奇跡講座テキスト編3章 3-4 間違いと自我

奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第3章 「無垢なる知覚」より3-4本文

 

第3章 3-4 誤りと 自我

ACIM-Text- chapter3-4-1

あなたが今持っている能力の数々は、あなたが本当に持っている力の影のようなものに過ぎません。

あなたの持つ機能はみな分離されているので、疑問や疑いを抱くことを免れません。

その理由は、あなたがそのような機能をいかに使えばよいのか確信がなく、したがってあなたには知る能力がないからです。

また、あなたは今でも愛のないまま知覚できるという理由からも、知る能力はありません。

分離が程度や側面や間隔といったものを導入するまでは、知覚は存在しませんでした。

霊(Spirit)には次元というものがなく、全ての葛藤は次元があるという概念から生じます。

三位一体の三つに属する次元だけは、調和した状態に留まることができます。

分離により創造された複数の次元は、互いに葛藤せざるを得ません。

そのような次元は互いにとって無意味だからです。

 

ACIM-Text- chapter3-4-2

意識は知覚の次元に属するものであり、それは分離以後、心が採り入れた最初の分離でした。

それにより、心は創造する主体ではなく、知覚する主体となりました。

意識は、 自我の領域に属すると見なすのが正しいです。

自我とは、あるがままの自分自身ではなく、自分が願う通りのものとして自分自身を知覚しようとする、心の正しくない状態による試みと言えます。

しかし、あなたは、ありのままのあなたとしてしか自分自身を知ることができません。

なぜなら、あなたに確信できることはそれだけだからです。

それ以外のあらゆるものには、明らかに疑問があります。

 

ACIM-Text- chapter3-4-3

自我とは、分離後の自己における疑問を抱く一面を指すのであり、それは創造されたものではなく作り出されたものです。

自我には質問することはできますが、意義のある答えを知覚することはできません。

なぜなら、そうした意義のある答えは叡智に関わるものであって、知覚できないものだからです。

したがって、そうした心は混乱しています。

というのも、一なる心の状態のみが混乱せずにいられるからです。

分離した心、すなわち分割された心は、混乱せざるを得ません。

そうした心には、自らが何なのかについて確信が欠けていることは必然的です。

その心自体、一致していないので、心の中に葛藤があるのは当然です。

これにより、それに属する部分が互いを見知らぬ間柄にしてしまいます。

これこそが、恐れに陥りやすい状況をもたらす根源であり、この状況においてはいつでも攻撃する可能性があります。

あなたが自分自身を知覚するときに恐怖を感じるのも、無理はありません。

だからこそ、あなたは自分で自分を創造しておらず、創造できるはずがないと悟るまでは、恐れからは逃れられないのです。

あなたが誤って知覚したことを真実にすることはできません。

そして、あなたが創造されたという事実は、あなた自身による間違いを越えたものです。

だからこそ、あなたはいずれ結局、分離を癒すことを選ばずにはいられないのです。

 

ACIM-Text- chapter3-4-4

心が正しい状態は、知っている心と混同しないようにしなさい。

なぜなら、心が正しい状態とは、ただ正しく知覚することのみに適用できるだけだからです。

あなたの心は正しいか正しくないか、そのどちらかであり、それにさえ程度というものが想定されており、叡智が関与していないことをはっきりと実証しています。

「心が正しい状態」という言葉は、「心が間違った状態」の訂正を意味する言葉として正しく使われるのが適切であり、正確な知覚を引き起こさせる心の状態に当てはまります。

それは、誤って知覚していることを癒すので、奇跡を行なう気があるということであり、そしてこれはあなたが自分のことをどのように知覚しているかを考慮すればこれはまさしく奇跡です。

 

