奇跡講座テキスト編27章27-3 全ての象徴を越えて

奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第27章「夢を癒す」27-3本文

 

第27章27-3 全ての象徴を越えて

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力というものは、対立する事が出来ません。

というのも、対立は力を弱めることになり、弱められた力というものは、観念上の矛盾だからです。

弱い強さなどというものは無意味であり、弱めるために使われる力は、制限する事に費やされます。

したがって、その力は制限された弱いものにならざるを得ません。

それがその目的だからです。

力が力そのものであるためには、対立がないものでなくてはなりません。

弱さが力の中に入り込むなら、力を力でない何かに変えずにいられません。

弱めるとは、制限する事であり、自らが攻撃している観念に対してそれとは矛盾した反対のものを押しつける事です。

こうすることでその概念にそれとは異なる何かを付け加え、それを意味不明なものにしてします。

「弱められた力」とか「憎しみに満ちた愛」などといった二重の概念を、誰が理解できるでしょう。

 

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あなたは兄弟が「憎しみに満ちた愛」や「弱められた力」や、とりわけ「生きた屍」というような象徴であると決めつけました。

だから、その人はあなたにとって何の意味も持ちません。

その人は無意味なものを表しているからです。

その人は二重になった想念を表象していて、そこでは、半分が残りの半分によって相殺されています。

ところが、残りの半分もそれが相殺した半分によって直ちに否定され、そのようにしてどちらも消えてなくなります。

そして、今やその人は何も表してはいません。

あり得ない観念を表象するに過ぎない象徴は、虚ろな空間と虚無を表す以外ありません。

しかし、虚無も虚ろな空間も、妨げとはなり得ません。

実相についての自覚を妨げ得るのは、何かがそこにあるという信念そのものです。

 

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あなたが見ている兄弟の絵は、何も意味していません。

そこには、何一つ攻撃すべきものや否定すべきものもなく、愛すべきものも憎むべきものもなく、あるいは力を付与すべきものや弱さを見るべきものも何もありません。

その絵は全面的に取り消されています。

というのも、それはそれ自体が表象している想念を相殺した矛盾を象徴していたからです。

したがって、この絵にはいかなる原因もありません。

原因がなければ、誰が結果を知覚できるでしょう。

原因のないものが虚無ではなくて何でしょう。

あなたに見える兄弟の絵は、完全なもぬけの殻で、一度もあったためしのないものです。

それならば、その絵が占めているうつろな空間を何もないところとして認識し、その絵を見ることに費やされた時間を無為に過ごした何もなかった時間として知覚しなさい。

 

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満たされているようには見られていない虚ろな空間や、既に使用されて何かで占められているとは未使用の時間枠は、真理に対して中に入ってくつろぐようにと誘う無言の正体となります。

この招待の真の魅力を強めるために出来るような準備は何も必要ありません。

というのも、あなたが空にする場所はが満たす事になり、が在るところには必ず真実が宿るからです。

対立するものを持たず、弱められていない力が、創造の本質です。

これには、その象徴となるものはありません。

いかなるものであれ、真理を越えたものを指し示す事はありません。

一体何が、一切を越えるものを象徴できるでしょう。

しかし、真の取り消しは優しいもののはずです。

それゆえに、最初にあなたの絵と交換に与えられるのは、もっと優しい別の種類の別の絵です。

 

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虚無を得に描けないのと同じように、全体性を表す象徴はありません。

実相とは、究極的には知られるものであり、形というものもなく描かれる事も見られる事もありません。

しかし、 赦しはあなたが課そうとした限界を設ける事はしません。

赦しとは、真理が一時的に表象されるための手段です。

補助となる教えるための手段が無意味となり学びが完了するまでの間、 聖霊に絵の交換を可能にさせるものが 赦しです。

学びのゴールを超えても使い道のある補助となる教えの道具は存在していません。

その目標が達成された時、それは価値のないものとなります。

しかし、学びの期間においては、それは使い道があり、あなたは今はその使い道を恐れていますが、いずれ愛するようになります。

 

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解放されて空っぽになったばかりの空間を満たすべく、兄弟の絵があなたに与えられていますが、その絵にはどのような種類の防衛も必要としません。

なぜなら、あなたは抗えないほど強くその絵を好むようになるからです。

それに、一瞬もためらわず、それが自分の好む唯一の絵だと決断するでしょう。

それは、二重の概念を表してはいません。

それはまだ絵の半分であり、不完全なものであっても、それ自体の内部においては同一ものです。

それが表象しているものの残りの半分は未知のままですが、それは相殺されてはいません。

こうして、神ご自身が自由に最後の一歩を踏み出せるようになります。

このことのためには、あなたは一枚の絵も必要とする事はなく、何一つ学びの補助となる道具も必要ありません。

そして、究極的に全ての学びの補助となる道具に取って変わるものは、ただそこに在るだのみです。

 

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赦しは消滅し、象徴は徐々に見えなくなります。

かつて目が見ていたもの、耳が聞いていたものは何一つ残されず、知覚されません。

完全に無限なる力が、破壊するためではなく自らのものを受け取るためにやってきたのです。

選択できる機能はどこにもありません。

あなたが失う事を恐れている選択肢は、もとより存在してはいませんでした。

とはいえ、その恐れだけが、無限の力と、完全であり幸せであり対立するもののない純一な想念を妨げるかのように見えます。

あなたは、どんなものとも対立しない力のもたらす平安とは、いかなるものかを知りません。

しかし、それ以外の種類の平安は、そもそも存在する事はあり得ません。

赦しさえも、象徴と制限の世界さえも超越している力を、歓迎しなさい。

はただ在ろうとするのみであり、それゆえに、ただ在るのみです。

 

奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第27章「夢を癒す」目次

27-1    十字架刑の絵

27-2    癒しに対する恐れ

27-3    全ての象徴を越えて

27-4    静かな答え

27-5    癒しの手本

27-6    罪の証人たち

27-7    夢を見ている者

27-8      夢の「主人公」

 

奇跡講座(奇跡のコース) テキスト編、ワークブック編、マニュアル編 各目次

テキスト編 1章~31章 目次

ワークブック編 レッスン1~365 目次

教師のためのマニュアル編 1~29 目次

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目次

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