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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第29章「目覚め」29-1本文
第29章29-1 隔たりを無くす
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神が不在の時間や場所や状態は存在しません。
恐れるべきものは何もありません。
神のものである全一性の中では、隔たりといったものは思い描く事も出来ません。
神の永遠なる愛において、この上なくわずかで微小な隔たりに表象されるような妥協でさえ、全く不可能です。
なぜなら、それは神の愛がごく微かにではあっても憎しみを抱き、時には神の優しさが攻撃に変わり、時には神の忍耐が衰える事があるということを意味するからです。
もし兄弟と自分自身の間に隔たりを知覚するなら、こうしたことの全てをあなたは信じていることになります。
だとすれば、どうしてあなたに神を信頼する事が出来るでしょうか。
神はその愛が欺瞞的ということになります。
もしそうであるならば、用心しなくてはなりません。
神をあまり近寄らせないようにし、自分と神の愛との間に隔たりを残し、逃げ出す必要のある時には、隔たりを通じて逃げられるようにしておかなければなりません。
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ここに、神に対する恐れが極めてはっきり見えています。
というのも、恐れと憎しみは決して切り離せないものであり、恐れる者たちにとって愛とはまさしく信用できないものだからです。
誰であれ、憎しみを抱く者で愛を恐れていないものはいません。
したがって、必ずその人は神を恐れています。
その人が、愛とは何を意味するかがを知らないのは確かなことです。
その人は、愛する事を恐れ、憎む事を愛しています。
それゆえに、愛は恐ろしく憎しみが愛だと思っています。
これが、僅かな隔たりを大切にして、それが自分の 救済であり希望であると考える者たちに、その隔たりが必ずもたらす事になる結果です。
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神に対する恐れ!
平安の流れが越えていかなければならない最も大きな障害は、まだなくなってはいません。
その他のものは過ぎ去りましたが、この一つは未だに残っていてあなたの行く手を塞ぎ、光へ向かう道を暗く、恐ろしく、危険で荒涼としたいものに見せています。
あなたは兄弟が自分の敵だと決めつけてきました。
時に、あなた達の個々の利益が少しの間友情を可能にした場合は、友であると決めた事もあるかもしれません。
しかし、それでもその人が再び敵になる場合に備えて、あなたとその人の間の隔たりが知覚されなくなる事はありませんでした。
その人が近寄れば、あなたはすっと後ろに飛び退きました。
あなたが近寄った時には、その人はすぐ後ずさりしました。
限られた範囲で、深みにはまらないよう念入りに規制された用心深い友情が、あなたがその人と結んだ協定となりました。
こうして、あなたと兄弟は、分離の条項だけは完全に守るという同意のもとに、条件つきの協定を取り交わしただけに過ぎません。
そして、こうしたことを破ることは、決して容赦されない条約違反であると見なされました。
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あなたと兄弟との間にある隔たりとは、単に 身体と 身体の間にある空間のことではありません。
そしてそれは、あなた達の分離した心を仕切っているように見えているだけです。
それは、あなた達が気が向いた時に出会い、再びあなたとその人が一緒になるという選択をするまでは離れていることにするという約束を、象徴するものです。
そうして、あなた達の 身体は連絡を取り合うように見え、それにより 身体がつながり合うための出会いの場所を意味しているかのように見えます。
しかし、あなたと兄弟はいつでも別々の道を行くことが可能です。
分離する「権利」を条件として、あなたとその人は時々出会いますが、分離の期間は離ればなれにのままでいるという事に同意し、その期間が愛の「犠牲」から守ってくれることになります。
身体が完全に犠牲を避けて、あなたに分離した自己を再び築くための時間を与えてくれるので、あなたを救ってくれるという訳です。
あなたは自分と兄弟が出会うとき自分の自己は縮小すると本当に信じているのです。
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あなたが 身体を自分と兄弟の間に見られる分離や距離の原因にしたいと望んだのでない限り、 身体があなたの心を兄弟の心から分離することはできません。
このようにしてあなたは、 身体にそれ自体が持っていない力を 身体に授けます。
そして、 身体があなたを支配する力がここに潜んでいます。
なぜなら、今やあなたは、自分と兄弟がいつ会うのかを 身体が決定し、兄弟の心と聖賓にあずかる自分の能力を限定するものと考えるからです。
そして今や、あなたがどこへ行くべきか、どのようにしてそこ行くべきか、あなたに何が出来そうか、何が出来ないかを、 身体があなたに告げる事になります。
それはまた、自らの健康が何に耐えられ、何が自らを疲れさせたり病気にさせたりするか、といったことまで指示します。
そして、 身体に「固有の」弱さが、あなたにすることに制限を設け、あなたの目的を限られた弱いものにし続けます。
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もし、あなたが望むなら、 身体はこうしたことに順応するでしょう。
身体は、憎しみの期間を挟みつつ、ある程度まで「愛」に耽溺する事も容認します。
そして、いつ「愛し」、いつ安全に恐れの中へ引きこもるべきか、を指示します。
あなたが、愛するとは何を意味するかを知らないために、 身体は病気になります。
そうすると、あなたは必然的に全ての状況や出会う人を誤用し、それらの中に自分自身のものとは違った目的を見ることになります。
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犠牲を求めるものは、愛ではありません。
ところが、恐れは愛を犠牲にするよう要求します。
それというのも、愛が現存するところに恐れは留まることが出来ないからです。
憎しみが維持されるためには、愛は恐れられなければならず、時々しか存在せず、時にはなくなるものでなければなりません。
このようにして、愛はあてにならないものと見なされます。
というのも、愛は不確かに行き来し、何の安定ももたらさないように見えるからです。
あなたには、自分の忠誠がいかに限定された脆弱なものであるか、また自分がどれほど頻繁に愛に退去を命じ、自分ひとりで「平安」の中にそっとしておくように要求してきたがが分かっていません。
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身体はゴールを持たないものですが、その 身体があなた自身が保持して無理やり 身体に維持させている変わりやすいゴールについてのあなたの言い訳となっています。
あなたは 身体の弱さを恐れてはいるわけでなく、 身体には強さも弱さも欠如していることを恐れているのです。
あなたは自分と自分の兄弟の間には何も遮るものがないということを知りたいと思っているでしょうか。
自分がその奥に隠れることが出来るような隔たりは存在していなということを知りたいと思っているでしょうか。
自分の 救済者はもはや自分の敵ではないという事を学ぶ者たちは、ある種の衝撃を受けます。
身体は実在しないと学ぶ事によって警戒心が掻き立てられます。
そして「神は愛である」という幸福なメッセージの周りに、何となく恐ろしいような意味合いが色濃く漂います。
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しかし、隔たりがなくなった時に生じるのは、永遠なる平安のみです。
それ以上のことでもなければ、それ以下のことでもありません。
神に対する恐れがなければ、何があなたに神を見捨てさせることができるでしょうか。
隔たりの中にあるどのような玩具や装飾品が、あなたを神の愛から一瞬の間でも引き離しておけるでしょうか。
もし神を見出す事で自己の喪失を見出すのではないかと恐れていたのでなければ、天国の呼びかけに対して、 身体が「否」と答える事をあなたは容認するでしょうか。
しかし、あなたの自己は見つかる事によって居なくなるということが有り得るでしょうか。
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