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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第4章 「 自我の幻想」より4-7本文
第4章4-7 創造とコミュニケーション
ACIM-Text- chapter4-7-1
特定の 自我の幻想の内容は重要ではありませんが、その訂正は、具体的な情況に沿って行う方が役立つことは明らかです。
自我の幻想は極めて具体的なものですが、心は本来抽象的なものです。
しかし、心が分裂したときには、その心の一部は具象的になります。
具象的な部分は 自我を信じていますが、それは 自我が具象的なものに依存しているからです。
自我とは、あなたの存在は分離によって限定されると信じている心の部分です。
ACIM-Text- chapter4-7-2
自我が知覚している全てのものは、それぞれが別個に成り立って完結している全体であり、実在を暗示するような繋がりなど持ちません。
それ故に、 自我はコミュニケーションというものに対し、分離を廃止するのではなく、定着させるために活用されるのではない限り、反対します。
自我のコミュニケーション体系は、それが指図する他のあらゆることと同様に、独自の思考体系に基づいています。
そのコミュニケーションは、 自我そのものを護る必要性によって抑制されており、脅威を感じたときには 自我はコミュニケーションを中断させます。
この中断は、特定の人や人々に対する反応として起こります。
自我の思考におけるこのような特定な目的を持った考え方は、結果的にまやかしの一般論をもたらしますが、実際ところ全く抽象性がありません。
自我は、ただ、関連性があると知覚されるあらゆるものに対して、特定の具体的な方法で応じるに過ぎません。
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それと対照的に、霊(Spirit)は真実だと知っている全てのものに対して同じように反応し、それ以外のものには応じる事はありません。
また、何が真実であるかという事を確証しようと試みることもありません。
霊(Spirit)は、真実であるものとは神が創造した全てだと知っています。
霊(Spirit)は創造されたもののあらゆる側面と完全で直接的なコミュニケーションを保っていますが、その理由は、霊(Spirit)は創造主と完全で直接的なコミュニケーションを保っているからです。
このコミュニケーションは神の意志そのものと言えます。
創造とコミュニケーションは同じ意味です。
神は、神自身の心を伝えることによって一つひとつの心を創造し、それによって、どの心も神の心と意志を感受する経路として永久に確立しました。
同じ次元に実在するものたちの間でのみ真にコミュニケーションを行うことが出来るので、神の創造したものたちは自然に神と共に、神のように、コミュニケーションを行います。
このコミュニケーションは完全に抽象的です。
それは普遍的に適用されるという特性があり、判断、例外、変更などに左右されないからです。
神はこのようにして、また、このためにこそ、あなたを創造したのです。
心は与えられている機能を歪めることは出来ますが、与えられていない機能を自から分け与えることは出来ません。
それ故に、心はコミュニケーション能力を実在のために利用するのを拒否することはあっても、その全部を失うことは出来ません。
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存在する事も実在する事も、コミュニケーションを拠り所にしています。
しかし、存在は、どのようにして、何について、誰とコミュニケーションを行うことに価値があると判断するかについて、具体的です。
実在には、このような区別は全くありません。
それは、実在する全てと、心がコミュニケーションを保っている状態です。
こうした状態を削減されることをあなたが認める度合いに応じて、あなたは自分自身の実在についての自分の感覚を制限しています。
その感覚は、実在とあなたとの真の関係という栄光に満ちた情況が合致し、実在の全てを認識することによってのみ完全になります。
これこそがあなたの実在です。
それを冒涜したり、そこから後ずさりしたりしないようにしなさい。
それがあなたの真の生家であり、真の神殿であり、あなたの真の自己です。
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全ての実在するものを包含している神によって創造された実在するものたちは、それぞれにあらゆるものを持ちながらも、自らの喜びを増大させるために全てを分かち合うことを望みます。
実在するものは、分かち合う事によってのみ、増大させる事が出来ます。
だからこそ、神はあなたを創造したのです。
神聖なる抽象性は、分かち合う事で喜びを見い出します。
これこそ創造が意味する事です。
「どのようにして」、「何を」、「誰に」といった事は問題外です。
なぜなら、真の創造は、自らに似せて創造する事しか出来ないので、あらゆるものを与えるからです。
神の国の中では「所有する事」と「在る事」の間には何の違いもないという事を思い出しなさい。
実在の状態においては、心は常にあらゆるものを与えるのです。
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聖書には、神を賛美すべきだと繰り返し書かれています。
これはあなたが神に対して、神がいかに素晴らしいかを告げるべきだという意味ではありません。
神はそのような賞賛を受け入れる 自我や、そうした賞賛を判断する知覚を持ってはいません。
しかし、あなたが創造における自分の機能を引き受けない限り、あなたの喜びは不完全なので、それゆえに神の喜びは完全なものとなりません。
そして、この事を神は確かに知っています。
神自身の実在の中で、そしてその実在が経験している神の子の経験の中で、神はそれを知っています。
神の表現経路が閉鎖しているとき、絶え間なく注がれている神の愛は遮られます。
そして、神が創造した心たちが神と完全なるコミュニケーションを保っていない時には、神は寂しい思いをしているのです。
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神はあなたのためにあなたの王国を保っています。
しかし、あなたが一なる心の底から喜びを知るまでは、神は自身の喜びをあなたと分かち合うことは出来ません。
啓示だけでは十分だと言えません。
なぜなら、それは神からの一方的なコミュニケーションに過ぎないからです。
神は啓示が自身に返される事を必要としていません。
それは、明らかに不可能な事です。
しかし、神はそうした啓示を他の人たちにもたらされる事を望んでいるのは確かです。
これは実際の啓示によってもたらされる事は出来ません。
そうした啓示は、それを感受する心にとって極めて個人的なものであるため、表現する事は不可能だからです。
しかし、啓示を受けた心が、啓示から到来した叡智がもらたす態度を通して他の心達にそれを返す事は出来ます。
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心が全てに役立とうとすることを学んだ時にはいつでも、神が賛美されます。
これは全てにおいて無害とならない限り不可能です。
なぜなら、この二つの信念は共存しなければならないからです。
真に役立とうとする者たちは、傷つけられることはありません。
なぜなら、その人たちは自分の 自我を護ろうとしないので、何者もその人たちを傷つけることが出来ないからです。
その人たちが助けになるという事がその人たちによる神の賛美です。
そして、その人たちは神に似ていて、共に喜べるので、その人たちからの神の賛美に対して、神も同じように答えるでしょう。
神はその人たちの下に臨み、その人たちの間を進みます。
そして、神の国の隅々まで大きな喜びに満ち溢れます。
変化した心の一つひとつが、その喜びを分かち合いたいというそれぞれの意欲によって、この喜びを増大させます。
真に役に立つのは、神の奇跡を行う者たちです。
私たち全てが神の国にいるという喜びの内に一つに結ばれるまで、私がその人たちを指導します。
私は、あなたが真に手助け出来るどんな場所にでも、そして、あなたを通じて私の導きに従うことの出来る誰の下にでも、あなたを差し向けるでしょう。
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