Contents
奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第6章 「愛のレッスン」より6-5-C本文
第6章6-5-C 《神と神の国を守る為だけに警戒していなさい》
ACIM-Text- chapter6-5-C-1
聖霊は評価をするものであり、またそうでなければならない、と前に述べたことがあります。
聖霊はあなたの心の中で、間違ったものから真実であるものを選り分け、あなたが自分の心に入り込ませる思いを一つ残らず、神がそこに置いたものの光に照らし合わせて判断するように教えます。
聖霊はこの光と一致するものは何でも保ちます。
それはあなたの内なる神の国を強化する為です。
部分的に一致するものは、受け入れて清めます。
しかし、全く一致しないものは、それを不適当と判断し、退けます。
このようにして、 聖霊は神の国を、完璧な一貫性ある完全に統一された姿に保つのです。
しかし、 聖霊の退けるものを 自我は受け入れるということを思い出しなさい。
この理由は、両者はあらゆることについて根本的に価値判断が違っており、あなたが何であるかについても根本的に価値判断が違っているからです。
この非常に重要な論点について、 自我の信念はさまざまに変り、それが 自我の心境が次々と変わる理由です。
聖霊はこの点に関して決して変わることはないので、 聖霊が生じさせる唯一の心境は喜びです。
聖霊は喜びを育まない全てのものを拒絶することによって、それを保護します。
故に、 聖霊だけが、あなたを完全な喜びに満たされた状態に保つことができます。
ACIM-Text- chapter6-5-C-2
聖霊はあなたに、他の人を裁くことを教えたりはしません。
なぜなら、あなたが誤りを教えて、あなた自身も誤りを学ぶことになるのを望んではいないからです。
避けるべきだと学ばなければならないはずのことを、あなたに強化させるとしたら、 聖霊には一貫性がないことになります。
ということは、思考する人の心の中で 聖霊は確かに審判を下すとは言うものの、それはただ、心を統一することで、心が裁くことなく知覚出来るようになる為です。
これによって、心は裁くことなく教えられるようになるので、裁かずに存在することを学べるようになります。
取り消すことが必要なのは、ただあなたの心の中においてのみです。
それによりあなたは、拡張する代わりに投影するということを、やめるようになります。
神自らが、あなたが何を全く安全に拡張させることが出来るかを確立しました。
従って、 聖霊の第三のレッスンは次のようになります。
「神と神の国を守る為だけに、警戒していなさい」
ACIM-Text- chapter6-5-C-3
これは、根本的に変わる為の主要な一歩です。
けれども、それは依然として思考の逆転という側面を持ちます。
あなたが警戒すべき何かがあるということを示唆するからです。
思考の逆転の第一歩にすぎなかった第一のレッスンから遥かに進んでおり、実質的には、何がより望ましいものなのかを確認する第二のレッスンからも同じように進んでいます。
第二ステップが第一ステップから導き出されているように、この第三のステップは第二ステップから導き出される結果であり、望ましいものと望ましくないものという相容れない考え方を強調しています。
そうすることにより、究極的な選択が避けられなくなります。
ACIM-Text- chapter6-5-C-4
第一のステップが葛藤を増すように見え、第二のステップが相変わらずある程度まで葛藤を必然的に伴うかもしれない一方で、このステップは、葛藤に対し首尾一貫して警戒することを求めています。
あなたは 自我を守る為に警戒できるのと同様に、 自我に対して警戒することも出来ると私は既に言いました。
このレッスンは、 自我に対して警戒出来るだけでなく、必ずそうしななければいけないと教えています。
このレッスンそのものは、難しさの順序については問題にせず、警戒することのみを明確に最優先します。
このレッスンは、例外を設けたいという惑いが起こることは否定しませんが、例外があってはならないということは、実にはっきりと教えています。
とすれば、ここでは、混乱している状態であっても一貫性を保つことが、あなたに要求されています。
しかし、混乱状態と一貫性は長い間共存することはできません。
その二つは両立しないからです。
しかし、あなたが何かに対して警戒しなければならない間は、これが両立しないことを認識しておらず、あなたは未だどちらをも選べるのだと信じています。
何を選ぶべきかそれを教えることによって、 聖霊は究極的には、あなたは全く何も選ぶ必要などないということを、あなたに教えることになります。
これが、最終的にはあなたの心を選択というものから自由にし、神の国において創造することへと向かわせるでしょう。
ACIM-Text- chapter6-5-C-5
聖霊を通して選択することが、あなたを神の国へと導いてくれます。
あなたは真の実在によって創造します。
しかし、あなたは自分とは何であるかを思い出すことを学ばなければなりません。
それを思い出す方法は、第三ステップに内在しており、このステップは他の二つのステップに含まれたレッスンをひとつにまとめ、それを越えて真の統合へ導きます。
神があなたの心に置いてくれたものだけを、あなたが自分の心に置いておくなら、あなたは自分の心を、神の被造物だとして承認することになります。
従って、あなたは心をあるがままに受け入れていることになります。
そうした心は全一であるから、あなたは平安を信じることによって、平安を教えているのです。
