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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第4章 「 自我の幻想」より4-3本文
第4章 4-3 葛藤を伴わない愛
ACIM-Text- chapter4-3-1
「神の国は、実に、あなたたちの中にある」と言われていますが、それが何を本当に意味するかを理解することは難しいでしょう。
というのも、 自我はそれを「まるで外にある何かが中にあるといっている」と解釈し、それでは意味を成さないので、理解できません。
「中にある」という言葉は必要ではありません。
神の国とはまさにあなたです。
あなた以外には何も創造主は創造しませんでした。
だから、あなたを除いては何が神の国でしょうか。
これこそ、贖罪が伝えたいと願うことの全てです。
それが伝えることの完全性は、それの部分部分を総計した和をも超越します。
あなたも、あなたの霊(Spirit)が創造した王国を持っています。
その霊(Spirit)は 自我の幻想などのせいにして、創造することを辞めてはいません。
あなたが創造したものは、あなたと同様、父親のいないものではありません。
あなたの 自我とあなたの霊(Spirit)とが共同して創造主となることはありません。
しかし、そのあなたの霊(Spirit)とあなたの創造主とはいつまでも共同の創造主となります。
あなたの創造したものは、あなたと同じように安全だということを確信しなさい。
『神の国は完全に一つに結ばれており、また完全に護られており、 自我がそれに勝るようなことはありません。アーメン。』
ACIM-Text- chapter4-3-2
これは祈りの形式で書いてありますが、その理由は心がそそのかされていると感じた時に役立つからです。
いわば独立宣言のようなものです。
もし、あなたがそれを十分に理解すれば、非常に役立つものだと分かるでしょう。
あなたに私の助けがいる理由は、あなたが自分で指導者を拒んでしまったので、指導を必要とするからです。
私の役割は、真実を間違いから分離させることです。
そうすれば、真理は 自我が設けた障害など突破でき、あなたの心の中へと光を注ぐことが出来ます。
私達が一つになった力に、 自我は勝つことできません。
ACIM-Text- chapter4-3-3
自我が、なぜ霊(Spirit)を「敵」と見なすか、それはもうきっと明白になったでしょう。
自我は分離から生じたものであり、その存在が継続するかしないかは、あなたが分離していると信じ続けるかどうかによって左右されます。
自我は、これを信じ続けている者に対して、何らかの報酬を差し出さなければなりません。
それが差し出せるものと言えば、ただ一時的に存在しているような感じしかなく、そのような存在は 自我独自の始まり方で始めて独自の終わり方で終えることになります。
自我は、こうして生きるのがあなたの存在だと言います。
これこそ 自我そのものの生き方だからです。
このような一時的な存在感に対して、霊(Spirit)は永続性と動揺することのない存在をもつ叡智を差し出してくれます。
このような啓示を経験したことがある者は、誰一人再び 自我を完全に信じることは出来なくなります。
どうして 自我の不十分な申し出が、神のすばらしい贈り物に勝るでしょうか。
ACIM-Text- chapter4-3-4
「 自我と自分とは同じだと思う者」は、神に愛されているということを信じることが出来ません。
あなたは「自分の作り出したものを愛してはいない」し、「自分が作り出したものに愛されてもいません」。
父なる神を否定するからこそ 自我が作り出されたのであり、そのような 自我には「自分を作ってくれた相手にさえ忠誠心などない」のです。
あなたは「自分の作り出した自己を憎んでいる」ので、神と神が創造したものとの間にある真実の関係など思いつきもしません。
分離すると決断したことを自分で 自我の上に投影しますが、これは、 自我を作り出したのは自分であるため、その 自我に対する愛と矛盾してしまいます。
この世界ではこうした両価性、すなわち相反する感情を合わせ持たない愛はなく、この両価性を伴わない愛を経験したことのある 自我などいないので、そうした概念を理解しよとしても出来ません。
愛は、もし、心が本当に望むならただちにその心に入るでしょう。
ただし、本当にそれを望まなければなりません。
これはつまり、相反する感情を持たずにそれを願望するという意味であり、このように望むとは、 自我の「手に入れようとせずにはいられない気持ち」を全部無くすということです。
ACIM-Text- chapter4-3-5
自我がさせるどんな経験とも、かなり違った経験をすることがあり、その後は、決して二度とそうした経験を紛らしたり隠したりしたいとは思わなくなります。
ここで、あなたは闇や隠すこと信じているから光が入って来られないのだと、繰り返して言っておく必要があります。
