が一歩後ろに下がり、それに伴って名前が変わるだけです。

しかし、誰が一番前にきたとしても何の違いもありません。

罪の証人たちは、死への呼びかけだけを聞きます。

 

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それ自体では何の目的もないこの 身体が、あなたの記憶や希望の全てを保持しています。

あなたは見るために 身体の眼を使い、聞くためにその耳を使い、それが何を感じているかをそれに語らせます。

身体は知らないのです。

その実在性を証明するための証人をあなたが呼び出そうとする時、 身体は自分が使うべくあなたから与えられた名前をあなたに向かって繰り返すだけのことです。

それらの名前の中でどれが実在するかを選択する事は出来ません。

どれを選ぼうとそれは他のものと同じだからです。

あなたが選ぶのはただ、この名前かあの名前かという事だけであって、それ以上のものではありません。

例えば、あなたがその証人を真理という名で呼んだからといって、その証人を本物にする事は出来ません。

もし、その人が真理を代表しているのなら、真理はその人の中に見出されます。

そうではないなら、たとえあなたがその人を神ご自身の聖なる御名で呼んだとしても、その人は嘘をつく事になります。

 

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の証人は 身体に敵対する証人は見えません。

それに、 身体の実在性を立証するために他の方法で語る他の名前の証人たちに、耳を傾ける事もしません。

聖霊はそれが実在しない事を知っています。

というのは、 身体がその中に保持しているとあなたが信じているものは、どんなものにも包含できないものだからです。

また、 身体神ご自身の一部であるものに対して、それが何を感じるべきなのか、そして、何がその機能であるかを教える事も出来ません。

しかし 聖霊は、あなたが大切にしているものは何であれ愛さないという事はありません。

そして、 身体の死を語るそれぞれの証人に対して、 聖霊は死を知らないの中にあるあなたの生命について語る証人を派遣します。

聖霊がもたらす奇跡の一つひとつが、 身体は実在しないという証人です。

身体の苦痛も快楽も、 聖霊は同じように癒します。

なぜなら、 聖霊の証人が全ての罪の証人たちに取って代わるからです。

 

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奇跡は、罪の証人たちにつけられたいくつもの名前に対して何の区別もする事はありません。

奇跡は単に、そのような名前が表象しているものには何の結果もないことを証明するだけです。

そして、奇跡そのものの結果がやってきて罪の証人に取って変わることで、奇跡はこの事を証明します。

あなたが自分の苦しみをどのような名前で呼んだかは問題ではありません。

それはもはやそこには存在していません。

奇跡をもたらす存在は、それら全てを恐れと呼ばれているひとつのものと知覚します。

恐れが死の証人であり、奇跡は生命の証人です。

奇跡は誰にも否定できない証人です。

それが運んでくるのは、生命がもたらす結果だからです。

死にかけた者は生き、死者は蘇ります。

そして、苦痛は消滅しました。

しかし、奇跡はそれ自体のためにではなく、それが表象しているもののために語るのです。

 

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愛もまた罪の世界の中に象徴をもっています。

奇跡は 赦しを越えた真実なるものを代表しているがゆえに、赦すのです。

奇跡が、自ら取り消しに来た法則により拘束されていると考える事は、何と愚かで狂った事でしょう。

罪の法則は、様々な強みを持った様々な証人たちを擁しています。

その人達は様々なそれぞれ違う苦しみを証言します。

ところが、この世界を祝福するために奇跡を送り出す存在にとっては、ちくりとした痛みも、ささやかな世俗的な快楽も、激しい死の苦痛そのものも、ただ一つの響きでしかありません。

すなわち、癒しを求める声であり、悲惨な世界の中で助けを求める悲痛な叫びです。

奇跡が証言するのは、それらの同一性です。

奇跡が立証するのもまた、それらの同一性です。

それらを違ったものだと呼ぶ法則は効力を失い、無力であることが示されます。

奇跡の目的とは、これを達成することです。

そして、神ご自身が、奇跡に証明されるものであるために奇跡が持つ強さを証明しています。

 

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それならば、あなたは罪の法則の証人ではなく、奇跡の証人となりなさい。

もはやこれ以上苦しむ必要はありません。

ただし、あなたが癒される必要はあります。

なぜなら、この世界は苦しみや悲しみによって、 救済と解放に耳を塞いでいるからです。

 

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この世界の復活は、あなたの癒しと幸せを待っています。

それは、あなたが世界の癒しを実証できるようにするためです。

あなたが聖なる瞬間の結果を運んでいきさえすれば、聖なる瞬間が全ての罪に取って変わるでしょう。

そして、誰もこれ以上苦しみを選択しなくなるでしょう。

あなたが果たす機能として、これ以上によいものがあるでしょうか。

癒せるようになるために癒されなさい。

そして、罪の法則が自分に適用される事で苦しむのはやめなさい。

そうすれば、愛の象徴が罪に取って代わる事を選択したあなたに、真理が顕現されるでしょう。

 

奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第27章「夢を癒す」目次

27-1    十字架刑の絵

27-2    癒しに対する恐れ

27-3    全ての象徴を越えて

27-4    静かな答え

27-5    癒しの手本

27-6    罪の証人たち

27-7    夢を見ている者

27-8      夢の「主人公」

 

奇跡講座(奇跡のコース) テキスト編、ワークブック編、マニュアル編 各目次

テキスト編 1章~31章 目次

ワークブック編 レッスン1~365 目次

教師のためのマニュアル編 1~29 目次

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目次

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