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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第21章 「理性と知覚」21-4
第21章 21-4 内面を見ることに伴う恐れ
ACIM-Text- chapter21-4-1
聖霊は、決してあなたが罪深いと教えません。
誤りは訂正します。
しかし、それは誰も恐れさせはしません。
あなたが本当に恐れているのは、内側に目を向け、そこにあると自分が思い込んでいる罪を見ることです。
このことを認めること自体は、あなたが恐れていることではありません。
罪に関連した恐れを、 自我は極めて適切なものだと見なしており、そうした恐れには満足して微笑みかけます。
あなたに恥ずかしい思いをさせることも恐れません。
そして、あなたが罪を信じ、罪に信を置いているものといることを疑いません。
それ故に、 自我の神殿は揺るぎません。
罪がそこに有ると信じるあなたの信は、それがそこにあって見えるものであって欲しいと願うあなたの欲求を証明するものに他なりません。
罪は、ただ恐れの源であるかのように見えているだけです。
ACIM-Text- chapter21-4-2
自我は、単独には存在していないということを覚えておきなさい。
自我の支配は手加減されており、 自我は見ることさえも出来ない未知の「敵」を恐れています。
自我は、大声で内側を見てはならないと告げます。
もし、内側を見たら、あなたの目は罪を目にすることになり、神はあなたを罰して盲目にするからだと告げます。
あなたは、これを信じており、それ故に見ようとはしません。
しかし、これは 自我が隠し持つ恐れではなく、 自我に仕えるあなたの恐れでもありません。
自我は、実に大声でそうであると言い張りますが、それはあまりに大きな声で、あまりに何度も繰り返されます。
というのも、この絶え間ない叫びと、気が狂わんばかりの宣言の背後で、 自我にはそれが本当であるという確信はないからです。
罪ゆえにあなたには内面を見る事を恐れていますが、その背後にさらにもう一つ恐れがあり、それが 自我を震撼させるほどの恐れなのです。
ACIM-Text- chapter21-4-3
もし、あなたが内側に目を向け、そこに罪が見えなかったとしたら、どうでしょうか。
この「恐ろしい」質問は、 自我が絶対に尋ねることのない質問です。
そして、今それを尋ねているあなたには、 自我の全防衛体系をあまりに深刻に脅かしているので、もはや 自我はあなたの友を装うこともしません。
兄弟たちとつながった者たちは、自分のアイデンティティーが 自我の中にあるという信念から自分を切り離しました。
神聖な関係とは、あなたが真に自らの一部であるものと一つにつながる関わりです。
そして、罪を信じるあなたの信念は既にぐらついているばかりか、今あなたは内側に目を向けてそこに罪を見ない事を全面的に嫌がってはいません。
ACIM-Text- chapter21-4-4
あなたの解放は、今のところ部分的なものに過ぎず、依然として限定され、不完全に過ぎませんが、それでもそれはあなたの中に生じています。
完全に気が狂ってはいないあなたは、進んで自分の狂気の多くに目を向けようとするつもりでおり、その異常さを認識しようとしてきました。
あなたの信は内へと向かい、狂気を通り越して、理性へと向かって進んでいます。
そして、今あなたの理性があなたに知らせることを、 自我は聞きたがりません。
聖霊の目的は、あなたの心の中で 自我が知らない部分によって受け入れられました。
あなたもその部分を知りませんでした。
しかし、今あなたが一体感を持っているその部分は、それ自身を見ることを恐れていません。
それは罪を知りません。
そうでなければ、どうしてそれが、 聖霊の目的を進んで自分自身のものとして見なそうという気になれたでしょうか。
ACIM-Text- chapter21-4-5
この部分は、時間が始まって以来ずっと、あなたの兄弟を見て、完璧にその人を認識してきました。
そして、かつてはそうであったように、再びその人とつながって自由になるということ以外には何も望みませんでした。
それは、自由が生まれること、つまり解放の訪れをあなたが受け入れるのを待っていました。
そして、やっと今、 聖霊の目的につながったのは 自我ではなかったので、そこには 自我以外の何かがあるに違いないとあなたは認識しています。
これが狂気だと思ってはなりません。
なぜなら、これはあなたの理性が告げることなので、あなたが既に学んできたことと完璧に辻褄の合うことだからです。
ACIM-Text- chapter21-4-6
聖霊が教えることには何一つ矛盾はありません。
これが正気な者たちの論法です。
あなたは、 自我の狂気を知覚しましたが、恐れませんでした。
それを分かち合うことを選択しなかったからです。
時には、それは依然としてあなたを欺きます。
しかし、あなたがもっと正気でいる時には、 自我のわめき声があなたの胸の奥を戦慄させることはありません。
内側を見たいというあなたの「僭越な」願望に 自我が激怒し、全ての贈り物をあなたから取り上げようとしても、あなたにはそうした贈り物など自分が欲しくないことが分かっているからです。
残っているいくつかの小物は、今でも輝き、あなたの目を惹くように見えます。
それでも、あなたは、そのようなものを手に入れるために天国を「売る」ことはしません。
ACIM-Text- chapter21-4-7
そして、今度は 自我が恐れる番となります。
しかし、 自我が恐怖の中で耳にする物音は、心の別の部分にとってこの上なく心地好い音楽に聞こえます。
それは、あなたの心に 自我が入り込んできて以来ずっと、その部分が聞きたいと切望していた歌です。
自我の弱点は、その部分の強さです。
別の世界を讃えて歌われる自由の歌は、心のその部分に平安の希望をもたらします。
というのも、その部分は天国を覚えており、長きに渡り 自我の支配によって天国から閉め出されてはきましたが、やっと今その天国が遂に地上に訪れたということが分かるからです。
天国は訪れました。
そして、天国に属するものとして天国に与えられたものを、地上はもはや引き止めることは出来ません。
ACIM-Text- chapter21-4-8
兄弟を優しく見つめなさい。
そして、 自我の弱点はあなた達双方の視覚の中で明らかにされるということを覚えておきなさい。
自我が離しておこうとするものが出会い、一つに結ばれました。
そして、恐れもせずに、 自我を見つめています。
罪無き無垢なる幼子よ、喜び勇んで、確かさへの道を歩みなさい。
確かさは疑いの中にあると言い張る恐れの狂った主張によって、引き戻されてはなりません。
それは何の意味もありません。
それがどれほど大声で宣言されようと、あなたにとっては少しも関係ありません。
無意味なものを、何度も繰り返しわめき声で意味あるものにすることは出来ません。
静かな道が開かれています。
幸せな気持ちでその道を辿りなさい。
そして、必ずそうならざるを得ないものを疑いの目で見るのはやめなさい。
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