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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第26章「過渡期」26-10本文
26章26-10 不正義の終わり
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それでは、あなたが彼らの臨在を実感するために取り消されるべきものとして、何が残っているのでしょう。
それは、一つの事だけです。
すなわち、あなたは攻撃が正当化される時と、攻撃が不公正で容認されてはならないと思う時とを区別する見解を持っているという点です。
攻撃は公正なものではないと知覚した時には、あなたは怒りという反応を正当なものだと考えます。
こうして、あなたは同じであるものを違うものと見なしています。
混乱に限度はありません。
そもそも、もし混乱が生じるのであれば、それは全面的なものとなります。
そして、どんな形であれ混乱が存在するのであれば、彼らの臨在は隠されます。
彼らは明確に知られるか、全く知られないかの、どちらかです。
混乱した知覚は、叡智を遮断します。
それは、混乱の大きさや、それがどれほど支障をきたすかといった問題ではありません。
単なるその存在そのものが、彼らに至る扉を閉ざし、彼らを知られないままそこに留めることになります。
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もし、あなたがある特定の形の攻撃は自分に対して不公正だと知覚するのだとすれば、それは一体何を意味しているのでしょうか。
それは、あなたが公正だと考える攻撃の形がある、という事を意味します。
そうでなければ、どうしていくつかの攻撃について不公正という評価を下す事が出来るでしょう。
そのようにして、いくつかのものには意義が与えられ、道理にかなっている事だと知覚されます。
そして、いくつかのものだけが無意味であると見なされます。
これは、あらゆる攻撃とは、無意味でいずれも等しく原因や結果を欠いていて、どのような種類の結果も生じない、という事実を否定しています。
彼らの輝く無垢性と、それが自分自身のものであり、自分と共に生きとし生ける全てのものにも等しく与えられているというあなたの自覚との間を遮るベールは全て、彼らの臨在を覆い隠してしまいます。
神は限定しません。
限定されているものは天国では有り得ません。
とすれば、それは地獄に違いありません。
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不公平と攻撃とは一つの間違いであり、互いに固く結びついているので、一方が知覚されるところには、必ずもう一方も見られるはずです。
あなたが不当に扱われるということは有り得ません。
自分がそう扱われているという信念は、自分自身以外の誰かによって自分から何かが奪われているという考えのもう一つの形に過ぎません。
不公平であり、自分にとって正当な報いではないと知覚される全てのものの根底にあるのは、犠牲の原因の投影です。
とはいえ、自分自身にこうした事を求めているのは、他でもないあなたであり、それは神の子に対して甚だ不当な事です。
あなたは自分自身以外に敵はいません。
そして、あなたはその人をあなた自身として知らないからこそ、まさしくその人にとって敵なのです。
その人にとって、自らの本性を奪われ、自分自身でいる権利を否定され、その人にはふさわしくないので父の愛とあなたの愛を犠牲にするように求められる事ほど不当な事があるでしょうか。
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自分が不当に扱われていると知覚したくなる誘惑を警戒していなさい。
この見解においては、あなたはその人のものではなくあなただけのものであるという無垢性を見出そうとしていて、しかも、それを他の誰か他の人の罪悪という代価を払って行おうとします。
無垢性とは、あなたの罪悪を誰かに渡すことによって購入できるものでしょうか。
あなたが、その人を攻撃して手に入れようとしているのは、本当に無垢性なのでしょうか。
あなたが追求しているのは、神の子に対する自分による攻撃への仕返しではないでしょうか。
それよりも、自分はこした罪を犯してはなく、無垢であるにも関わらず犠牲にされるという事もない、と信じたほうが安全ではないでしょうか。
どんなやり方で演じられようとも、罪悪のゲームは必ず損失が伴います。
誰かが無垢性を獲得して自分のものとする事が出来るように、他の誰かが必ず自らの無垢性を失わなくてはなりません。
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あなたは、ひとりが無垢であるためにはもう一方が不公平でなくてはならないと考えるがゆえに、兄弟が自分に対して不公平であると考えます。
このゲームにおいては、あなたは自分の関係全体に一つの目的を知覚しています。
そして、既にそこに与えられている目的の上に、これをつけ加えようとします。
聖霊の目的は、あなたの神聖な賓客たちの臨在をあなたに知らせることです。
そして、この目的には、何も付加することは出来ません。
なぜなら、この世界にはこれ以外の目的がないからです。
この一つのゴールに何かをつけ加えたり、取り去ったりする事とは、この世界からもあなた自身からも、全ての目的を取り去る事に他なりません。
そして、この世界があなたに課しているように見える不公平なものごとはどれも、この世界を 聖霊がそこに見ている機能が欠けた無目的なものにする事によって、あなたがこの世界に課したものです。
こうして、地上の全ての生きとし生けるものに対する単純な正義が否定されてきたのです。
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この不正義が、不公平に判断するあなたに対し、また自ら判断した通りに全てを見るあなたに対して、どれほどの事を為しているか、あなたには知る由もありません。
世界は薄暗く険悪なものとなり、あなたには 救済が運んでくる幸福な閃光を知覚して自分の行く手を明るく照らす事も出来なくなります。
だからあなたは、自分自身を、光を奪われて闇の中に見捨てられた者、また、不毛な世界に何の目的もなく不当に置き去りにされた者、と見る事になります。
聖霊が不正義を内なる光のもとに導き、そこで全ての不公平が解消され、正義と愛に置き換えられているからこそ、この世界は公平なのです。
もし、どこであっても不正義を知覚したなら、ただ次のように言いなさい。
これによって私は父と子の臨在を否定することになります。
彼らの臨在が放つ光が不正義を消し去るのだから、私は不正義を見るより、彼らを知る事を望みます。
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