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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第24章「特別性のゴール」24-4本文
第24章24-4特別性と無罪性
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特別性とは、自分以外の全ての人への信頼の欠如です。
信は、ただ自分だけに注がれます。
それ以外の全ては、恐れて攻撃すべき危険極まりない不倶戴天の敵となっていて、破滅だけが相応しいものとなっています。
特別性が差し出す優しさは何であれ偽善に過ぎませんが、その憎悪は本物です。
破滅の危機にさらされている特別性は、必ず殺そうとします。
そして、あなたは先手を打ってそれを殺すためにそれに引き付けられます。
これこそ罪悪感の魅力と言うものです。 ここでは、死が 救済主として崇拝されます。
ここでは、十字架刑が救いとなって、 救済とはあなたを除いた全世界の滅亡を意味するものでしかなくなっています。
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身体の目的とは、特別性以外に何であり得るでしょう。
そして、これが、 身体をそれ自体を護ることさえ出来ない脆く非力なものにしています。
それは、あなたを脆く非力なものにするために考え出されたものです。
分離というゴールが、それにかけられた呪いです。
しかし、 身体というものには何のゴールもありません。
目的というものは、心に属するものです。
そして、心というものは、自らが欲するとおりに変わる事が出来ます。
心は、自らの本来の在り方とその属性を変化させる事は出来ません。
しかし、心が目的として抱くものは変える事ができ、それに従って 身体の状態は必ず変化します。
身体は、それ自体では何をする事も出来ません。
傷つける手段としてそれを見なせば、傷つきます。
癒す手段としてそれを見なせば、癒されます。
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あなたが傷つける事が出来るのは、自分自身だけです。
このことについては、何度も繰り返されてきましたが、いまだそれを把握するのは難いものです。
特別性に没頭している心にとっては、それは出来ないことなのです。
しかし、攻撃する事ではなく癒す事を望む心にとっては、それは極めて明白です。
攻撃という目的は心の中にあり、その結果は目的のある場所だけで感じとられます。
それに、心は限定されたものではないので、有害な目的は必ず一つのものとしての心全体を傷つけることになります。
特別性にとっては、これ以上に意味をなさないものは他に見当たりません。
奇跡にとっては、これ以上に意味をなすものは他に見当たりません。
なぜなら、奇跡とは、単に傷つける事から癒しへと目的を変える事に過ぎないからです。
目的におけるこの変化は、確かに特別性を「危うくする」ことになりますが、それはただ全ての幻想は真理によって「脅かされる」という意味においての事です。
幻想は、真実の前に立つことはありません。
しかし、あなたは、幻想の中にどれほどの慰みを見出し、父が求める贈り物を父には与えないまま、代わりにそれを幻想に与えようとするのでしょうか。
もし、父に与えられたなら、全宇宙はあなたのものになります。
もし、幻想に差し出されたなら、どんな贈り物であれ贈り返される事はありません。
あなたが特別性に与えたものが、あなたを破滅に追いやり、あなたの宝庫を乏しく空っぽなのものにしてしまいました。
その扉は開け放れたままになっていて、あなたの平安を妨げそうなあらゆるものに向かって中に入って破壊するよう招いています。
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私は以前に、 救済が達成される手段についても、それに到達する方法についても、考えないようにと述べました。
しかし、あなたは自分が兄弟を罪なきものと見たいと望んでいるかどうかについては、それを考えてみてみる必要があり、しかも、よく考えてみなくてはなりません。
特別性にとって、答えは「否」でしか有り得ません。
罪のない兄弟こそ、特別性の敵であり、もし、罪が可能だとすれば、罪が特別性の友ということになります。
あなたの兄弟の罪は、それ自体を正当なものとして、真理が否定するような意味を罪に与える事になります。
実在する全てのものは、その人の無罪性を宣言します。
真実ではないものは全て、その人の罪が実在すると宣言します。
もし、その人が罪深いのであれば、あなたの実相は実在することがなく、うたかたの後には塵としてもろくも消え失せるような特別性の夢に過ぎないことになります。
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こうした無意味な夢を護ろうとすることはやめなさい。
その夢の中では、神が神自身の愛するものを奪われていて、あなたは 救済の及ばない所に留まっています。
実相においては何の意味も持たないこの無常の世界において、たった一つ確かな事は次の事だけです。
すなわち、平安が完全にはあなたと共にない時とか、あなたが何らかの苦痛を感じている時には、あなたは兄弟の中に何らかの罪を見ていて、そこにあると思い込んだものについて喜んだということです。
それがあることによって、自分の特別性が安全に保たれるかのように見えたからです。
こうして、あなたは自分で自分の 救済者に任命したものを救い、その代わりに神があなたに授けてくれた 救済者を十字架につけたのです。
それゆえに、あなたはその人と共に縛りつけられています。
あなた達はひとつのものだからです。
そして、それゆえに、特別性はその人の「敵」であり、あなたの「敵」でもあります。