奇跡講座テキスト編20章 20-8 無罪性の心眼

奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第20章 「 聖霊の心眼」20-8

 

第20章 20-8 無罪性の心眼

ACIM-Text- chapter20-8-1

心眼は、最初は少しずつ垣間見るという形であなたにやってきます。

しかし、それだけでも兄弟を罪なき者として見るあなたに何が与えられるのかを、あなたに教えるには十分です。

真理はあなたの欲求を通して取り戻されます。

それは、あなたが真理以外の何かを欲することによって失われたからです。

その「他のもの」に価値を置いたために、あなたが閉め切ってしまった聖なる場所を開きなさい。

そうすれば、一度も失われたことのないものが静かに戻ってくるでしょう。

それは、あなたのために取っ置かれてあります。

裁きが下されていなかったなら、心眼も必要なかったでしょう。

今こそ、その裁きの全てが取り消されることを望みなさい。

そうすれば、それがあなたのために取り消されます。  

 

ACIM-Text- chapter20-8-2

あなたは自分自身のアイデンティティーを知りたいと思わないでしょうか。

喜んで自分の疑いを確かさへと交換したくはないでしょうか。

自分から進んで、不幸から開放され、再び喜びを学ぼうと思わないでしょうか。

あなたの神聖な関係は、こうしたことを全てあなたに差し出します。

それがあなたに与えられたように、その結果も与えられるでしょう。

そして、その聖なる目的があなたの作り出したものではないように、その幸せな結果をあなたのものにするための手段も、同じくあなたのものではありません。

求めさえすれば自分のものとなるものを喜びなさい。

そして、手段であれ、目的であれ、自分で作り出す必要があると思ってはなりません。

ただ兄弟を罪なき者と見ようとするあなたに、こうしたものの全てが与えられます。

ただそれを受け取りたいとだけあなたが望むのを待って、あなたにこれらの全てが与えられます。

見ることを求める者たちには、心眼は自由に与えられます。  

 

ACIM-Text- chapter20-8-3

あなたが 聖霊の心眼で眺め、 聖霊と共に喜ぶようにと、光の中で輝く兄弟の無罪性があなたに与えられています。

救済とは何かということについて 聖霊と合意している者たちが、真の欲求を抱き、 聖霊と目的を分かち合い真摯に平安を求めるならば、その人たちのもとには必ず平安はやってくるからです。

それならば、 キリストがあなたの心眼の前に顕れ、あなたに喜びを与えられるように自ら進んで兄弟を罪なき者として見ようとしなさい。

そして、兄弟の 身体に何の価値も置いてはなりません。

身体は、その人を自らの本性についての幻想へと繋ぎ止めます。

その人の無罪性を見ることは、あなたの望みであると同時にその人の望みでもあります。

そして、あなたの関係の中で神の子を祝福しなさい。

また、あなたがその人だと思っているものをその人の中に見てはなりません。  

 

ACIM-Text- chapter20-8-4

聖霊は、神が意図してあなたに与えたものは、あなたのものになることを保証します。

これが今やあなたの目的です。

それをあなたのものにする心眼は、与えられる準備が出来ています。

あなたには、 身体を見ないでいることを可能にする心眼があります。

だから、あなたが兄弟に目を向ける時、あなたは備えた輝く百合の花に飾られ、眩いばかりに美しく清らかで天国のように神聖な父への祭壇を見るでしょう。

あなたは一体どんなものに、これ以上の価値を見ることが出来るでしょうか。

なぜ、あなたは 身体の方が神の子にとって良い住み処であり、より安全な避難所だと思うのでしょう。

なぜ、真理よりも、 身体の方に目を向けようとするのでしょうか。

なぜ、破壊の動力機関の方が好まれ、 聖霊があなたと共に住まう場所として差し出している聖なる住み処の代わりに、 身体が選ばれたりするのでしょう。  

 

ACIM-Text- chapter20-8-5

身体というものは、弱さと傷つき易さと力の喪失のしるしです。

そのような 救済者があなたを助けられるでしょうか。

困窮し、助け必要な時に、あなたはそのような無力な者に頼ろうとするでしょうか。

哀れなまでに卑小なものが、強さを求めて頼るべき相手として完璧な選択肢でしょうか。

裁きはあなたの 救済者を弱き者とするように見えるでしょう。

ところが、そのような 救済者の強さを必要としているのはあなたです。

いかなる問題にせよ、いかなる出来事や状況や困惑にせよ、心眼によって解決されないものは何一つ存在しません。

心眼で眺められる時、全ては救われています。

というのも、これはあなたの視覚ではなく、この視覚の持ち主である 聖霊の愛する法則をもたらすからです。  

 

ACIM-Text- chapter20-8-6

心眼で眺められたあらゆるものは、 聖霊の穏やかで確かな視覚がもたらす法則に従って、優しく、あるべき場所に落ち着きます。

聖霊が眺める全てのものの結末は、常に確かなものです。

なぜなら、それは調整されない形で、 聖霊の目的を果たすのに完璧に適したものとして見られるので、完璧に 聖霊の目的に添うものとなるからです。

聖霊の優しい眼差しのもとでは、破壊的なものは柔和なものになり、罪は祝福に変わります。

身体の眼が、何を知覚できるというのでしょう。

訂正する力と共に在る時、 身体の眼が何を知覚できるというのでしょう。

肉眼は、罪に順応して調整されていてどんな形の罪も見過ごせないので、どんなところであってもあらゆるものの中に罪を見ることになります。

肉眼を通して見るなら、あなたの前であらゆるものが有罪宣告を受けて佇むことになります。

あなたを救うことのできるものの全てを、あなたは決して見ないでしょう。

あなたの 救済の源である神聖な関係は、その意味を奪われ、その最も神聖な目的は達成の手段を奪われるでしょう。  

 