ACIM-Text- chapter3-4-5

知覚は常に心をいくらか誤って使ってしまうことを避けられません。

なぜなら、それは知覚が心を確信のない領域に引き込むからです。

心は非常に活発なものです。

心が分離することを選ぶとき、知覚することを選んだことになります。

それまでは、ただ知ることを意志しているだけです。

その後は、心はただ曖昧な選び方しかできなくなってしまい、その曖昧さから抜け出す唯一の策は明確に知覚することだけです。

心はただ知ろうとするときにのみ、その与えられている適切な機能に立ち戻ります。

これが心を霊(Spirit)に仕える立場に置き、そこでこそ知覚が変わります。

心が独自の次元を作ることを選ぶなら、自ら分割することを選んでしまいます。

しかし、心そのものは霊(Spirit)から完全に分離できるはずがありません。

なぜなら、心は作り出す力も創造する力も必要な力を全て霊(Spirit)から引き出すからです。

誤って創造している時でさえ、その心は自らの源を肯定しています。

そのようでなかったら、心は単に存在しなくなります。

しかし、心は神が創造したが故に永遠なるものである霊(Spirit)に属するので、これは不可能なことです。

 

ACIM-Text- chapter3-4-6

知覚する能力が、 身体の存在を可能にしました。

なぜなら、何かを知覚するには、何かを用いて知覚しなければならないからです。

それ故に、知覚するには、叡智に必要のない置き換えという翻訳が伴うのです。

知覚による解釈する機能は、創造の歪んだ形です。

そして、その機能により、自ら引き起こしてしまった葛藤から逃れようと試みて、あなたは 身体を自分自身だと解釈することができるようになります。

霊(Spirit)は既に知っている存在なので、その霊(Spirit)がこのように力を失うことに甘んじるはずがありません。

それは、霊(Spirit)が闇のものとはなり得ないからです。

こうして、霊(Spirit)は心にとってほとんど近付きがたいものとなり、また 身体にとっては完全に近付けないものになってしまいます。

その後、霊(Spirit)は脅威として知覚されるようになります。

なぜなら、それは光が単に闇など存在しないということを示して、闇を完全になくしてしまうからです。

真理は必ずこのようにして誤りを乗り越えます。

これは積極的な訂正のプロセスではあり得ません。

なぜなら、私が既に強調しておいたように、叡智は何もしないからです。

それは攻撃するものとして知覚されることはあったとしても、攻撃することはできません。

あなたが霊(Spirit)に攻撃されていると知覚するものとは、決して破壊されることのない叡智はいつでも思い出すことができると、あなた自身がかすかに認識していることです。

 

ACIM-Text- chapter3-4-7

神と神が創造したものは確実さの中に存続しており、したがって、誤って創造されたものは何も存在しないと知っています。

真理はあなたが望む誤りに関わることはできません。

私は、霊(Spirit)と霊(Spirit)のものである叡智を思い出した一人です。

ひとりの人間として、私は叡智で誤りに逆らおうとはせずに、そのような誤りをその根底から正そうと試みました。

私は 身体の無力さと心の力のその両方を実証しました。

私の意志を創造主の意志と一つにすることによって、私は霊(Spirit)と霊(Spirit)の持つ本当の目的を自然に思い出しました。

私があなたに代わってあなたの意志と神の意志を結び付けることはできません。

しかし、もしあなたが私の導きに従う意志があるなら、あなたが誤って知覚したことを全てあなたの心から拭い去ることができます。

あなた自身が誤って知覚したことのみが、あなたの行く手を邪魔しているのです。

邪魔するものがなくなれば、あなたの選択は確かなものとなります。

正気の知覚は正気の選択を引き起こします。

私はあなたに代わって選択することはできませんが、あなたが自分で正しい選択をするように手助けすることはできます。

「招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない」と言われているのは「全ての者は招かれています。しかし、耳を傾けようとする者はほとんどいません」とすべきです。

つまり、人々は正しい選択をしていないということです。

「選ばれる者」とは、単により早く、正しく選ぶ者であるに過ぎません。

正しい心であれば今これを行うことができるのであり、そうすれば、その人たちの魂は安らぎを見い出すでしょう。

神は平安に満たされているあなただけを知っています。

そして、これこそがあなたの真実の姿です。

 

奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第3章「無垢なる知覚」目次

3-1   犠牲を伴わない贖罪

3-2  奇跡とは真に知覚すること

3-3  知覚 対 叡智

3-4  誤りと 自我

3-5  知覚を越えて

3-6  審きと権威問題

3-7   創造 対自己イメージ

 

奇跡講座(奇跡のコース) テキスト編、ワークブック編、マニュアル編 各目次

テキスト編 1章~31章 目次

ワークブック編 レッスン1~365 目次

教師のためのマニュアル編 1~29 目次

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目次

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