
Contents
- 奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第4章 「 自我の幻想」より4-1本文
- 第4章4-1
- 4-1 正しい教え方と正しい学び方
- ACIM-Text- chapter4-1-1
- ACIM-Text- chapter4-1-2
- ACIM-Text- chapter4-1-3
- ACIM-Text- chapter4-1-4
- ACIM-Text- chapter4-1-5
- ACIM-Text- chapter4-1-6
- ACIM-Text- chapter4-1-7
- ACIM-Text- chapter4-1-8
- ACIM-Text- chapter4-1-9
- ACIM-Text- chapter4-1-10
- ACIM-Text- chapter4-1-11
- ACIM-Text- chapter4-1-12
- ACIM-Text- chapter4-1-13
- 奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第4章「 自我の幻想」目次
- 奇跡講座(奇跡のコース) テキスト編、ワークブック編、マニュアル編 各目次
奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第4章 「 自我の幻想」より4-1本文
第4章4-1
4-1 正しい教え方と正しい学び方
ACIM-Text- chapter4-1-1
優れた教師は、自分の考えを教えることにより、それをより明確にし、また強化します。
教師と生徒は、学ぶ為のプロセスにいるという点においてはよく似ています。
共に同じ学びの段階にいるのであり、お互いの学習を分かち合わなければ、どちらも確信が持てないままになります。
優れた教師は、まず自分が教える内容に確信を持っていなければならないのは言うまでもありませんが、もう一つ別の条件を満たす必要があります。
それは、自分が教えている生徒も信じなければならないということです。
ACIM-Text- chapter4-1-2
多くの者が自分の思考体系をそのままに保護しておきたいと望んでいるので、自分の考えを守ろうと警戒しています。
そして、学ぶこととは変化を意味します。
変化することは、分離している者たちにとっては常に恐ろしいものです。
なぜなら、変化することが、分離を癒すことにつながるとは思いも及ばないからです。
その人たちは常に、変化するということを、さらなる分離につながることであると知覚します。
というのも、分離こそ最初に経験した変化だったからです。
あなたは、 自我にどんな変化も入り込ませなければ、平安を見い出せると信じています。
このような重大な混同が起こり得るのは、同一の思考体系が二つの土台のどちらの上にも成り立つと主張する場合にのみ可能です。
自我から霊(Spirit)に届くものは何一つなく、霊(Spirit)から 自我に届くものも何一つありません。
霊(Spirit)は、 自我を強めることも、 自我の葛藤を減らすこともできません。
自我とは矛盾そのものです。
あなたの自己と神の自己は全く相反するものです。
その二つは、源も、方向も、結果も正反対になっています。
霊(Spirit)は知覚することは出来ず、 自我は知ることが出来ないので、二つは根本的に両立することのない和解しないものです。
したがって、霊(Spirit)と 自我との間に意志の疎通はなく、その可能性も全くありません。
それでも、 自我は学ぶことは出来ます。
と言っても、その 自我の作り主が方向を間違えることはあります。
しかしその人は、生命あるものから、完全に生命のないものを作り出すことは出来ません。
ACIM-Text- chapter4-1-3
霊(Spirit)は教わる必要はありませんが、 自我はそうではありません。
学びは、究極的には恐怖を感じさせるものとして知覚されます。
なぜなら、学びは 自我を破壊することはしませんが、放棄することへと導いて、霊(Spirit)の光に働きかけるからです。
こうした変化を 自我は恐れずにはいられません。
というのも、 自我は私の持つ慈愛を分かち合おうとしないからです。
私が学んだことは、あなたが学ぶことと同じものです。
そして、私はそれを学んだからこそ教えることが出来ます。
私は決してあなたの 自我を攻撃しません。
ただ、 自我の思考体系がどのようにして生じたのかを、あなたに教えようとしています。
真に神に創造された者としてのあなたを、私があなたに思い出させるとき、 自我はそれに対して恐れを感じずにいられません。
ACIM-Text- chapter4-1-4
教えることと学ぶことは、今のあなたにとっての最大の強みです。
なぜなら、それは自分の心を変えることが出来るようになり、他の者たちが心を変える手助けも出来るようになるからです。
あなたが心を変えることを拒否しても、分離が起こらなかったという証明にはなりません。
