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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第25章「神の正義」25-1本文
第25章25-1 真理への絆
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キリストがあなたに命じた任務を遂行する事が難しいという事は有り得ません。
なぜなら、それを行うのは キリストに他ならないからです。
そして、あなたは、それを行っていくうちに、 身体というものは、そのための手段であるかに見えるだけのものであるという事を学ぶでしょう。
それ故に、それは必ずあなたの心でもあります。
キリストの聖性は、彼と一つのものである心を通して 身体に指令します。
そして、あなたはあなたの神聖な兄弟に対して顕現され、兄弟はあなたに対して顕現されます。
ここに キリストの彼自身との出会いがあります。
また、ここでは、 キリストの聖性の側面同士の間を遮るいかなる相違も知覚されず、それらは互いに出会って繋がり合い、全一にして清らかで、父の永遠の愛に相応しい彼を、父の元へと昇らせます。
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聖性に目を向けてそこに キリストを見る以外に、どのようにしてあなたの内なる キリストを顕現させる事が出来るでしょう。
知覚はあなたに、自分に見えているものの中に自分自身が顕現されていると教えます。
身体を見るなら、あなたは自分が 身体の中に居ると信じるでしょう。
そして、あなたが見る 身体のいずれもが、自分自身のこと、すなわち自分の罪深さ、邪悪さ、そして何よりも自分の死を、あなたに思い出させます。
そして、あなたにこのように告げる人をあなたは蔑み、代わりにその人の死を求めるのではないでしょうか。
メッセージと、それを伝える使者はひとつのものです。
そして、あなたは自分の兄弟を自分自身と見なさずにはいられません。
兄弟を 身体という額縁の中に見る時、あなたは自分の罪深さを見て、そこで自分が有罪宣告を受けることになります。
その人の聖性の中に置かれるならば、その人の内なる キリストは、自らをあなたであると宣言します。
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知覚とは、自分自身がなりたいものや、住みたい世界や、自分の心が充足し満足すると思える状態についての選択です。
それは、あなたがどこに自分の安全があると考えるかを、自分の決断により選択するものです。
知覚はあなたに、あなたが望む通りの自分を見せます。
そして、それは常にあなたの目的に忠実であり、決してそこから離れません。
また、あなたの心の中で目的が支持しているものを少しでも証明することはありません。
知覚は、あなたが見るということの目的としているものの一部です。
なぜなら、手段と目的は決して分離していないからです。
こうしてあなたは、分離した生命を持っているかのように見えるものに何の生命もない事を学びます。
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あなたが、神のための手段そのものです。
あなたは神から離れてはおらず、神の生命と別の生命を持っているわけでもありません。
神の生命は、神の子であるあなたの中に顕現されています。
神ご自身の側面の一つ一つは、聖性と完璧な清らかさに縁取られていて、神々しいほどの完全なる愛の中にあるので、各側面が望むことは、自ら見る全てを、それ自身に対して解放するだけです。
その光線は、それが目を向ける 身体の一つ一つを貫いて輝くので、それが 身体を看過して光の方を見るだけで、 身体の闇の全てを一帰して光に変えてしまいます。
その優しさによってベールは外され、それを見る人達の目から キリストの目から キリストを隠すものはなくなります。
あなたと兄弟は今 キリストの前に立ち、自分たちを分離した別々のものにし続けているかのよに見えるベールを取り払ってもらおうとしています。
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あなたが自分を分離していると信じているので、天国もまた、あなたに対してそれ自体を分離したものとして提示しています。
それは、真理においてそうであるという事ではなく、真理につながるようにとあなたに与えられている絆が、あなたが理解しているもの通して、あなたに到達できるようにするためです。
父と子と 聖霊は一なるものです。
それは、真理において、あなたの兄弟全員がひとつのものとしてつながっているのと同じです。
キリストとその父が分離した事は一度もなく、 キリストはあなたの理解の内側に、すなわちあなたの中にあって父の意志を共有している部分の中に宿っています。
それ以外の部分、すなわち、分離していて特異で特別なものでありたいと願う小さな狂った欲求を、 聖霊は キリストへと連結され、実際にはひとつのものであるものに対して、その一体性を明らかにします。
この世界の中では、このことは理解されませんが、教えてもらう事は可能です。
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それにより、特別性という目標が、その誤りのあるところで訂正できるようになります。
キリストの目的は今も父と子の双方と一体であるので、 聖霊は神の意志も、あなたが何を真に意志しているのかも知っています。
しかし、このことを理解するのは、自らを一なるものと知覚している心、すなわち自らがひとつであることを自覚し、そのように体験している心です。
聖霊の機能は、いかにしてこの一体性が体験されるか、何をすればそれを体験できるか、そして、どこに行けばそれが出来るかを、あなたに教えることです。
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こうしたことは全て、まるで時間と場所を別々のものであるかのように扱っています。
それは、あなたが自分の一部は分離していると考えている間は、一なるものとしてつながっている一体性という概念は意味の無いものだからです。
明らかな事は、これほどまでに分裂した心は、全てのものをそれ自体の中で結び付ける一体性を教える教師には絶対になれないということです。
したがって、この心の中にあって、全てのものを結び付ける存在が、その心の教師とならなければなりません。
しかし、その存在は、この心が自分が存在していると考える状況の中で、この心に理解できる言語を使用しなければなりません。
そして、その存在は、幻想を真理のもとへ運ぶために全ての学びを活用しなければならず、あなたの本性についての虚偽の考えの全てを取り上げてそれらを越え、まさにそれらを超越した真理へと、あなたを導いていかなくてはなりません。
この全ては、簡潔に、次のように要約する事が出来ます。
同一のものが異なっているという事は有り得ず、一つであるものには分離した部分はあり得ない。
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