奇跡講座テキスト編27章27-8夢の「主人公」

奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第27章「夢を癒す」27-8本文

 

第27章27-8夢の「主人公」

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身体は、この世界の夢想においての中心的な形象です。

身体がなければ、夢は存在しません。

また、 身体がまるで目に見えていて信じられる人格であるかのように行動する場である夢がなければ、 身体は存在しません。

身体はあらゆる夢の中で中心的な位置を占めていて、その夢が語るのは、 身体が他の 身体によって作り出され、 身体の外側にある世界に生まれ出て、僅かの間生きては死んでゆき、そして同じように死んで行く他の 身体たちと土に戻ってひとつになる、という物語です。

生きるために与えられるつかの間の時間の中で、それは自分の友や敵となる他の 身体を探し求めます。

身の安全が、 身体の主な関心事です。

自らの快適さが、 身体を導く指針です。

それは快楽を探し求めようとし、痛みをもたらしそうなものは避けようとします。

とりわけ、 身体は自らの苦痛と喜びは異なっていて区別が出来るものであるという事を自分自身に教えようとします。

 

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この世界の夢想はいろいろな形を取りますが、その理由は、 身体はそれ自体が自立的で実在している事を様々な方法で証明しようとするからです。

それは、この世界の宣言によれば価値があり実在するとされる小さな円形の金属や紙切れで買い求めた品々を、自分の身につけたりします。

身体は、そうしたものを得るために仕事をして、無意味な事を行い、そうあって手に入れたものをまた自らが必要でもなければ欲しくもない無意味な品々のために投げ捨てたりもします。

自分を守り、自分の所有物だと呼べる無意味なものを更に収集するために他の 身体を雇い入れたりします。

身体は自分の夢を分かち合えそうな特別な 身体を周囲に探し求めもします。

時には、 身体は自分より弱い 身体の征服者であるという夢を見る事もあります。

しかし、夢の中のある段階においては、自分を傷つけたり拷問したりする他の 身体の奴隷となる事もあります。

 

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生まれた時から死ぬまでの 身体の一連の冒険が、これまで世界が見てきたあらゆる夢のテーマです。

この夢の「主人公」は決して変わることはなく、その目的も変わりません。

夢そのものがいろいろな形で現れ、その「主人公」は非常に多くの様々な場所や出来事の中に自分を見出すように見えますが、夢にはたった一つの目的しかなく、それが様々な形で教えられているに過ぎません。

夢が何度も何度も繰り返して教えようとしているこの一つのレッスンは、夢が原因であって結果ではない、ということです。

さらに、あなたは夢の結果であって、夢の原因で有り得ないということです。

 

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したがって、あなたは夢を見ている者ではなく、夢そのものとなっています。

だから、あなたは夢が企てる様々な場所や出来事の間を行き来して、虚しく彷徨っています。

身体がしている事ははこれだけしかない、というのは本当の事です。

身体は夢の中の人影に過ぎないからです。

しかし、夢の中の人影たちをまるで実在するかのように見ていない限り、誰がそれらに対して反応したりするでしょうか。

それらをあるがままに見た瞬間、夢の中の人影はもはやその人に対して何の結果も及ぼさなくなります。

それというのも、その人は自分が原因となってそれらを実在するかのように見せる事によって、それらにそのような結果を与えたという事を理解するからです。

 

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世界が今までに見てきた全ての夢の結果から、あなたはどれほど脱出したいと思っているでしょうか。

どんな夢であれ、自分がしていることの原因であるように見せたくはないと、あなたは願っているでしょうか。

あるとすれば、単に夢の始まりに目を向けてみましょう。

なぜなら、あなたが見ているのは単に夢の第二番目の部分に過ぎず、その原因は第一の部分の中にあるからです。

眠っていて、この世界の中で夢を見ているものは誰一人、自分が行った自分自身に対する攻撃のことを覚えてはいません。

自分が 身体について何も知らなかった時の事や、このような世界を実在するものとして思いつく事さえ出来なかった時が実際にあったとは、誰一人として信じていません。

その時になら、このような考えが一つの幻想であり、あまりにも馬鹿馬鹿しくて笑い飛ばして退ける以外にないという事が、すぐに分かったでしょう。

ところが、今ではそうした考えがなんと深刻なものに見えることでしょう!