夢を見ている者が夢を見ている最中にその夢の実在性を疑っても、自分の分離した心を真に癒していることにはなりません。
あなたは分離した 自我という夢を見ており、その上に成り立っている世界を信じています。
その世界は、あなたとってはまさに真実です。
そのような世界について自分の心を変えなければ、それを取り消すことはできません。
もし、あなたが自分の思考体系の監視役を自ら放棄し、その思考体系を私に委ねてくれるなら、私はそれをこの上なく緩やかに正していき、あなたが神の元に戻れるように導きましょう。
ACIM-Text- chapter4-1-5
優れた教師なら誰でも、自分の生徒たちがいつか自分を必要としなくなる日がくるように、自分が学んだことを出来る限り生徒に与えたいと望むものです。
これが、教師にとっての唯一の真のゴールです。
自我にこうしたことを納得させるのは不可能です。
なぜなら、それは 自我の法則の全てに不利になるからです。
しかし、法とは、法を制定する者が信じている体系が継続するように、それを護ろうとして制定されるものだということを忘れてはなりません。
あなたが 自我を作り出した以上、 自我が自らを護ろうとすることは当然ですが、あなた自身が 自我の法則を信じているのではない限り、あなたがそれに従いたいと望むのは自然なことだとは言えません。
自我の根源の本質ゆえに、 自我にはそれを信じないという選択が出来ません。
しかし、あなたは自分の根源の本質ゆえに選択することができます。
ACIM-Text- chapter4-1-6
自我同士は、どんな状況においても衝突することがありますが、霊(Spirit)が衝突することは全く有り得ません。
もし、あなたが、教師は単に「もうひとまわり大きな 自我」に過ぎないと知覚するなら恐れを抱くでしょう。
なぜなら、 自我を拡大するということは、分離についての不安を増すことになるからです。
もし、あなたが私と一緒に考えるなら、私はあなたと共に教え、あなたと共に生きていきます。
しかし、私のゴールは常に、最終的には教師を必要とする状態からあなたを解放することです。
これは 自我志向の教師のゴールとは真逆です。
そのような 自我思考の教師は、自分の 自我が他の 自我に与える影響を心配するため、相互のやりとりを 自我の保存のための手段だと解釈します。
もし、私がこれを信じていたなら教えることに専念できないでしょう。
また、あなたもそれを信じているうちは、献身的な教師にはなれないでしょう。
私はいつも、褒めたたえられるべき教師か拒絶されるべき教師として知覚されていますが、私自身はそのどちらの見方も受け入れません。
ACIM-Text- chapter4-1-7
あなたの真価は、教えることや学ぶことによって確立されるわけではありません。
あなたの真価は、神によって確立されています。
あなたがこのことについて異議を申し立てる限り、自分のする事の全てがことごとく恐ろしいものと感じるでしょう。
優越感や劣等感を信じることが容易いなら、特に恐れを強く感じるでしょう。
教師たちは辛抱強くなければならず、身につけて自分のものとするまで、何度でも繰り返して教えなければなりません。
私は喜んでそうするつもりです。
あなたに代わってあなたの学びの限界を制限する権利は私にはありません。
もう一度言っておきますが、あなたが何を行い、何を考え、何を望み、何を作るか、それらのいずれも、あなたの真価を確立する為に必要ではありません。
この点については、妄想の中でない限り論争の余地はありません。
あなたの 自我は神が創造したものではないので、決してその存在が危ぶまれることはありません。
あなたの霊(Spirit)は神が確かに創造したので、決してその存在が危ぶまれることはありません。
こうした点について少しでも混同しているとすれば、それは妄想であり、そのような妄想が続く限りは、どのような形の献身も不可能でしょう。
ACIM-Text- chapter4-1-8
自我は、自らの不信を乗り越えるために、全ての状況を不当なやり方で、 自我自体が賞賛を受けるような形にして利用しようとします。
あなたが 自我の存在を信じる限り、不信は残るでしょう。
なぜなら、自分の正しい心の中では 自我は実在しないと悟っているからです。
ただ一つの正気の解決法は、実在を変えようとしないことです。
実相を変えようという恐ろしいことを試みずに、ただ実在をありのままに受け入れることです。
あなたは実在の一部です。
その実在は変化することなく、 自我には近づけないが霊(Spirit)にとってはたやすく近づけるところに存在しています。
あなたが恐れを抱いたときには気を沈め、神が実在することを知り、自分は神が喜びとするその愛し子であることを知りなさい。
これについて 自我に異議を唱えさせたりしないようにしなさい。
なぜなら、 自我には届かないほどかけ離れた存在であるあなたを知ることなど出来ないからです。
ACIM-Text- chapter4-1-9
恐れを作り出したのは神ではありません。
それは、あなたが作り出したのです。
あなたは神のように創造しないことを選択しました。