ACIM-Text- chapter20-8-7

裁きとは、単なる玩具であり、気まぐれな思いつきであり、あなたの想像の中で無益な死のゲームをするための無分別な手段に過ぎません。

しかし、心眼は全てのものを正し、天国の法則の優しい影響下に運びます。

もし、あなたが、この世界は一つの幻覚だと認識したとしたなら、どうでしょうか。

もし、あなた自身がそれを作り上げたのだということを真に理解できたらどうでしょう。

もし、その中を歩き回るように見える者たちが、罪を犯し、死に、攻撃し、殺害し、自らを破壊するとしても、その人たちの全てが全く実在しないと悟ったなら、どうでしょうか。

もし、あなたがこうしたことを受け入れたなら、あなたは自分の見ているものに信を持ったりするでしょうか。

そして、あなたはそれを見ようとするでしょうか。  

 

ACIM-Text- chapter20-8-8

幻覚は、その実体が何であるか認識されたら、消滅します。

これが癒しであり、治療法です。

幻覚を信じるのをやめなさい。

そうすれば、それらは消えてなくなります。

そして、あなたがする必要のあることは、ただ自分がそのようなものを作り上げたのだと認識することだけです。

一旦、あなたがこうした単純な事実を受け入れ、そのようなものに与えていた力を自分自身に取り戻すなら、あなたはそのようなものから解放されます。

一つ確かな事は、幻覚は一つの目的に役立っていて、その目的が保持されなくなった時にはそのようなものも消滅する、ということです。

したがって、問うべき事は、自分がそのようなものを望んでいるかどうかではなく、常にそれらが役立っている目的そのものを、自分が望んでいるのかどうかです。

この世界では、一つひとつが異なっていて、様々に異なった価値を持つ多くの目的を差し出しているように見えます。

しかし、それらは全て同じです。

繰り返しますが、順序というものはありません。

あるのは価値の順序のように見えるものだけです。  

 

ACIM-Text- chapter20-8-9

ただ二つの目的のみが可能です。

その一つは罪であり、もう一つは聖性です。

その中間には何も無く、あなたがどちらを選択するかが、あなたが何を見るかを決定します。

なぜなら、あなたに見えるものは、ただあなたが自分のゴールをいかにして達成することに決めたかを、示すに過ぎないからです。

幻覚は、狂気のゴールの達成に貢献します。

それらは、心の内側から投影された外側の世界を罪に合わせて調整し、罪の実在性を証しするように見せる手段です。

外側には何も実在しないということは、依然として真実です。

しかし、その実在しないものの上に、全てが投影されています。

なぜなら、投影が、実在していないものに、それが持つ意味の全て与えているからです。  

 

ACIM-Text- chapter20-8-10

何の意味もないものを知覚することは不可能です。

そして、意味というものは常に自らを見出すために内側を見て、その後に外を見ます。

したがって、あなたが外の世界に与える意味の全ては、そのようにあなたが内側に見た光景を反映することになります。

あるいは、より適切に言うなら、あなたがそもそも見たのか、それともただ裁いただけなのかを反映するということです。

心眼とは、 聖霊があなたの悪夢を幸せな夢へと翻訳する手段であり、想像された罪がもたらす恐ろしい結末を見せている野放図な幻覚を、 聖霊がそれと取り替えたいと思っている穏やかで安らかな光景へと翻訳する手段です。

こうした優しい光景と音声は、幸せな気持ちで眺め、喜びを持って聞かれることになります。

それらは、恐れるあなたの自覚に、 自我の目的が運んできた恐怖の光景や泣き叫ぶ声の代わりとするために、 聖霊による代替です。

それらは、あなたを恐れさせているのは実相ではなく、あなたの犯した誤りは訂正され得ることをあなたに思い出させ、罪から遠ざけます。  

 

ACIM-Text- chapter20-8-11

あなたが恐ろしく見えていたものに目を向け、それが麗しく平安な光景に変わるのを見た時、また、暴力や死の場面を眺め、それらが広々とした空の下の静かな庭園の景色に変わり、傍には枯れることなくせせらぐ小川と楽しげに流れる清らかな生命の水を見たなら、あなたに心眼の贈り物を受け入れるようにと説得する必要があるでしょうか。

そして、心眼を見た後、それに続いて必ず訪れるものを、一体誰が拒否できるでしょうか。

ほんの一瞬でも、ただこのことだけを考えてみなさい。

あなたは、神が神の子に与えた聖性を見ることが出来るのだ、と。

そうすれば、あなたには、それ以外何か他にも自分の見るべきものがあると考える必要は全くなくなります。

 

奇跡講座テキスト編 第20章「 聖霊の心眼」目次

20-1    聖週間

20-2   百合の花の贈り物

20-3   調整としての罪

20-4   箱舟に乗り込む

20-5   永遠の前触れ 

20-6    聖霊の神殿  

20-7   手段と目的の一貫性

20-8   無罪性の心眼

 

奇跡講座(奇跡のコース) テキスト編、ワークブック編、マニュアル編 各目次

テキスト編 1章~31章 目次

ワークブック編 レッスン1~365 目次

教師のためのマニュアル編 1~29 目次

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目次

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