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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第31章「最後の心眼」31-6本文
第31章31-6 霊(Spirit)を認識する
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あなたは肉を見るか、それとも霊(Sprit)を認識するか、そのどちらかです。
その二つ間に妥協はありません。
もし一方が実在するなら、もう一方は偽りです。
なぜなら、実在するものはその反対のものを否定するからです。
心眼にはこれ以外の選択はありません。
この点についてあなたが決断することが、あなたが見て、実在すると考え、真実として保持する全ての選択に懸っています。
あなたの世界全体がこの一つの選択に懸っています。
なぜなら、ここにおいて、あなたは自分がいかなるものであるかを、すなわち、肉であるか、霊(Spirit)であるのかを、確立するからです。
もし、肉を選択するなら、あなたは 身体を自分自身の実相とすることから決して逃れられないでしょう。
あなたはそのようでありたいという選択をしたからです。
しかし、霊(Spirit)を選択すれば、天国の全てが身を屈めてあなたの目に触れ、あなたの神聖な視覚を祝福するので、あなたはもはや、癒し、慰め、祝福するためにだけしか、肉の世界を見なくなるでしょう。
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救済とは、取り消しです。
もし 身体を見ることを選択するなら、あなたは分離の世界や、相互に無関係な物事や、全く意味をなさない出来事の数々を見る事になります。
一つの 身体が姿を現しては死んで消え去るかと思えば、別の 身体には苦しみと損失の運命が定められています。
そして、誰一人として、一瞬前の自分と厳密に同じではなく、一瞬の後には、今の自分と同じではなくなります。
これほどの変化が見られる場所にあって、誰が信頼を置く事が出来るでしょう。
塵に過ぎない存在だというのなら、誰に価値があるというのでしょう。
救済とは、こうしたことの全てを取り消すことです。
なぜなら、 救済がその瞳を、罪悪感が保持されるための代価を見る事から解放した時、その人たちの視覚には恒常性が生じるからです。
それはその人たちが、罪悪感を保持せずに手放すという選択をしたからです。
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救済は、あなたが霊(Spirit)を見て、 身体を知覚しないようにと求めはしません。
ただ、これがあなたの選択となることを求めているだけです。
なぜなら、あなたは何の助けもなく 身体を見る事が出来ますが、どうすれば 身体から離れた世界が見えるのかは理解していないからです。
救済が取り消すのはあなたの世界であり、そうして 救済は、あなたの目が決して見出すことの出来ないもう一つの世界をあなたに見せてくれます。
いったいどのようにしてそうしたことが出来るのかと、心配することはありません。
あなたには、自分が見ているものがどのように生じて自分の目に入るのかを、理解していません。
もし理解していたなら、それはなくなっていたでしょう。
無知のベールが善と悪の前に垂れ下がっています。
両方とも消えてなくなるように、そのベールを越えていかなければなりません。
それにより、知覚が隠れ家を見出す事がなくなります。
これがどのようにして為されるのでしょうか。
それは全く為されないのです。
神が創造した宇宙の中に、まだこれから為されなければならないものなどあるでしょうか。
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天国に至る道をあなたが自分で分かりやすくしなければならないなどと思いつくのは、傲慢さ以外の何ものでもありません。
あなたが作り出した世界と入れ替わるための手段は、あなたに与えられています。
あなたの意志は行なわれます。
天においても地上においても、これは永遠に真実です。
あなたが自分がどこにいると信じていようと、何が真に自分自身についての真理であると考えようと、それは問題ではありません。
あなたが何に目を向けようと、また何を感じ、何を考え、何を願うことを選択しようと、何の違いももたらしません。
神ご自身が、「あなたの意志は行われるだろう」と言ったからです。
そして、あなたに対してもそのように行われています。
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あなたは、神の子を自分が望む通りの者として見る事が出来ると信じていますが、あなた自身に対してのいかなる概念も、あなたの本性の真理には対抗できないということを忘れてはなりません。
真理を取り消すことは不可能です。
しかし、概念であれば変えることは難しいことではありません。
以前に知覚されていた情景に当てはまらない光景がはっきりと見られる時、世界は真に見る事を学ぶ眼差しの前で変容するでしょう。
その時、自己の概念が変化しているからです。
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あなたは、傷つかざるものでしょうか。
そうであれば、あなたの見る世界は無害です。
あなたは、赦すでしょうか。
そうであれば、この世界も赦すものとなります。
あなたが世界の罪悪を 赦したので、世界はあなたと同じ眼差しであなたを見るようになるからです。
あなたは、一個の 身体でしょうか。
そうであるなら、全世界は裏切りと殺意に満ちたものと知覚されます。
あなたは、朽ちる兆しも罪の穢れもない不死なる霊(Spirit)でしょうか。
そうであるなら、世界はあなたの信頼に充分に応える安定した場所であると見られます。
それは、恐れるべきものが何一つなく、愛すべきものがだけがある場所であり、しばらく休息するための幸せな場所です。
心優しき者にとって、誰が歓迎されざる者だというのでしょう。
そして真に無垢なる者を、何が傷つけられるというのでしょう。
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神の神聖な子供であるあなたの意志は、行われるでしょう。
あなたが自分が居ると考えている所が、地であっても天であっても、それは問題ではありません。
父があなたについて意志することは決して変わりません。
あなたの内なる真理は、星のごとく燦然と輝き続け、光のように清らかで、愛そのものののように無垢であり続けます。
そして、あなたが価値あるものであるからこそ、あなたの意志は行なわれるでしょう!
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