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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第20章 「 聖霊の心眼」20-5本文
第20章 20-5 永遠の前触れ
ACIM-Text- chapter20-5-1
この世界では、神の子は神聖な関係の中で真の自己に最も近づきます。
そこでその人は、父が自分に対して持っている確かさというものが分りはじめます。
そして、そこでその人は、父の法則の外に置かれていたものにその法則を取り戻し、失われていたものを見つけ出すという自分の機能を見出します。
ただ時間の中でのみ、何かを失われ得るのであり、それは決して永遠に失われる訳ではありません。
同様に、神の子の一部である者たちは、時間の中で徐々に一つに結ばれていき、そのように結ばれる度に時間の終わりに近づきます。
結ばれるという奇跡の一つひとつが、永遠の強力な前触れです。
統一された確実で単一の目的を持つ者は、誰ひとり決して恐れることがありません。
その人の目的をその人と分かち合う者は、その人と一つにならずにいられる者は誰一人いません。
ACIM-Text- chapter20-5-2
永遠の前触れはどれもみな、罪と恐れの終わりの歌を歌います。
その一つひとつが、時間の中で、時間を遥かに超えたものについて語ります。
一緒に発せられた二つの声は、全ての人に向かって、胸の内を一つのものとして鼓動させるようにと呼びかけます。
そして、その一つになった鼓動において、愛の一体性が宣言され、歓迎されます。
あなたの神聖な関係に平安がありますように。
そこには、神の子たちの一体性をひとつに繋ぎとめておく力があります。
あなたは全ての人のために兄弟に与え、その贈り物の中で誰もがみな喜びます。
あなたが与える贈り物は、誰があなたに与えたのかを忘れてはなりません。
これを忘れずにいれば、その贈り物をあなたに与えるようにと 聖霊に授けたのは一体どんな存在なのか、あなたはそれを思い出すでしょう。
ACIM-Text- chapter20-5-3
あなたの兄弟の価値を過大評価するということは不可能です。
ただ 自我だけがこのようなことをしますが、それが意味するのは、 自我が相手を自分自身のために望んでいるということであり、したがって 自我は単に相手を過小評価しているのです。
計り知れないものを評価することが不可能なことは明らかです。
あなたは、自分の判断力を遥かに越えて見ることさえできないようなものに、裁きを下そうとする無意味な試みから生じる恐れについて、認識しているでしょうか。
自分にとって見えないものを価値判断してはなりません。
そのようなことをすれば、あなたはそれを決して見ることはないでしょう。
価値判断するのではなく、ただそれが顕れるのを忍耐強く待ちなさい。
あなたが自分の兄弟のために平安だけを望む時、兄弟の真の価値を見る機会が与えられるでしょう。
そして、あなたは、その人のために望むものを、自ら受け取るでしょう。
ACIM-Text- chapter20-5-4
あなたは、自分に平安を差し出してくれる人の真の価値を、どのようにして推定できるというのでしょうか。
その人が差し出すもの以外の何を、あなたは望むのでしょう。
その人の真の価値は、父によって定められており、あなたが父の贈り物をその人を通して受け取る時に、それを認識することになります。
その人の中にあるものは、あなたの感謝に溢れた心眼において、実に明るく輝くので、あなたはただその人を愛し、喜ばしく思うことでしょう。
その時、あなたはその人を裁こうと思いません。
なぜなら、 キリストの顔を見たというのに、それでもまだ裁きに意味があると言い続ける人など誰もいないからです。
そのように言い張ることは、目の見えない者たちがすることだからです。
心眼かそれとも裁きか、それはあなたの選択ですが、しかし決してその両方を選択することは出来ません。
ACIM-Text- chapter20-5-5
あなたの兄弟の 身体は、あなたにとってほとんど役に立たなく、その人にとっても同じことです。
ただ 聖霊が教える通りに使われるならば、 身体にはどんな機能もありません。
なぜなら、心というものは、コミュニケーションを行うために 身体を必要とはしないからです。
身体を見る視覚は、神聖な関係にとってはいかなる役にも立ちません。
そして、あなたが自分の兄弟を 身体として見ているうちは、手段と目的がまだ一致していないことになります。
それを一致させるために、なぜこのように何度も聖なる瞬間が必要だというのでしょう。
それはただひとつしかありません。
金色の光のように時間を貫いて走る永遠のかすかな兆しは、全て同じです。
その前に何もなければ、その後にも何もありません。
ACIM-Text- chapter20-5-6
あなたは、それぞれの聖なる瞬間を、時間の中で違う時点として眺めます。
聖なる瞬間は決して変化しません。
それが今まで保有したことのあるもの、それがいずれ保有することになるもの、その全てがまさに今ここに在ります。
過去はそこから何一つ取り上げず、未来はそれに何も付け加えることもありません。
ということは、ここに一切が在ります。
ここに、既に手段と目的が完全に調和しているあなたの関係の素晴らしさがあります。
ここに、いつの日かあなたが兄弟に捧げる完璧な信が、既にあなたに差し出されています。
ここに、いつかあなたがその人に与えることになる無限の 赦しが、既に与えられていて、これからあなたが見ることになる キリストの顔が、既に見えています。
ACIM-Text- chapter20-5-7
あなたに、この贈り物の与え主の価値を見極めることが可能でしょうか。
あなたは、この贈り物を何か他の贈り物と交換したいと思うでしょうか。
この贈り物によって、神の法則があなたの記憶に甦ります。
そして、単にそれを思い出すだけで、あなたを苦痛と死の囚人にしていた法則は必ず忘れ去られます。
これは、兄弟の 身体があなたに差し出す贈り物ではありません。
その贈り物を隠しているベールは、その人をも隠しています。
その人が贈り物そのものです。
それにも関わらず、その人はそれを知りません。
あなたについても同じことが言えます。
とはいえ、あなたと兄弟の双方の中にある贈り物を見ている存在が、あなた達二人のためにそれを差し出し、受け取るということに、信を置いていなさい。
そうすれば、あなたは 聖霊の心眼を通してそれを見て、 聖霊の理解を通してそれを認め、自分自身のものとして愛するようになるでしょう。
ACIM-Text- chapter20-5-8
安心していなさい。
そして、 聖霊があなたを愛の眼差しで見守り、自らの見ているものに絶対の確信を抱いていることを感じなさい。
聖霊は、神の子を知っていて、神の子の優しい手の中に宇宙が安全かつ平安に休息しているという父の確信も分かち合っています。
今度は、父が神の子に抱いている確信を分かち合うために、何を学ばなければならないか考えてみましょう。
宇宙の創造主が、宇宙をその人に与えてもそれが安全に休らうと知っているほどのその人とは、一体どんな人なのでしょうか。
その人は、父が分っている通りに自分自身を見てはいません。
とはいえ、神の確信が間違ったものに向けられるということは、有り得ないことです。
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