奇跡講座テキスト編20章20-2 百合の花の贈り物

奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第20章 「聖なる心眼」20-2本文

 

第20章 20-2 百合の花の贈り物

ACIM-Text- chapter20-2-1

身体を飾ったり、 身体を覆ったり、 身体が使ったりするために作り出された数々の装身具を眺めなさい。

身体の目で見るために作り出されたこの無用の品々の全てを見なさい。

身体の楽しみのために作り出された多くの捧げ物について考えてみて、この全てはあなたが憎んでいるものを美しく見せるために作り出されたのだということを思い出しなさい。

あなたはこの忌まわしきものを使って兄弟を引き寄せ、その人の 身体の目を魅惑したいのでしょうか。

あなたが茨の冠をただその人に差し出しているだけだということを学びなさい。

あなたは自分では 身体の正体を認識せず、その人がそれを受け入れることによってその価値について自分の解釈を正当化しようとしているだけです。

ところが、そのような贈り物は、依然としてその人の無価値性をあなたに宣言するものです。

なぜなら、その人がそのような贈り物を受け入れて喜ぶことそのものが、その人が自分自身に価値を置いていないことを確認させるからです。

 

ACIM-Text- chapter20-2-2

真に与え、また真に受け取られる贈り物があるとすれば、それは 身体によって作り出されたものではありません。

なぜなら、 身体には何も捧げることも受け入れることも、差し出すことも受け入れることも出来ないからです。

ただ心だけが、価値を評価できるのであり、そして心だけが、何を受け取り何を与えるのかを決めます。

そして、心が差し出す贈り物はことごとく全て、その心そのものが何を望んでいるかで決まります。

心は自ら選んだ住み処を極めて入念に飾りつけ、そこ来る者たちやそこに引き寄せたい者たちに、心自身が望む贈り物を差し出すことで、その住み処がその贈り物を受け取れるよう準備を整えます。

そして、その人たちはそこで、お互いの心がお互いに相応しいと判断するものを差し出し、受け取り、贈り物を交換するのです。

 

ACIM-Text- chapter20-2-3

一つひとつの贈り物が、受け取り手と与え手についての評価です。

自ら選んだ住み処を、自分自身に対する祭壇と見なさないものは誰一人いません。

誰もがみな、自分がその祭壇に置いたものを崇める者を引き寄せ、その祭壇をその人たちの献身に相応しいものにしようとします。

そして、誰もが、祭壇に置かれたものを崇拝者たちが見てそれをその人たち自身ためのものと考えるようにと、自分の祭壇に明かりを灯しています。

ここに置かれているのが、あなたが定めた兄弟と自分自身の価値です。

ここにその双方に対するあなたの贈り物があり、それは、神の子をどのような者と見なすのかというあなたの判断です。

贈り物を捧げされる相手こそ、あなたの 救済者だということを忘れてはなりません。

その人に茨を差し出すなら、あなた自身が十字架にかけられます。

その人に百合を差し出すなら、あなたは自分自身を自由にすることになります。

 

ACIM-Text- chapter20-2-4

私は本当に百合の花を大いに必要としています。

なぜなら、神の子は私をまだ 赦してないからです。

そして、その人が私に茨を差し出す時、私がその人に 赦しを差し出せるでしょうか。

誰かに対して茨を差し出す者は、まだ今も私に敵対しています。

そして、その人を除いたままで全一な者はいません。

私が赦され、あなたが神の子を全一なものとして見る事が出来るように、あなたは私のために、その人の友となってほしいのです。

ただし、まず最初に、あなたは自分の選んだ住み処の中の祭壇を見て、あなたが私に差し出そうとして、そこに何を置いているかを見なさい。

もし、それが、棘が赤い血の色で鋭く光っている茨だとすれば、 身体があなたの選んだ住み処であり、あなたが私に差し出しているのは分離です。

ところが、茨はもう無くなっています。

今、もうすこし近づいてそれをよく見なさい。

そうすれば、あなたの祭壇はもはやかつての祭壇ではないことが分るでしょう。

 

ACIM-Text- chapter20-2-5

あなたは今でも 身体の目で見ており、肉眼には茨しか見ることが出来ません。

しかし、あなたは別の視覚を求め、それを受け取りました。

聖霊の目的を自分の目的として受け入れる者は、 聖霊の心眼も分かち合います。

そして、今、 聖霊の目的がどの祭壇からも光を放っている様子を 聖霊自身が見ることを可能にするものは、 聖霊のものであると同時にあなたのものでもあります。

聖霊はいかなる異邦人も目に入らず、ただ深く愛されている親愛なる友だけを見ます。

聖霊に茨は見えず、ただ百合の花が見えるだけであり、その百合の花は、 聖霊が目を向けて愛する全てのものを包む優しく穏やかな平安の光の中で、静かに輝いています。

 

ACIM-Text- chapter20-2-6

この復活祭には、兄弟を今までとは違う眼差しで眺めなさい。

あなたは既に私を 赦しています。

とはいえ、あなたが自分の差し出した百合の花の贈り物を見ないうちは、私はそれらの百合の花を使う事が出来ません。

それにあなたも、私が与えたものを分かち合わない限り、それを使うことは出来ません。

聖霊の心眼は、無為な贈り物ではなく、しばらくの間もてあそんだ後は放って置かれる遊び道具でもありません。

耳を傾けて注意深く聞きなさい。

これがただの夢だとか、戯れの想念だとか、たまに手に取ってはまた再びしまっておかれる玩具のようなものだと思ってはなりません。

なぜなら、もし、あなたがそう思うなら、あなたにとってそれはそれだけのものになってしまうからです。

 

