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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第29章「目覚め」29-2本文
第29章29-2賓客の到来
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なぜあなたは、自分が自由であると学ぶことを、苦しみからの解放として知覚しようとしないのでしょうか。
なぜそれを敵と見なす代わりに、その真理を歓迎しないのでしょうか。
こんなにもはっきり標示されて迷う事などあり得ない容易な道が、なぜ茨の生い茂る荒れた道としてや、辿っていくのがあまりにも難しい困難な道として見えるのでしょう。
それは、あなたがその道を地獄に続く道として見ていて、天国と神の内に自分自身を見出すための犠牲や損失も伴わない単純な道として見てはいないからではないでしょうか。
自分は何一つ諦めなくてもいいと認識し、あるいはいかなる損失も存在しないと理解するまで、あなたは自分が選択した道について何らかの後悔を抱くでしょう。
そして、その選択があなたに差し出した数多くの恩恵も目に入る事はないでしょう。
しかし、たとえあなたが見なくとも、それらはそこにあります。
それらの原因は結果をもたらしたので、それらはその原因が入った場所に存在しているはずです。
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あなたは、癒しの原因を受け入れました。
したがって、あなたは癒されているはずです。
そして、癒されたのだから、今や癒す力もまたあなたのものになっているはずです。
奇跡は、原因もなしに結果として突然起こる分離したものではありません。
また、それ自体が原因なのでもありません。
しかしそれは、それの原因がある場所に存在するはずです。
それは、まだ知覚されていないとしても、今や原因を与えられて生起しました。
そして、その結果がまだ見られていませんが、そこにあります。
今、内側を見なさい。
そうすれば、そこには、後悔する理由ではなく、大いなる喜びと平安への希望を抱かせる原因が見えるでしょう。
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戦場において平安の希望を見つけようという試みは、絶望的なことでした。
罪と苦痛を保持するという機能に仕えるべく作り出されたものに、罪と苦痛から脱出する事を要求するのは不毛なことでした。
なぜなら、憎しみと恐れや、攻撃と罪悪が一つの幻想に過ぎないのと同様に、苦痛と罪も一つの幻想だからです。
それらが無因のものとなっているところではそれらの結果も消え去っており、それが存在していないところならどこにでも愛がやってくるはずです。
なぜあなたは喜びにいないのでしょうか。
あなたは、苦痛や病気、悲惨や損失、それに憎しみや攻撃の全ての結果から、解放されています。
もはや苦痛はあなたの友ではなく、罪悪感はあなたの神ではないので、あなたは愛の結果を喜んで迎え入れるべきなのです。
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あなたの賓客はすでに訪れています。
あなたが彼に求めたので、彼はやってきました。
あなたは彼を完全には歓迎しなかったので、彼が入ってくるのが聞こえませんでした。
しかしそれでも、彼と共に彼の贈り物もやってきました。
彼はその贈り物をあなたの足元に置き、今あなたにそれらを見てみて自分のものにするように求めています。
彼は、それらの贈り物を、自分は分離していて孤独だと信じて別々に歩んでいる全ての人々に与えるに際して、あなたの助けを必要としています。
あなたが自分の贈り物を受け入る時、その人たちは癒されるでしょう。
なぜなら、あなたが立っていて、その人たちのための彼の贈り物が置かれている聖なる地は、そこに足を踏み入れた全ての人を、あなたの賓客が歓迎するからです。
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あなたは自分が受け取った全てのもののお陰で、今自分がどれほどのものを与えることが出来るか分っていません。
しかし、中に入ってきた彼は、あなたに招き入れられた場所でただあなたが来るのを待っています。
彼が彼の接待主を見出せる場所も、彼の接待主が彼に会う事が出来る場所も、ここ以外にはありません。
そして、これ以外のいかなる場所においても、平和と喜びという彼の贈り物や彼の臨在がもたらす幸せの全てを手に入れる事は出来ません。
なぜなら、あなたのものになるようにとそれらを運んできた彼が存在する場所に、それらも存在するからです。
あなたにはあなたの賓客は見えませんが、彼が持ってきた贈り物は見えます。
そして、それらの贈り物を見る時、あなたもそこに彼の臨在がある事を信じるでしょう。