最後のステップは今なおあなたの為に神によって踏み出されますが、第三のステップにより、 聖霊はあなたに神へと向かう準備をさせています。
あなたが 聖霊と共に踏み出さなければならないこれらのステップそのものにより、 聖霊は「所有すること」を「在ること」へと変える為の準備をあなたに整えさせています。
ACIM-Text- chapter6-5-C-6
あなたはまず最初に、「所有すること」は、得ることではなく、与えることを土台にしていると学びます。
次に、あなたは自分が教えることは自分が学ぶことだということと、自分が学びたいことは平安だということを学びます。
これが神の国との同一化する為の条件です。
なぜなら、それが神の国そのものの状況だからです。
あなたは、自分は神の国の外にいると信じてきました。
その結果、自分の信念の中で、自分自身をそこから除外してきました。
従って、何としてもあなたに教えなければならないことは、あなたがそこに含まれるべきだということと、そして、除外すべきものとは、自分がそこに含まれていないという信念だけだということです。
ACIM-Text- chapter6-5-C-7
第三ステップは、すなわち、あなたの心を護る為のステップであり、それにより、あなたは神が自身への祭壇を置いた心の中心部のみと一つになれるようになります。
祭壇とは信念のことですが、神と神の被造物は信念を越えたものです。
なぜなら、それらは疑問を越えたものだからです。
神を代弁する声は、疑問を越えた信念だけを代弁します。
それは何の疑いも抱かずに「在ること」への為の準備です。
神と神の国への信念が、あなたの心の中に何等かの疑いを抱いて攻撃する限り、神により完全に達成されているものがあなたには明白ではありません。
それ故に、あなたは神の為に、警戒していなければならないのです。
自我は、神の被造物に反して語り、それ故に疑いを生じさせます。
あなたは自分で完全に信じるまでは信念の域を越えていくことは出来ません。
ACIM-Text- chapter6-5-C-8
一なる子の全体に例外なく教えることにより、あなたがその全一性を知覚していることと、それがひとつであると学んだことが実証されます。
今あなたは、その一体性をあなたの心に留めておく為に絶えず警戒しなければなりません。
なぜなら、もし疑いを抱きはじめたら、あなたはその全一性の自覚を失ってしまい、そのことを教えることが出来なくなるからです。
神の国の全一性は、あなたの知覚に左右されることはありません。
しかし、その全一性についてのあなたの自覚は知覚に左右されます。
保護が必要なのはあなたの自覚だけです。
実在するものが攻撃されることは有り得ないからです。
けれども、実在の真の感覚は、自分とは何なのかについてそれに疑いを抱いている間は、あなたのものにはなりません。
これが、警戒が不可欠である理由です。
実在についての疑念があなたの心の中に入ってはいけません。
疑念が入れば、自分が何であるか確信を持って知ることが出来ません。
確実性は神からあなたへのものです。
警戒は、真理に対しては必要ではありませんが、幻想に対しては必要です。
ACIM-Text- chapter6-5-C-9
真理は幻想を伴わず、従って、それは神の国の中にあります。
神の国の外にあるものは一切幻想です。
真理を投げ捨てた時、あなたは自分自身を真理をもたない者として見ました。
自分が価値を認める別の王国を作り出したことにより、自分の心の中に神の国のみを保つことをしなくなりました。
そのようにして、あなたは自分の心の一部をその外に置いてしまいました。
あなたが作り出したものがあなたの意志を閉じ込めて、癒される必要のある病気の心をあなたにもたらしました。
このような病気に対してあなたが警戒することが、その心を癒す方法と言えます。
あなたの心が癒され時、その心は健全さを光のように放ち、それによって癒しを教えます。
そうして、あなたは私と同じように教える教師となります。
警戒は、あなたに必要であるのと同様に、私にも必要でした。
そして、同じことを教えるという選択をする者たちは、何を信じるかについて同意していなければなりません。
ACIM-Text- chapter6-5-C-10
ということであれば、第三のステップは、あなたが何を信じたいと望むかの言明であり、それ以外のものを一つ残らず放棄しようとする意欲が必要です。
聖霊に従うなら、あなたがこのステップを踏むことを 聖霊が可能にしてくれます。
あなたの警戒は、あなたが 聖霊に導いて欲しいと本当に望んでいることのしるしです。
警戒は努力を要することは確かですが、それは努力すること自体不要であるとあなたが学ぶまでの間だけです。
あなたは自分で作り出したものを保存する為に大変な努力を費やしてきましたが、その理由はそれが真実ではなかったからです。
従って、今あなたは、自分の努力をそれとは反対の方向に向けなければなりません。
そうすることによってのみ、努力する必要が打ち消され、実在するものに呼にかけることができます。
実在とはあなたがもっているものであるのと同様に、あなたであるものでもあります。
この認識には全く努力はいりません。
それが既に真実であるので何からも護る必要などないからです。
それは神の内にあって、全く安全です。
それ故に、全てが含まれており、被造物には限界がありません。
奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第6章 「愛のレッスン」目次
6-5-B 平安を得るためには、平安を学べるように平安を教えなさい