ACIM-Text- chapter20-2-7

あなたには今、全ての幻想を看過するための心眼があります。

それは、あなたが茨も異邦人も、平安を拒む障害も見ないようにと、あなたに与えられています。

神に対する恐れは、今ではあなたにとって何でもありません。

救済者が傍らに立っているのを知りながら、誰が幻想に目を向けることを恐れたりするでしょうか。

兄弟と共に、あなたの心眼は、幻想を取り消すために神自身が与えることの可能な最大の力となりました。

なぜなら、神が 聖霊に授けられたものを、あなたが受け取ったからです。

神の子は、自らの解放を求めてあなたに頼っています。

それというのも、あなたはこの最後の障害を見ても、そこに神の子を磔にして死の王とするための茨の冠釘も見ずにいられる強さを求め、それを与えられたからです。

 

ACIM-Text- chapter20-2-8

あなたの選んだ住み処は、ベールを越えた向こう側にあり、それはあなたのために念入りに用意されていて、今あなたを迎え入れる準備が整っています。

あなたはそれを 身体の目で見ることはありません。

しかし、あなたに必要なものは全て備わっています。

あなたの住み処は、時間が始まって以来、ずっとあなたに呼び掛けてきました。

そして、あなたがそれを全く聞き損なったことは一度もありません。

聞こえてはいても、あなたはどこをどうやって探せばいいのか、それを知りませんでした。

そして、今は知っています。

その叡智はあなたの中にあり、今にもベールを外され、今までそれを隠し続けてきたあらゆる恐怖から解放される準備が整っています。

愛の中にはどんな恐れも存在しません。

復活祭の歌は、神の子は決して一度も十字架にかけられていなかったと繰り返す喜びの歌です。

私たちは、恐れではなく信を置いて、共に目を上げましょう。

その時、私達の心眼にはいかなる幻想もないので、私たちの中にはいかなる恐れもなく、ただ天国の開かれた扉へ向かう道だけがあります。

そして、天国とは、静けさの中で私達が分かち合う住み処であり、私達が優しさと平安のうちに一なるものとして共に住む場所です。

 

ACIM-Text- chapter20-2-9

あなたには自分の聖なる兄弟にそこまで導いてもらいたくはないでしょうか。

その人の無垢性は、あなたが 赦しの百合の花を供えたその人の神聖な祭壇から光を放ち、その導きの光と確かな保護をあなたに差し出し、あなたの道を照らすでしょう。

その人を、幻想からあなたを救う 救済者にしなさい。

そして、百合の花を見てあなたに喜びをもたらす新たな心眼で、その人を見なさい。

私達は恐れのベールを越えて進み、互いの道を照らします。

私達を導く聖性は、私たちの住み処と同じように、私たちの中にあります。

それ故に、私達は自分たちを導く 聖霊によって、見いだすことを定められているものを見つけるでしょう。

 

ACIM-Text- chapter20-2-10

これが天国への道であり、復活祭の平安へと至る道です。

その道で、私達は神の子が過去から甦り、今に目覚めたという喜ばしい自覚を共にします。

今や、その人は自由であり、自分の内なる全てのものとの共にあずかる聖餐において限界はありません。

今や、その人の無垢性の百合の花は罪悪に触れられることもなく、恐れの冷気や、枯死をもたらす罪からも、完全に護られています。

あなたからの贈り物が茨や釘からその人を救い出しました。

そして、その人の逞しい腕は自由となり、それらを通り越して、あなたをその向こうまで安全に導いていきます。

今、その人と共に歩んでいきなさい。

なぜなら、幻想からの 救済者は、あなたを出迎えに来て、その人と共にあなたを住み処へと連れ帰るためにやってきたからです。

 

ACIM-Text- chapter20-2-11

ここに、あなたの 救済者であり友でもある人がいます。

その人はあなたの心眼を通して十字架刑から解放されており、今や自ら望む場所へと自由にあなたを導いていくことが出来ます。

その人はあなたを去ることはなく、苦痛の中にいる 救済者を見捨てるようなこともないでしょう。

そして、あなたが天国の開かれた扉を眺め、自分に呼び掛けてきた自らの住み処を認識する時、あなたと兄弟は喜びの歌を歌いながら無垢性の道を共に歩んでいくでしょう。

兄弟が、あなたをそこへ導いていくための自由と強さを、喜んで兄弟に与えなさい。

そして、強さと自由とが待つその兄弟の聖なる祭壇の前に来て、自分がふるさとに導いてもらえるという希望に輝く自覚を捧げ、受け取りなさい。

あなたの中には、あなたを自ら住み処へと導くことになる明るい自覚を差し出し、そして受け取りなさい。

兄弟のために、あなたの中に明かりが灯されています。

そして、その明かりをその人に手渡した手によって、あなたは恐れを越えて愛へと導かれるでしょう。

 

奇跡講座テキスト編 第20章「 聖霊の心眼」目次

20-1    聖週間

20-2   百合の花の贈り物

20-3   調整としての罪

20-4   箱舟に乗り込む

20-5   永遠の前触れ 

20-6    聖霊の神殿  

20-7   手段と目的の一貫性

20-8   無罪性の心眼

 

奇跡講座(奇跡のコース) テキスト編、ワークブック編、マニュアル編 各目次

テキスト編 1章~31章 目次

ワークブック編 レッスン1~365 目次

教師のためのマニュアル編 1~29 目次

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目次

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