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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第6章 「愛のレッスン」より6-3本文
第6章 6-3 攻撃の放棄
ACIM-Text- chapter6-3-1
既に強調しておいたように、想念はどれも全てそれを考える者の心の中で始まります。
従って、心から拡張していくものは、変わらず心の中にあり、自らが何を拡張させているかということから、心は自らを知ります。
ここで「知る」という言葉を使うことは正確です。
なぜなら、 聖霊は自らの偏見のない知覚を通して、今でもあなたの心の中で叡智を安全に保持しているからです。
何一つ攻撃しない 聖霊は、神からのコミュニケーションを妨げることがありません。
従って、実在するものは決して脅かされることはありません。
神と同質のあなたの心が汚されることは決してあり得ません。
自我は決してその心の一部であったことはなく、これからもそうなることはありません。
しかし、あなたは、 自我を通して真実ではないことを聞き、教え、学ぶことが出来ます。
あなたは自分自身に、あなたの真実の姿を自分ではないと信じることを教えてきました。
あなたには、自分が学んでいないことを教えることは出来ません。
そしてあなたが教えることは、あなたがそれを分かち合うので、あなた自身の中で強められます。
あなたが教える一つひとつを、あなた自身が学んでいます。
ACIM-Text- chapter6-3-2
それ故に、あなたはただ一つのレッスンだけを教えなければなりません。
あなた自身が葛藤から解放されるには、あなたは 聖霊のみから学び、 聖霊によってのみ教えなければなりません。
あなたはただ愛そのものです。
しかしこれを自分で否定するなら、あなたは自分の本性を、学ぶことにより思い出さなければならないものにしてしまいます。
私は以前、十字架刑のメッセージは、「愛だけを教えなさい。なぜなら、あなたは愛そのものだからです」というものだと述べました。
これこそ完全に統一されている一なるレッスンです。
なぜなら、それだけが唯一の一なるレッスンだからです。
それを教えることによってのみ、あなたはそれを学ぶことが出来ます。
「あなたは教える通りに学ぶ」のです。
もしそれが真実ならば、そしてこれはまさに真実なのですが、あなたの教えることが、あなた自身に教えているのだということを、忘れてはなりません。
そしてあなたが投影するものや、拡張させるものを、あなたは信じるのです。
ACIM-Text- chapter6-3-3
唯一の安全は、 聖霊を拡張させることで見い出されます。
なぜなら、他の者の中に 聖霊の優しさを見るに従って、あなた自身の心は自らを全く無害なものとして知覚するからです。
一旦、このことを十分に受け入れることが出来たなら、心は自らを護る必要があるとは思わなくなります。
その後は、神に保護されているということに気付き始め、心は自らがいつまでも完全に安全なのだと分かり、安心するようになります。
完全に安全な者は、穏和そのものです。
その人たちは自分自身が祝福されていると知っているので祝福します。
不安がない心はどこまでも親切であり、そうした心は慈善を広めるので慈善に満ちています。
安全とは完全に攻撃を放棄することです。
これについてはどんな妥協も不可能です。
どのような形の攻撃にせよ、それを教えるなら、あなたはそうすることを学んだのであり、それはあなたを傷つけることになるでしょう。
けれども、こうして学んだことは無くならない訳ではありません。
それを教えないことによって、あなたはそれを白紙に戻すことが出来ます。
ACIM-Text- chapter6-3-4
教えないということはあなたには出来ないので、あなたの 救済は、 自我の信じている全てのこをの正反対を教えることにあります。
このようにすることで、あなたは自分を自由にするその真理を学びますが、それはまた、他の人々があなたからそれを学ぶにつれて、あなたを自由に保つ真理でもあります。
平安を得る為の唯一つの方法は、平安を教えることです。
平安を教えることによって、あなた自身が平安を学ばなければなりません。
なぜなら、あなたは未だに自分が分離させているものを教えることは出来ないからです。
そのようにしてこそ、あなたは自分で捨て去った叡智を取り戻すことが出来ます。
あなたが分かち合おうとする想念は、あなたが持っているものでなければなりません。
その想念は、それを教えることからくる確信を通して、あなたの心の中で目覚めます。
あなたが教えることの全てを、あなたは学んでいます。
ただ愛そのものだけを教えなさい。
そして、 愛はあなたのものであり、あなたが愛そのものであることを学びなさい。
奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第6章 「愛のレッスン」目次
6-5-B 平安を得るためには、平安を学べるように平安を教えなさい