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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第31章「最後の心眼」31-4本文
第31章31-4 真の選択肢
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世界の目的は問題を保持することにあるというのに、その世界が問題からの脱出や慰めを提供できると考えられる傾向があります。
なぜ、このようなことになるのでしょうか。
それは、この世界は様々な幻想の中から選択することだけが選択であるように見える場所だからです。
そうしてあなたは、自分が選択したことによる結果を制御できるということになります。
したがってあなたは、誕生から死までの短い時間帯において、自分ひとりのために使える僅かな時間が自分に与えられていると考えています。
それは、いうなれば、誰もがあなたと葛藤を感じますが、どの道が自分を葛藤から抜け出さしてくれ、自分には関係ない困難から遠ざけてくれることになるかを、あなたが自分で選ぶことが出来る時間です。
ところが、それらの困難はあなたに確かに関わりがあるのです。
それならば、あなたはそれらを後にすることで、どうしてそれらから逃れることが出来るというのでしょう。
どの道を歩む選択をしようが、あなたと共に行かなければならないものであれば、あなたはそれを自分と一緒に連れていくことになります。
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真の選択は、幻想ではありません。
しかし、世界は真の選択を一つも提供でえきません。
その全ての道は、失望と虚無と死に到るだけです。
世界の選択にはこれ以外の選択はありません。
ここに、問題からの脱出口を探し求めてはなりません。
世界は、問題から逃れられなくするために作り出されたのです。
世界の中の様々な道につけられたありとあらゆる異なった名前に騙されてはなりません。
それらの道には一つの到達点しかありません。
そして、どれも全て、そこに辿り着くための単なる手段でしかありません。
なぜなら、始まりの仕方がどんなに違っているように見え、進み方がどんなに違っているように見えようとも、その全ての道が行き着くところはここだからです。
到達地点は決まっています。
どれを選んでもそれは選択ではないからです。
その全てが行き着くところは死です。
ある道に行けば、寂寥感に教われるまでのしばらくの間、あなたは楽しく旅をします。
また、ある道を行けば、すぐにも茨の棘を感じます。
選択できるのは、結末がどうなるかではなく、いつその結末が来るかだけです。
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到達地点の全てが確定しているところに選択の余地はありません。
それらがひとつのものに過ぎないことを真に学ぶまで、あなたはそれらの全てを試してみたいと思うかもしれません。
この世界が提供できる道は膨大な数があるように見えるかもしれませんが、そのうち、どの道も他の道といかに同じものなのかが誰にでも分り始める時が必ずやってきます。
このことが分かって死んでいった者たちがいます。
この世界が差し出す道以外の道が、その人たちには見えなかったからです。
そして、それらの道がどこにも到達しない事を学んで、その人たちは希望を失いました。
ところが、その時にこそ、その人たちは最も大切なレッスンを学べたはずだったのです。
全ての人がこの地点まで到達し、それからそこを越えていかなければなりません。
この世界において選択の余地はないというのは、まさしく真実です。
しかし、このこと自体がレッスンなのではありません。
レッスンには目的があり、こうしたことの中であなたはそのレッスンが何のためのものなのか理解するようになります。
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そのレッスンがどのようにして始まるかは学んだものの、まだそれが何のためなのかを知覚していない時に、なぜあなたは別の道や人や場所を試してみようとするのでしょうか。
それが何のためのものなのかというその目的こそが、まだこれから見出されるべき別の答えがあるはずだと信じている者たちが、必ず取り組むことになる探求に対する答えです。
絶望することもなく、この世界の中には答えが見つかる希望はないということを、今学びなさい。
しかし、この学びと共に始まったばかりのこのレッスンを裁いてはなりません。
さらに別の道を指し示すように見える別の道しるべを、世界の中に探すのはやめなさい。
あるはずのないところに、これ以上希望を探してはなりません。
今、あなたの学びを速めなさい。
そして、既に学んだことを越えて、これから学ぶべきことへと進まない限り、あなたは時間を無駄にするだけだと理解しなさい。
学びは、この最も低い地点から出発して幸福の高みへと導くからです。
そこであなたはそのレッスンの目的が鮮明に光り輝き、完全にあなたが学んで理解できるもいるのを目にするでしょう。
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この世界の全ての道の真の不毛さを理解しない限り、誰が喜んでそれらに背を向けようとするでしょう。
