奇跡講座テキスト編6章6-2 投影に代わるもの

 奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第6章 「愛のレッスン」より6-2本文

 

第6章 6-2 投影に代わるもの

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心の中の僅かな分裂でさえ、必ずその心の一部が拒絶されており、この拒絶こそが分離への信念です。

神の全一性がすなわち神の平安ですが、それは神に創造されたものの全一性を認識する全一な心でしか、賛美されません。

この認識によって、完全な心は自らの創造主を知ります。

除外と分離は同じことを意味し、分離と解離も同様です。

既に述べたように、分離は解離することであったし、それは今も同じですが、一旦それが起こると、投影が、分離の主な防衛手段となります。

つまり、分離を継続させていく仕組みとなります。

しかし、そのようになる理由は、あなたが考えるほど明らかではないかもしれません。

 

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あなたは自分が投影するものを放棄するので、したがって、それが自分のものだとは信じていません。

あなたは、投影の対象である相手と自分は違うという判断により、自分自身を除外していることになります。

あなたはまた、自分が投影しているものに裁きを下しているので、それを攻撃し続けます。

というのも、あなたはそれを分離したままに保ち続けるからです。

これを無意識に行うことにより、あなたは自分自身を攻撃したという事実を自覚しないようにします。

こうして、あなたは自分を安全にしたと想像するのです。

 

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しかし、投影は必ずあなたを傷つけます。

投影はあなた自身の分裂した心への信念を強めることになり、その投影の唯一の目的は分離を継続させることです。

それは単に、あなたは兄弟たちとは違っており、その兄弟たちとは分離しているとあなたに感じさせる為に 自我が使う手立てに過ぎません。

自我は、それによりあなたが兄弟たちよりも「優れている」ように思わせるという理由で、こうしたことを正当化し、それによって、あなたが兄弟と同等であることを尚一層覆い隠してしまいます。

投影と攻撃は、必然的に関係があります。

なぜなら、投影は常に攻撃を正当化する為の手段となるからです。

投影を伴わない怒りというものは有り得ません。

自我は、あなた自身と兄弟たちの両方についてのあなたの知覚を打ち砕く為にのみ、投影を使います。

そうしたプロセスは、あなたの内にあるとはいえ自分では望まない何かを除外することから始まり、そこから直接、あなたを兄弟たちから除外することへとつながります。

 

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しかし私たちは既に、投影に代わる選択肢があることを学びました。

自我の能力の一つひとつに、より良い使い方があります。

なぜなら、そうした能力は心によって導かれているので、心はより良い声を持っているからです。

聖霊は拡張し、 自我は投影します。

双方のゴールは相反しているので、その結果も同様です。

 

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聖霊はあなたを完全であると知覚することから始めます。

この完全さは、分かち合われていると知っている 聖霊は、それを他の者の内にも認識し、それにより、両者の中でそれを強めます。

それは両方に怒りの代わりに愛を喚起します。

なぜなら、それは包含を確立するからです。

平等であることを知覚しているので、 聖霊は同一の必要を知覚します。

これが贖罪を自動的に招くことになります。

なぜなら、贖罪こそこの世界において唯一必要なことだからです。

あなた自身をこのように知覚することだけが、あなたがこの世界で幸せを見い出せる唯一の方法です。

その理由は、あなたがこの世界には居ないということの確認であり、この世界は間違いなく不幸せな場所だからです。

 

ACIM-Text- chapter6-2-6

喜びのないところで、自分がそこには居ないと悟る以外にどのようにして喜びを見い出せるでしょうか。

あなたは、神があなたを置かなかったところに存在することはできません。

そして、神はあなたを自らの大切な一部として創造しました。

それが、あなたの居場所であり、そしてあなたの本性です。

それは絶対に変更出来ません。

それは全てを包括します。

あなたはそれを今もこれから先も自分で変えることは出来ません。

それが永遠の真実です。

それは信念ではなく、事実そのものです。

神の被造物は何であれ、神と同じように真実です。

これが真実であるということは、唯一完全なる神の内に、それが完全に包括されているということに由来します。

これを否定することは、あなた自身と神とを否定することになります。

なぜなら、一方を受け入れてもう一方を受け入れないことは不可能だからです。

 

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聖霊の知覚の完全な平等性は、神の知り方の完全な平等性の反映です。

自我の知覚に相当するものは神の内にはありませんが、 聖霊は知覚と叡智を結ぶ架け橋として留まります。

叡智を反映する形で知覚を使えるようになることにより、あなたは究極的には叡智を思い出します。

自我はむしろ、こうした記憶を思い出すのは不可能だと信じたがるでしょう。

しかし、 聖霊が導くのは他でもないあなたの知覚です。

あなたの知覚はそれが始まったところで終わります。

全てのものは、神によって神の内で創造されたので、全てのものは神の内で出会います。

 

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神は自らの想念を拡張して、それらの拡張した想念を御心に留めておくことによって、神の子たちを創造しました。

したがって、神の想念の全ては、それぞれの中で、そして互いと完全に統一されています。

聖霊は、あなたが今こうした完全さを知覚出来るようします。

神は、あなたを創造する主体として創造しました。

しかし、神の国の完全さを知るまでは、あなたは神の国を拡張させることは出来ません。

 