そして、そのような考えが一笑され、信じられる事もなかった時の事を、誰一人思い出す事が出来ません。

私達が、もしそのような考えの原因を直視さえすれば、これを思い出すことが出来ます。

そうすれば、恐れの原因ではなく、笑みを浮かべるべき理由を見る事になるでしょう。

 

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夢を見ている者が手放してしまった夢を、その人自身に返しましょう。

その人はその夢を、自分から分離したもので、自分の身に降りかかってくるものとして知覚しています。

全てが一なるものである永遠の中に、一つの小さな狂った考えが忍び込んだ時、その時点で神の子は笑う事を忘れてしまいました。

その神の子が忘れた時、その考えは深刻なものとなり、達成することも実在性のある結果を生む事も、どちらも可能なものとなりました。

私達が一緒にいれば、その両方ともを笑って退けられます。

そして、時間が永遠の中に割り込むことなど出来ないという事が理解できます。

時間が永遠を妨げる事が出来るなどと考えるのは、戯言に過ぎません。

そもそも永遠とは、時間が存在していないという意味なのです。

 

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時間を超越した状態の中で実在化される時間、自らを攻撃できるの一部、敵として分離した兄弟、 身体の中にある心、こうしたことは全て様々な形の堂々巡りです。

その終結は夢の開始地点から始まり、夢の原因のところで終わります。

あなたの見ている世界は、あなたが自分でしたと思ったことを、厳密にそのまま描写しています。

ただし今のところ、あなたは自分がした事について、それが自分に対してされていると考えています。

あなた自身が思考した事についての罪悪感が、あなた自身の外側に置かれ、あなたに代わってあなたの夢を見、あなたの想念を思考する有罪の世界の上に置かれています。

その世界はそれ自体の報復を運んできますが、あなた自身の報復ではありません。

それはあなたを狭苦しい 身体の中に閉じ込めたまま、 身体がその夢の中で行なう様々な罪深いことの故にそれを罰します。

あなたが自分で 身体を作り出したわけではないので、あなたには 身体の悪行をやめさせる力はなく、ましてその行為や目的や運命を制御することなど出来ません。

 

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この世界は往古の真理を実証するだけです。

つまり、あなたは自分が他の人たちにしたと思っている通りのことを、そっくりそのままその人たちが自分にすると信じる事になります。

しかし、一旦妄想を抱いてその人たちを責め始めるなら、あなたはその人たちがしている事の原因そのものを見なくなるでしょう。

なぜなら、あなたは罪悪がその人たちの上に留まるのを望むからです。

罪悪を手放さずに自分の外側に追い出すことによって自分の無垢性を保とうとする稚拙な計略は、なんと子供じみたものでしょう!

あなたの目が周りに見るものが、些細な原因から離れた由々しき結果であるという時に、その滑稽さを知覚するのは容易ではありません。

原因抜きにすれば、その結果は実に深刻で悲しいものに見えます。

しかし、結果は何かの後に続くものでしかありません。

そして、それらの結果の原因は、無の後に続くだけであり、滑稽さとしか言えないものです。

 

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優しく笑いながら、 聖霊はその原因を知覚し、結果には目を向けません。

それ以外にどのようにして 聖霊は、原因を完全に見落としてきたあなたの誤りを訂正する事が出来るでしょうか。

聖霊はあなたに、それぞれの恐ろしいい結果を 聖霊のもとにどれも皆持ってくるようにと告げます。

そうすれば、あなたは一緒にその馬鹿げた原因を見て、共にしばらくの間笑うことが出来るようにします。

あなたは結果に判断を下しますが、 聖霊はそれの原因に既に審判を下しています。

そして、 聖霊の審判によって結果は取り除かれています。

あなたは涙を浮かべながら踊るかもしれません。

しかし、 聖霊が次のように言うのを聞きなさい。

「聖なる神の子である私の兄弟よ、あなたの無為な夢をよく見なさい。夢の中であるのでこうしたことが起こり得たのである」と。

すると、あなたは 聖霊の笑い声とひとつになった兄弟と自分の笑い声を聞きながら、聖なる瞬間を後にするでしょう。

 