それらの代わりに別の道を追求するためには、この理解から始めることが必要なのではないでしょうか。
選択の余地のないところに選択を見ているうちは、その人にどのような決断の力が使えるでしょう。
力の大いなる解放は、それが実際にどこで役に立つかを学ぶことから始まらなければなりません。
もし選択の余地などない状況に適用されるとすれば、いったいどのような決定に力があるでしょうか。
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この世界が提供し得る選択肢は、その影がどのようなものであっても一つしかないと学ぶことが、それに代わる真の選択肢があるということを受け入れていく始まりです。
このステップに抵抗することは、あなたのここでの目的を挫くことです。
あなたは、この世界に含まれていない道を見つけることを学ぶためにやってきた訳ではありません。
世界の中で様々な異なった形の真理を探究することに他なりません。
そしてこれこそが、真理を到達できないものにし続けるのです。
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幸せから遠ざかる道を辿ることで、幸せが見出せると考えてはなりません。
これは意味をなさず、進むべき道ではあり得ません。
この奇跡のコースが難しくて学べないと感じているように見えるあなたに、私は繰り返します。
ゴールを達成するためには、それから遠ざかるのではなく、それに向かって進んでいかなければなりません。
そして、それ以外の方向へ行く道はどれも、見出すことの出来る目的へと前進することにはなりません。
もしこれを理解することが難しいというのなら、このコースを学ぶことは不可能でしょう。
しかし、不可能なのはその場合のみです。
そうでない限り、これは当たり前のことについての単純な教えだからです。
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あなたが真の二者択一の選択肢を見た時には、あなたの力で選ぶことの出来る一つの選択肢が確かに存在します。
その時点に達するまでには、あなたには選択の余地はなく、再び自分を欺くためのより良いやり方をいかにして選ぶかを決めることしか出来ません。
この奇跡のコースが教えようとしているのは、「決断の力は、依然として同じ幻想であり同じ間違いであるものの様々に異なる形態を選択することの中にはない」ということだけのことです。
この世界における選択は全て、次のことに依拠しています。
すなわち、あなたは兄弟と自分自身の間で選択し、兄弟が失う分だけあなたが手に入れ、あなたが失うものが兄弟に与えられる、ということです。
これは、いかに真理に反していることでしょう。
レッスンの目的の全ては、兄弟が失うものはあなたが既に失っているものであり、その人が得るものはあなたに与えられているものであることを教えることにあります。
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神はご自身の想念たちから離れたことはありません!
しかし、あなたは神の臨在を忘れ、神の愛を忘れてしまいました。
この世界の中のどの道も神に到ることは出来ず、いかなる世俗的なゴールも、神のゴールとひとつになることは出来ません。
不毛な彷徨とならないためには旅には目的がなければなりませんが、この世界の中の全ての道が旅をそれが持つべき目的から引き離すために作り出されているというのなら、その中のどの道の内側へと導いてくれるというのでしょう。
あなたの本性から離れていく道は全て、あなたを混乱と絶望へと導くことになります。
しかし、神は決して、ご自身の想念たちから離れたことはなく、彼らから内なる永遠の源を失わせて彼らを死に到らせるようなことはしませんでした。
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神はご自身の想念たちから離れたことはありません!
彼らが神を締め出しておくことが出来ないのと同じように、神は彼らから離れ去ることは出来ません。
神との一致の中に彼らは留まり、父と子の一体性の中で、両者が共に完全に保たれます。神から離れていく道は存在しません。
あなた自身から離れる旅は存在しません。
そのようなことを目標とする道があり得ると考えるとは、何と愚かで、狂ったことでしょう!
いったいそのような道がどこに通じるというのでしょうか。
そして、いったいどのようにすれば、あなたにその道を行く旅をさせ、あなた自身の実相を伴わずにそこを歩ませられるというのでしょう。
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自分の狂気について自分を 赦し、全ての無意味な旅やゴールのない目標を忘れてしまいなさい。
そのようなものには何の意味もありません。
あなたは自分の本性から逃げ出すことは出来ません。
まぜなら、神は慈悲深く、我が子にご自身を見捨てさせはしなかったからです。
神が神であることに、感謝しなさい。
その事実の中にこそ、狂気と死からあなたが逃れる道があるからです。
神がいる場所でしか、あなたが見出されることはありません。
神へと至らない道は存在しません。
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