なぜなら、あなたに今可能になっていることは、彼の臨在が保持している愛と恩寵がなければ出来なかったはずのことだからです。
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それが生ける神の約束です。
すなわち、神の子が生命をもち、生きとし生けるものの全てがその神の子の一部であり、それ以外のいかなるものも生命を持たない、ということです。
あなたが「生命」を与えたものは生きてはおらず、それは生命を知覚し、生きる事を死ぬ事であると知覚し、生命から離れて生きていたいというあなたの願望を象徴しているだけのものです。
ここでは、次から次へと混乱が続いていきます。
なぜなら、この世界は混乱に基づいているからであり、それより他に、世界が立脚するものはないからです。
世界は常に変化しているように見えますが、その土台が変わる事はありません。
しかし、それこそが混乱が意味する状態でなく、他に何でしょう。
混乱している者たちにとって、安定は無意味であり、変移や変化がその人達の人生の拠り所とする法則となります。
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身体は変化しません。
身体は、変化は可能であるという、より大きな夢を表象しています。
変化するということは、あなたが以前に自分自身を見出していた状態とは異なった状態を達成するということです。
不滅性の中に変化は存在せず、天国は変化を知りません。
しかし、この地上においては、それには二重の目的があります。
なぜなら、変化は正反対の事柄を教えるために使えるからです。
そして、それぞれがそれを教えている教師そのものを反映します。
身体は時間や病気や健康によっても、それを変貌させるかのように見える出来事によっても、変化するように見えます。
ところがこうしたことは、何は 身体の目的かについての信念において、心が変わらないままでいる事を意味しているに過ぎません。
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病気とは、 身体に 身体ではないものになるようにという要求です。
身体の虚無性が、 身体は病気にはなり得ないということの保証です。
身体にこれ以上のものである事を求めるあなたの要求の中に、病気という考えが内在しています。
なぜなら、それは神に対して神の真の本質以下のものである事を求めているからです。
そうすると、一体あなたはどうなるのでしょうか。
というのも、その犠牲を求められているのは、他ならぬあなただからです。
神は、ご自身の一部がもはやご自身のものではないと告げられます。
神はあなたの自己を犠牲にしなければならず、あなたは神の犠牲において増大し、神はあなたを失うことで減じられます。
そして、神から去ったものがあなたの神となり、あなたが神の一部とならないようにあなたを保護する、ということになります。
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神となることを求められる 身体は攻撃されることになります。
なぜなら、その虚無性が認識されていないからです。
したがって、 身体はそれ自体の内に力を宿した物体のように見えます。
何ものかである 身体は、知覚される事ができ、感じたり行動したり、あなたを囚人としてその中に捕縛し続けたりするものとして考えられることができます。
また、それはあなたの要求したものになり損なうこともあります。
そして、あなたはその卑小さゆえに憎むでしょう。
その時あなたは、その失敗は 身体が期待に応えるものではないということにあるのではなく、 身体は無であることをあなたが知覚し損なっている事に起因する、ということに留意していません。
そしてあなたは 救済から逃げようとしています。
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「何ものか」であるものとして、 身体は神の敵となり、神の本質を卑小さと限界と絶望へと置き換える事を求められます。
あなたが 身体を自分が自分が愛すべきものとして眺める時や、憎むべきものとして見ている時、あなたは神の損失を祝っているのです。
なぜなら、神が全てのものの総和であるのなら、神の中にないものは存在せず、神の完全性とはすなわち 身体の虚無性だからです。
あなたの 救済者は死んではおらず、また死に捧げる神殿として建てられたものの中に住んでもいません。
彼は神の中に生きており、このことが、そしてこのことだけが、彼をあなたの 救済者にするのです。
彼の 身体の虚無性が、あなたの 身体を病気や死から解放します。
なぜなら、あなたのものは彼のもの以上でも以下でもないからです。
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