聖書には何カ所も、計り知れないほどの贈り物について言及している部分があり、そうした贈り物はあなたのものですが、それを自分から求めなければなりません。
こうした条件は、 自我が決めるような条件ではありません。
それは、「あなたが何であるか」という素晴らしい条件です。
ACIM-Text- chapter4-3-6
あなた自身の意思を除いては、あなたを導くのに十分だと言える強さや価値のある力は他にありません。
この点で、あなたは神と同じように自由であり、いつまでもそうあり続けなければなりません。
あなたに対する父なる神の愛と、父なる神に対する自分の愛とを忘れずに大切にさせてくれるようにと、共に私の名において父なる神に願いましょう。
こうした願いが聞き入れられなかったことは全くありません。
それは、ただ、父が既に意図されたことを願っているに過ぎないからです。
『心から呼びかける者たちの願い』は必ず叶えられます。
あなたは父なる神をおいて他の神を持つことにはなりません。
なぜなら、他の神などないからです。
ACIM-Text- chapter4-3-7
あなたは、今まで心に抱いたことのある想念で『叡智』とは相反するものを、どれも全て放棄しようと思ってみたことさえないようです。
ほんの少し恐ろしいと思ったことを、数え切れないほどたくさん忘れずに持ち続けているので、それが聖なる存在が入るのを邪魔しています。
光はそれを妨げようとあなたが作り出した壁を貫き通すことは出来なく、あなたが作り上げたものを取り壊すなどもってのほかだと、今後ともそれをする気にはならないでしょう。
壁を通して見ることが出来るものは誰もいませんが、私はそれを迂回して向こう側へ行けます。
『ほんの僅かな恐れのかけらも入らないように自分の心を見守りなさい』。
そうしなければ、私にそうして欲しいとは頼めないでしょう。
私があなたを手助けできるのは、ただ父なる神が私達を創造したそのままの姿としてです。
私はあなたを愛し、尊びもします。
その上、あなたが作り上げたものを絶対に重んじ続けます。
しかし、真実のものでなければ支持するつもりはありません。
神と同様に、私も『決してあなたを見捨てるようなことはしません』が、『あなたが自分自身を見放すことを選んでいる限り待つしかありません』。
私は、苛立つ思いを抑えながらではなく、愛するからこそ待っており、あなたは心から頼むようになるに違いありません。
ただの一言、はっきりと呼びかけてくれれば、すぐに応じるつもりです。
ACIM-Text- chapter4-3-8
念には念を入れて、『自分が何を本当に願っているのか』見てみるといいでしょう。
これに関しては、自分に対して本当に正直でなければいけません。
なぜなら、私達はお互いに隠し立てしてはならないからです。
もし、本当にこうしようと心がけて努力するなら、自分の心に聖なる存在が入れるようにしようと、その第一歩を踏み出したことになります。
あなたと私と一緒にその準備をしましょう。
一旦、聖なる存在が来たなら、あなたは私が他の者たちの心もその存在を受け入れられるようにします。
その手助けも出来るようになるからです。
あなたは、一体いつまで聖なる存在に自分の国を拒むつもりなのでしょうか。
ACIM-Text- chapter4-3-9
あなた自身の心の中には、たとえ 自我は否定していても、自分は解放されている、と断言するものがあります。
神は、あらゆるものを確かに与えてくれています。
この事実は、『 自我は存在しない』ということを意味し、これが 自我には深刻な恐怖となります。
自我が使う言葉で「何かを持つ」と「何かである」というのは異なったものですが、 聖霊にとってはその二つは同一です。
聖霊は、あなたがあらゆるものを確かに持っていると同時に、あらゆるものそのものであると分かっています。
こうした点で、少しでも区別するのが有意義な場合があるとすれば、それはただ、『何かが欠乏していることを仄めかす』、『「手に入れる」という考えを既に受け入れている』場合だけです。
だからこそ、私達は神の王国を持っているというのと、神の王国そのものであるということに区別をつけたりしないのです。
ACIM-Text- chapter4-3-10
神の王国として平静であるものを、あなたの正気の心は完全に意識していますが、それは 自我が支配する心の部分からは容赦なく追い払われます。
自我は、あなたが眠っていようと目覚めていようと、文字通り打ち負かすことができる見込のないものに対抗しているので、絶望的になっています。
考えて見なさい。
あなたは「 自我を護ろうとしてどれだけ警戒する気があった」か、その半面「いかに自分の正しい心を護ることを怠ってきたか」。
正気でない者以外に、一体誰が真実でないものを信じる気になったり、その上真理を犠牲にしてまでそのような信念を護ろうとしたりするでしょうか。
奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第4章「 自我の幻想」目次