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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第20章 「聖なる心眼」20-1本文
第20章 20-1 聖週間
ACIM-Text- chapter20-1-1
この日はシュロの主日です。
勝利を祝い、真実を受け入れる日です。
私たちは、この聖なる一週間を、神の子の十字架刑を思い煩いながらではなく、神の子の解放を祝いながら喜びの内に過ごしましょう。
復活祭は、苦痛のしるしではなく、平安のしるしであるからです。
殺された キリストには意味がありません。
しかし、復活した キリストは、神の子の 赦しを象徴するものとなります。
それは、神の子が自分を癒されて全一な者だと見ていることのしるしです。
ACIM-Text- chapter20-1-2
今週はシュロで始まり、神の子が無垢であるという純白で神聖なしるしである百合の花で終わります。
旅路そのものと旅の目的との間や、真理の受容と真理の表現との間に、十字架刑という闇のしるしを入り込ませてはなりません。
今週、私達は死を祝うのではなく生命を祝います。
そして、私たちは神の子の罪ではなく、神の子の完全な清らかさを讃えます。
あなたの兄弟に、茨の冠ではなく百合の花の贈り物を、恐れの「贈り物」ではなく愛の贈り物を差し出しなさい。
あなたは、片手に茨を、もう一方の手に百合の花を手にし、どちらを与えるべきか確信する事が出来ないまま、兄弟の傍らに立っています。
今、私と心を一つにし、茨の捨て、代わりに百合の花を差し出しなさい。
この復活祭に私が望んでいるのは、あなたから私に差し出され、私からあなたへと贈り返す 赦しの贈り物です。
私たちは、十字架刑と死の中で一つになることは出来ません。
それに、あなたの 赦しが、私の 赦しと共に キリストのもとに留まらないうちは復活も完了しません。
ACIM-Text- chapter20-1-3
一週間は短いものです。
とはいえ、この聖週間は、神の子が辿った旅路の全てを象徴しています。
その人は勝利のしるし、すなわち復活の約束を既に与えられて出発しました。
その人が十字架刑の誘惑に迷い込み、そこで遅れをとることのないようにさせなさい。
その人自身の無垢性が、その人の救いと解放へと向かう道を明るく照らし、その人が誘惑を越えて平安とともに進んで行けるよう手助けしなさい。
救いが目前というその人を、茨や釘で引き戻してはなりません。
そうではなく、あなたからの純白に光り輝く百合の花の贈り物で、復活への道を歩むその人の足取りを速めなさい。
ACIM-Text- chapter20-1-4
復活祭は罪の代価の祝日ではなく、罪の終わりの祝日です。
もし、あなたが受け取り、また自らも贈り物として与えた純白の百合の花びらの間に、あなたがベールの背後の キリストの顔を一瞥するなら、あなたは自分の兄弟の顔を見て、彼の顔だと気づくでしょう。
私は異邦人だったにも関わらず、あなたは私が誰なのか分らないまま家の中に入れてくれました。
しかし、あなたの百合の贈り物の故に、あなたは知るでしょう。
あなたにとって見知らぬ者であり古くからの友でもあるこの異邦人を赦すことの中に、その存在の解放とあなたの救いがあります。
復活祭は喜びの時であり、哀悼の時ではありません。
甦った友を見て、その人の聖性を私と一緒に祝いなさい。
復活祭とは、あなたの 救済の時であるとともに、私の 救済の時でもあるからです。
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