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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第3章 「無垢なる知覚」より3-7本文
第3章 3-7 創造 対 自己イメージ
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全ての思考体系には、必ずその起点となるものがあります。
それは、作り出すか、あるいは創造するかのそのいずれかから始まり、その違いについては既に話し合ったことがあります。
その二つは、いずれも土台としての力があるという点で類似しています。
二つの相違点は、何がそれぞれの土台に基づいて成り立っているかということです。
両方とも、人がそれによって生きる為の信念体系に必要な礎石となるものです。
嘘・偽りに基づいた思考体系は弱いものであると信じるのは間違いです。
神の子供が作り出したもので力の無いものは何一つありません。
これを悟ることが極めて重要です。
そうでなければ、あなたは自分で作り出した牢獄から抜け出せなくなってしまうからです。
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あなたは、自分の心が持つ力を軽く見ることによって、権威の問題を解決することはできません。
そうすることはあなた自身を欺くことであり、それはあなたを傷つけてしまいます。
なぜなら、あなたは実際には心の強さをよく理解しているからです。
あなたはまた、神を弱めることができないのと同様に、心を弱めることはできないということも悟っています。
「悪魔」とは、恐怖を感じさせる概念ですが、それは悪魔が極めて強力であり活動的であるかに思えるからです。
悪魔は、神が創造したものを占領しようとして神と戦っている勢力だと知覚されています。
悪魔は嘘によって偽り、欺くのであり、あらゆるものが神と真っ向から対立した王国を築き上げています。
それでもそのような悪魔に対して人々は反発するよりも、むしろ魅力を感じて引き付けられ、人々は何の値打ちもない贈り物と引き換えに、自分たちの魂を悪魔に進んで「売り渡そう」としているのです。
こうしたことは、全く意味がありません。
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私たちは既に、「人類の堕落」つまり「分離」については話し合ったことがありますが、その意味を明確に理解しなければなりません。
分離とは、時間の中では充分に真実味があるかに見える思考体系ですが、永遠の中においてはそうではありません。
全ての信念は、それを信じる者にとっては真実であり、実在しています。
象徴的なエデンの園の中で、ある一つの木の実だけが取って食べることを「禁じられて」いました。
しかし、神がその木の実を取って食べることを禁じたことはあり得ません。
禁じていたのだとすれば、実際に食べられることにはならなかったはずです。
神が自分の子供たちを知っているならーそしてこれについて確かにその通りだと私は請け合いますがー神は子供たちを自己破壊させることになりかねない立場に置くようなことをするでしょうか。
「禁断の木」は「叡智の木」と名付けられていました。
しかし、神は叡智を創造し、それを神が創造したものに惜みなく与えました。
これが象徴する意味については数多く解釈されてきましたが、神あるいは神に創造されたものに自らの目的を破滅する能力があると見る解釈は、どれも間違っていることは確かです。
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叡智の木の実を食べることは、自己創造するための能力を不当に使っていることを意味する象徴的な表現です。
この点においてのみ、神と神に創造された者たちは共同創造者ではありません。
そうであるという信念は、「自己概念」の中に、言い換えれば自己が想像したイメージを作り出すという傾向があることが推察できます。
想像したイメージは知覚されるものであり、知られるものではありません。
叡智は欺くことはできませんが、知覚は欺くことができます。
あなたは自分を自己創造できる者だと知覚することはできますが、それを信じる以上のことはできません。
あなたには、それを真実とすることはできません。
そして、私が既に述べたように、あなたが最終的に正しく知覚するようになったとき、自分にはそれができないということをただ喜びに感じるでしょう。
しかし、その時が来るまでは、それができるという信念があなたの思考体系の土台となる礎であり、そうした信念を光へともたらしかねない全ての考えをあなたはあらゆる防衛策を使って攻撃するのです。
あなたは依然として、自分のことを自己が想像して作り上げたイメージだと信じています。
あなたの心はこの点について、 聖霊とは考え方を違うものとしています。
そして、文字通りあり得ない一つのことをあなたが信じているうちは、解決というものはありません。
だからこそ、あなたには創造することはできず、また自分が作り出すものに対して恐怖を抱いているのです。
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心は、分離しているという信念を、真に迫った極めて恐ろしいものにすることができるのであり、このような信念こそが「悪魔」というものです。
悪魔は強力で、活動的で、破壊的であり、明らかに神に対抗しています。
なぜなら、文字通り神の父性を否定しているからです。
あなたの人生を振り返り、悪魔が作り出した人生とはどんなものか見てみなさい。
こうして作り出されたものは、土台そのものが偽りなので、真理の光の中では確実に消え失せるのだということを、ただ認識しなさい。
神によってあなたが創造されたことだけが、決して揺らぐことのない唯一の土台です。
なぜなら、そこには光があるからです。
あなたの出発点は真理であり、あなたは自分の起源たるはじまりに戻らなければなりません。
はじまり以来、多くのことが目に映りましたが、実際には何も起こってはいません。
たとえ、あなたの心に葛藤があるとしても、あなたの本来の自己は今なお平安の内に留まっています。
あなたは自分で歩んできた道のりから、戻るべきところまで、まだ戻ってはいません。
それ故に、非常に恐れを抱くのです。
起源たるはじまりに近づくにつれて、あなたは自分の思考体系が破壊されるという恐れを、それはまるで死に対する恐れであるかのように感じます。
死というものは存在しません。
ただ、死を信じる信念があることは確かです。
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実を結ばない枝は切りとられて枯れ果てるでしょう。
喜びなさい!
光は生命の真の土台から輝き出て、あなた自身の思考体系は正されます。
正されなければ、それは維持できないでしょう。
救済を恐れる者は死を選んでいることになります。
生命と死、光と闇、叡智と知覚はどれも両立しないものです。
それらを両立できるものと信じるとすれば、神と神の子とが和解できないと信じることになります。
叡智の一体性のみが心の葛藤から自由です。
あなたの王国はこの世界のものではありません。
なぜなら、それはこの世界を越えたところから与えられたからです。
この世界においてのみ、権威の問題という想念に意義があります。
この世界は死によって去るのではなく、真理によって去るのです。
そして、全ての者が真理を知ることができ、神の国はその人たちのために創造されており、全ての人を待っています。
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