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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第6章 「愛のレッスン」より6-0本文
第6章 6-0 序論
ACIM-Text- chapter6-0-1
怒りと攻撃の関係性は明白ですが、怒りと恐れの関係は必ずしもそれほど明白ではありません。
怒りは常に分離の投影を伴いますが、それは究極的には自分自身の責任として受け入れらるべきものであり、他の人のせいにされるべきものではありません。
自分が攻撃されたと信じ、それに対する反撃が正当化されると信じ、そのことに自分は何の責任もないと信じているのでない限り、怒りが生じることは有り得ません。
これらの三つの全面的に非理性的な前提が与えられたならば、兄弟が愛ではなく攻撃を受けるに値するという、同様に非理性的な結論が必ず導き出されます。
狂気の前提からは、狂気の結論以外に何が期待出来るでしょうか。
狂気の結論を取り消す方法は、その土台となる前提が正気かどうかを考えてみることです。
あなたは攻撃されることなど有り得ず、攻撃にはいかなる正当な根拠も無く、あなたが何を信じるかはあなた自身の責任です。
ACIM-Text- chapter6-0-2
あなたは私を学びの模範にするようにと勧められてきましたが、それは、極端な例は特に役立つ学習教材になるからです。
誰もが教えており、しかも、いついかなる時も教えています。
それが、あなたが何らかの前提を少しでも受け入れた瞬間から、必然的に受け入れざるを得ない責任であり、また、何らかの思考体系がなければ、自分の人生に秩序を持たることは出来ません。
どんな種類の思考体系にせよ、ひとたびあなたが何らかの思考体系を構築したなら、あなたはそうした思考体系によって生き、それを教えることになります。
ある思考体系に忠誠を尽くすという能力は、間違った対象に向けられる場合もありますが、それでもそれは信の一つの形態であり、正しい対象に向け直すことは可能です。
奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第6章 「愛のレッスン」目次
6-5-B 平安を得るためには、平安を学べるように平安を教えなさい