Contents
奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第4章 「 自我の幻想」より4-0本文
第4章 4-0 序論
ACIM-Text- chapter4-0-1
聖書には、兄弟があなたに求める二倍の距離をその人と一緒に行くようにと書かれています。
その兄弟の旅路を妨げるようなことは勧めていません。
兄弟への献身が、あなたの進歩を妨げるようなことも有り得ません。
それは、お互いの進歩に役立つだけです。
真の献身が生み出すものはインスピレーションであり、この言葉が正しく理解されるなら、それは疲労とは逆のものです。
疲労を感じる状態とは、霊(Spirit)がない状態のことであり、それに対して霊(Spirit)に満たされているとは、霊(Spirit)の内にあるということです。
自我本位であるということは、霊(Spirit)が不在だということですが、正しい意味で自己中心的であるとは、霊(Spirit)に満たされ、霊(Spirit)の内にあるということです。
真に霊(Spirit)に満たされている者は啓発された者であって、闇に閉ざされることはありません。
ACIM-Text- chapter4-0-2
あなたは、霊(Spirit)から語ることも、 自我から語ることも、自分で選択することができます。
もし、霊(Spirit)として話すなら、あなたは「静まって、わたしこそ神であることを知りなさい」ということをを選んだことになります。
この言葉は、叡智を反映しているので、霊(Spirit)に満たされています。
もし、あなたが 自我から語るなら、叡智を肯定せずに放棄しているのであり、そのようにして、自分自身を霊(Spirit)の内にいないことにしています。
無益な旅路に足を向けないようにしなさい。
なぜなら、そのような旅路は実に虚しいものだからです。
自我はそれを欲するかもしれませんが、霊(Spirit)は決して土台から離れようとはしないので、そのような旅に出ることはできません。
ACIM-Text- chapter4-0-3
十字架に向かう旅路こそ、最後の「無益な旅路」となるべきものです。
それにこだわり続けずに、既に終わったこととして忘れてしまいなさい。
もし、その旅路をあなた自身の最後の無益な旅路として受け入れることができるなら、私の復活にも自由に加わることができます。
それまでは、あなたは人生を無駄に生きていることになります。
そうした人生は、分離や力の喪失、 自我が償いのためにする無駄な試みの数々、そしてついには、 身体を十字架にかけ、死を再現し続けることになります。
この繰返しは、自発的に放棄しない限り果てしなく続くことでしょう。
「古くてぼろぼろになった十字架に縋りつこうとする」といった哀れな間違いを犯してはなりません。
キリストの十字架刑が伝えようとすることはただ一つ、あなたは十字架のような受難でさえ乗り越えられるということだけです。
これが分かるようになるまでは、何度でも好きなだけ自分自身を十字架にかけることを選択するのもあなた次第です。
しかし、私があなたに説きたかったのはこのような福音ではありません。
私達には、他に辿るべき旅路があり、もし、これから述べる教えを注意深く読んでいくならば、あなたの旅に出る準備の手助けとなるでしょう。
奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第4章「 自我の幻想」目次