したがって、自分で恐れというものを作り出しました。
あなたは与えられた機能を果たそうとしていないので、心が平安ではありません。
神は、極めて高尚な機能をあなたに与えましたが、あなたはそれを果たしてはいません。
自我はそうした機能を果たす代わりに、恐れを抱くことを選びました。
あなたが目覚めた時には、このようなことは理解しかねるでしょう。
なぜなら、これは文字通り信じ難いことだからです。
今、そのような信じ難いことを信じるのをやめなさい。
どうにかしてそれを信じられるようにしようと試みるのは、単に、必然を後回しにしているだけです。
「必然」という言葉は、 自我にとっては恐怖となりますが、霊(Spirit)にとっては喜ばしいことです。
神は必然であり、神があなたを避けられないのと同様に、あなたも神を避けることはできません。
ACIM-Text- chapter4-1-10
自我は霊(Spirit)の喜びに恐れを抱いています。
なぜなら、あなたがそうした喜びを一度経験したなら、あなたは 自我を護ることを全て取り下げ、恐れに左右されていたことを完全に手放してしまうからです。
今のあなたは恐れにかなりの力を与えています。
なぜなら、恐れは分離している証拠となり、あなたがそれを証明するとき、あなたの 自我は狂喜するからです。
そのようなものは置き去りにしなさい。
それに耳を傾けることも、保護することもやめなさい。
ただ神にのみ耳を傾けなさい。
神は自ら創造した霊(Spirit)と同じく、欺くということはしません。
あなた自身を解放し、他の者たちも解放しなさい。
価値がなく正しく描写されていない偽りのあなたの姿を、他の人たちに見せてはいけません。
そして、その人たちのそのように描いた姿を受け入れてもいけません。
ACIM-Text- chapter4-1-11
自我は、みすぼらしくて避難所にもならないような住み家をあなたのために建てましたが、それは、 自我にはそれ以外の家は建てることが出来ないからです。
このような粗末な家を、そのまま残そうとしてはなりません。
そのような弱さがあなたにとって強さとなります。
神だけが、自ら創造したものに相応しい家を建てることが出来ますが、その人たちは自ら明け渡して、その家を空き家にすることを選びました。
それでも、神の家は永遠に存続し、あなたがその中に入ることを選ぶ時には、あなたを迎え入れるのために準備が出来ています。
これについては、あなたは完全に確信を持ちなさい。
自我は永遠なるものを作り出すことは出来ず、神は滅びるようなものを創造することは出来ません。
ACIM-Text- chapter4-1-12
あなたは、 自我に従うなら自分自身や他の者たちを救うために何も出来ません。
しかし、霊(Spirit)に従うなら、自分と他の者たち、その両方を救うために全てを行うことが出来ます。
謙遜とは、 自我の学ぶべきことであり、霊(Spirit)のためのものではありません。
霊(Spirit)は謙遜を越えたものです。
なぜなら、霊(Spirit)は自らの輝きを認識しており、どこにでも喜んでその光を注ぐからです。
柔和な者たちが地を譲り受けるというのは、その者たちの 自我が謙虚であり、これがその者たちにより正しい知覚を与えるからです。
神の国は、霊(Spirit)の権利であって、その霊(Spirit)の美しさと気高さは、疑いや知覚を遙かに越えたものです。
それらは、完全に神に相応しく、神のみに相応しい神の創造したもののために、神の愛の印として永遠に存続します。
それより他に、神自ら創造したものにとって十分に相応しい贈り物はありません。
ACIM-Text- chapter4-1-13
もし、あなたが望むなら、私はあなたの 自我と交代しますが、決してあなたの霊(Spirit)と交代することはありません。
父親は子供のひとりを、責任感があることを実証済みのその子の兄の元に安心して任せることは出来ますが、それにより、その子供の身元について混同するようなことにはなりません。
兄はその子の 身体と 自我を護ることが出来ますが、だからといって自分を父親と混同することはありません。
あなたの 身体と 自我を私に委ねることは出来ますが、それは、そうすることであなたがそれらについて心配することなく、 身体や 自我など重要でないことを私があなたに教えることが出来るからです。
もし、私自身がかつて 身体や 自我を信じたくなるような誘惑に惑わされたことが無かったなら、あなたにとってそれらが持つ重要性を理解できなかったでしょう。
こうしたレッスンを一緒に学びましょう。
私は心を癒すというゴールを分かち合える献身的な教師たちを私は必要としています。
霊(Spirit)は、あなたや私による保護の必要を遙かに超越しています。
次のことを覚えておきなさい。
あなた方は、この世界で苦しい試練など受ける必要はありません。
わたしは既にこの世界に勝っています。
だからこそ、あなたは勇気を出すべきなのです。
奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第4章「 自我の幻想」目次