ACIM-Text- chapter6-2-9

想念は考える人の心の中で始まり、そこから延長していきます。

これは、あなたの思考についてと同じように、神の思考についてもこれが真実です。

あなたの心は分離しているので、思考することも知覚することも出来ます。

けれども、知覚は心の基本的法則を逃れることは出来ません。

あなたは自分の心の中で知覚し、自分の知覚を外へ向かって投影します。

どのような種類の知覚も実在的なものではないとはいえ、あなたがそれを作り出したので、 聖霊はそれを有効に利用することができます。

聖霊は知覚を鼓舞して神へと導いていくことが出来ます。

こうして、次第に神の元へと集まるのは遠い将来のことのように思えますが、それはただ、あなたの心がこの考え方と完全に一致しておらず、したがって、今はそれを望んではいないからです。

 

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聖霊は時間を利用しますが、それを信じてはいません。

聖霊は神から生じているので、あらゆるものを良きことの為に使いますが、真実でないものを信じることはしません。

聖霊は、あなたの心の中にいるので、あなたの心もまた、真実であるものだけを信じることが出来ます。

聖霊は真実であるものを代弁できるだけです。

なぜなら、 聖霊は神を代弁するからです。

聖霊はあなたに自分の完全な心を神に戻すようにとあなたに伝えます。

それは初めから一度も神の元を去ったことはありません。

それが一度も神の元を去ったことがないのなら、それが戻る為には、あなたがそれをあるがままに知覚しさえすればよいのです。

それならば、贖罪を完全に自覚するということは、分離は決して一度も起こらなかったと再認することです。

自我はこれに打ち克つことはできません。

なぜなら、それは、 自我は一度も生じたことがないという明白な言明だからです。

 

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戻る必要があるという考え方ならば、 自我は受け入れることが出来ます。

というのも、 自我は実にたやすくその考えを難しいものに思わせることが出来るからです。

けれども 聖霊は、一度も起こらなかったことが難しい筈は無いのだから、戻る必要さえないとあなたに伝えます。

それでもあなたは、戻るという考えを必要とし、その上難しいものにしてしまうことが出来ます。

しかし、完全であるものが何も必要としないということは言うまでもなく明らかです。

そして、その完全性こそがあなた本来の姿なのだから、あなたが完全であろうとすることを難しいものとして経験することはできません。

このような見方で、神の被造物たちをあなたは知覚しなければなりません。

それが、あなたの知覚するもの全てを、 聖霊の見ている一本の道筋へと持っていくことになります。

この道筋が、神とのコミュニケーションの直通経路であって、あなたの心を神の御心に近づけてくれます。

この知覚の中にはどこにも葛藤はありません。

なぜなら、それは知覚が全て 聖霊に導かれていることを意味し、その 聖霊の心は神だけに据えているからです。

聖霊だけが葛藤から自由であるので、葛藤を解消出来るのは 聖霊だけです。

聖霊はあなたの心の中の真実だけを知覚し、他者の心の中の真実であるものだけに向かって拡張します。

 

ACIM-Text- chapter6-2-12

自我の投影と 聖霊の拡張との違いは極めて単純です。

自我が投影することは除外する為、すなわち欺く為です。

聖霊は、どの心の中にも 聖霊自身を認めることによって拡張し、それによって全ての心を一つのものとして知覚します。

この知覚おいては、どのようなものもそこには矛盾するものは何もありません。

なぜなら、 聖霊が知覚するものは全て同じだからです。

聖霊は目を向けるあらゆるところに、 聖霊自身を見ます。

そして 聖霊は統一されているので、常に全一な神の国を差し出します。

これが、神が 聖霊に与えた一なるメッセージであり、 聖霊が代弁しなければならないものです。なぜなら、それが 聖霊だからです。

神の平安は、そのメッセージの内にあるので、神の平安はあなたの内にあります。

神の国の素晴らしい平安はあなたの心の内に絶えず輝いていますが、あなたにそれを自覚させる為にはそれは外へ向かって輝かなければなりません。

 

ACIM-Text- chapter6-2-13

全く偏りなく公平に、 聖霊はあなたに与えられています。

それ故に、偏りなく 聖霊を認識することによってのみ、あなたは初めて 聖霊を認識することが出来ます。

自我は多勢ですが、 聖霊は唯一です。

神の国のどこにも暗闇が留まることはありませんが、あなたの役割は、あなた自身の心の中にどのような暗闇も留まらせないようにすることだけです。

このような光との同調には限界はありません。

なぜなら、それはこの世界の光であるものと同調しているからです。

私たち一人ひとりがこの世界の光であり、この光の内に心を合わせることにより、私たちは共に一つのものとして神の王国を宣言するのです。

 

奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第6章 「愛のレッスン」目次

6-0  序論

6-1  十字架刑のメッセージ

6-2  投影に代わる選択肢

6-3  攻撃の放棄

6-4  唯一の答え

6-5   聖霊のレッスン

6-5-A  所有する為には、全ての人に全てを与えなさい

6-5-B  平安を得るためには、平安を学べるように平安を教えなさい

6-5-C  神と神の国を守る為だけに警戒していなさい 

 

奇跡講座(奇跡のコース) テキスト編、ワークブック編、マニュアル編 各目次

テキスト編 1章~31章 目次

ワークブック編 レッスン1~365 目次

教師のためのマニュアル編 1~29 目次

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