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救いの秘密とは、「あなたは自分で自分にこれをしている」ということだけです。

攻撃がどんな形を取るにせよ、依然としてこれが真実です。

敵や攻撃の役割を誰が担っていたとしても、依然としてこれが真理です。

あなたが感じている苦痛や苦しみの原因と見えるものが何だと見えようとも、依然としてこれが真実です。

なぜなら、自分が夢を見ている事を知っている夢の中であれば、あなたもそこに登場する人影たちに対して全く反応しようとしないはずだからです。

その人たちにはいくらでも好きなように憎々しく狂暴にさせておきなさい。

これが自分が夢だという事をあなたが認識し損なったのではない限り、その人たちはあなたにどんな結果も及ぼすことは出来ません。

 

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この一つのレッスンが学ばれたなら、どのような形の苦しみであっても、あなたはそこから自由になるでしょう。

聖霊は、あなたに痛みをもたらす苦しみの形に関わらず、解放についての包括的なレッスンを、それが習得されるまで繰り返します。

あなたがいかなる傷を持ってきたとしても、 聖霊はこの極めて単純な真理をもって答えるでしょう。

なぜなら、この一なる答えが、ありとあらゆる形の悲しみや苦しみの原因を取り去ってくれるからです。

形態は 聖霊の答えに全く影響を及ぼしません。

それらの形態に関わらず、それらが全て単一の原因を、 聖霊はあなたに教えようとするからです。

そして、あなたは、「私がこれを行なった。そして、私が取り消したいのはこれである。」という単純な声明を、奇跡が反映していると理解するでしょう。

 

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それならば、苦しみはどれも皆同じであると分っている 聖霊のところへ、全ての苦しみを持ってきなさい。

聖霊は、違いが存在しないところに違いを見る事はありません。

そして、それぞれの違いがどのように引き起こされたのかを、あなたに教えるでしょう。

どのような苦しみの原因であれ、他の苦しみの原因と異なっている事はなく、真に学ばれた単一のレッスンによって、容易に取り消されます。

救済とは、あなたが自分自身だけに隠してきた秘密です。

そであることは全宇宙が宣言しています。

ところが、その証人たちにあなたは全く注意を払っていません。

なぜなら、その人達はあなたが知りたくないようなことを証言するからです。

その人達の方が、それをあなたから秘密にしているように見えます。

しかしあなたは、自分自身が、見る事も聞く事もしないという選択をしただけだという事を学ぶ必要があります。

 

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このことが認識されたなら、あなたはこの世界に対してどれほど異なったやり方で近くするようになることでしょう!

自分の罪悪について世界を赦すなら、あなたはそれから自由になります。

この世界の無垢性があなたの罪悪を要求するわけでなく、あなたの無罪性があなたの罪悪を要求するわけでなく、あなたの無罪性が世界の罪の上に成立するわけでもありません。

これは明白なことであり、あなただけに隠されていた秘密です。

そして、あなたを世界から分離させ続け、兄弟をあなたから分離させてきたのはこれです。

今あなたが学ぶ必要のなる事は、あなた達は共に無罪なのか、共に有罪なのか、そのどちらかであるという事だけです。

あり得ない事があるとすれば、あなた達が互いに相手と異なっていて、無罪も有罪もその両方ともが真実であることだけです。

あなたがまだこれから学ぶ必要のある秘密は、これだけです。

そして、あなたが癒されているということが、秘密ではなくなるでしょう。

 

奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第27章「夢を癒す」目次

27-1    十字架刑の絵

27-2    癒しに対する恐れ

27-3    全ての象徴を越えて

27-4    静かな答え

27-5    癒しの手本

27-6    罪の証人たち

27-7    夢を見ている者

27-8      夢の「主人公」

 

奇跡講座(奇跡のコース) テキスト編、ワークブック編、マニュアル編 各目次

テキスト編 1章~31章 目次

ワークブック編 レッスン1~365 目次

教師のためのマニュアル編 1~29 目次

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目次

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