奇跡講座テキスト編13章13-10 罪悪からの解放

奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編13章 「罪無き世界」より

 

13章13-10 罪悪からの解放

ACIM-Text- chapter13-10-1

心というものは苦痛の種、つまり源のないところにそれがあると見ることができる、という考えにあなたは慣れています。

そのような疑わしいことをして原因を置き換えようとするのは、罪悪感の本当の源を隠し、それは全く狂気だと自分で気づかないようにするためです。

そのようにして置き換えたことは、それから注意をそらされているとはいえ、いつも罪悪感の源は真実であり、そのうえ恐ろしいに違いないという幻想によって維持されています。

さもないと、あなたはそのような罪悪感を何か自分にとってさほど恐ろしくはないと信じられるものと、置き換えようとはしなかったでしょう。

したがって、あなたはあらゆる種類の「源」を、そうした源がより深い源そのものに全く何の関わりもないようなものであれば、自分から進んで見てみるつもりでいます。

 

ACIM-Text- chapter13-10-2

狂気の想念で真の関係など持てません。

だから、そのような想念は正気ではないということになります。

真の関係というものは、罪悪感からは成り立たず、そのような思いを少しでも抱きその関係の純粋さが損なわれてしまう、といったことは有り得ません。

罪悪感が絡まった関係というのは、全て、その当事者と罪悪感とを避けるために使われるだけだからです。

こうした奇妙な目的のために、あなたは何と奇妙な関係を持ってしまったことでしょうか。

そのうえ、真の関係は神聖であり、あなたがそうした関係を利用できるはずがないということを忘れています。

そうした真の関係は、ただ聖霊によって使われるのであり、それがこうした関係を純粋なものにします。

もし、あなたが自分の罪悪感をそうした関係と置き換えるなら、聖霊には使えなくなってしまいます。

聖霊に手渡すべきものを、あなたが自分自身の目的のために先取りしたので、それを聖霊はあなたを解放するために使えなくなります。

自分一人が救われるためなら誰とでも何とかつながりを持とうとする者は、誰一人そのような奇妙な関係のなかに救いは見出せないでしょう。

そのような救いを分かち合うことはないので、真実とは言えません。

 

ACIM-Text- chapter13-10-3

ある兄弟と何らかのつながりをもち、自分の罪悪感を相手になすりつけるとか共有するとか、相手の罪悪感を知覚しようとしたりすると、自分の気が咎めてくるのは確かです。

それに満足感も平安も見出せないでしょう。

二人のつながりは真実ではないからです。

そのような関係に自責の念を覚えるようになるというのも、自分にその因があるからです。

罪悪感に苦しむ者たちは、そのような思いがあると信じこんでいるので、それを置き換えようと試みるのは必然的です。

しかし、苦しんでいるにも関わらず、自分の内面を見つめてその思いを放つつもりなどありません。

自分が愛しているとは分かっておらず、愛するとはどういうことなのか理解できないでいます。

一番気にかけるのは罪悪感の源は自分の外側にあり、自分で抑えきれないものだと見ようとすることだと言えます。

 

ACIM-Text- chapter13-10-4

あなたが、自分には罪があってもその源は過去にあると主張するなら、自分の内面を見つめていないということです。

過去はあなたの中にはありません。

あなたが過去から連想した奇妙なことは、今ここでは何の意味もありません

しかし、それに自分と兄弟たちとの仲を妨げさせ、真の関係というものを全く見出せないでいます。

過去のことを「解決する」手段として、自分の兄弟たちを利用しようとしておいて、その兄弟をありのままに見たいと期待できるでしょうか。

自分の兄弟を利用し、ありもしない問題を解消しようとする者たちには救いを見出せません。

以前、あなたは救われることなど望んではいませんでした。

今になって、無駄な願望を押しつけ、ここで救われたいとでもいうのでしょうか。

 

ACIM-Text- chapter13-10-5

では、自分は今までの自分ではないのだと決断しなさい。

どんな関係にせよ、それを持ち出して自分を過去に拘束せずに、それぞれの関わりを日々新たにすることです。

一分、いやそれより短い時間でさえ、あなたを過去から自由の身にし、あなたの心を平安のうちに贖罪に託すには十分です。

あなたが自分自身を父の歓迎に委ね、全ての人を一人ひとり喜んで迎え入れるなら、自分には罪悪感がないと分かってきます。

それは、あなたが贖罪を受け入れたことになるからであり、その贖罪はあなたが自分には罪悪感があると夢見て自分の内面を覗きそれを見ようともしなかった間も、ずっと輝いていたのです。

 

ACIM-Text- chapter13-10-6

たとえ、それが誰のことにせよ、何をしたにせよ、その人が何らかの形で自責の念を抱いて当然だとあなたが信じる限り、あなたは自分の内面をみつめようとはしないでしょう。

しかし、そこを見ればいつでも贖罪を見出せるはずです。

自責の念を抱く理由があると信じる間は、そのような思いを抱かずに済む時は決してこないでしょう。

それには、自責の念を抱くのは絶対に正気の沙汰ではなく、そうする理由などないと分かるようになる必要があります。

聖霊は、実在をぬぐい去ろうとしているのではありません。

自責の念が真実だとすれば、贖罪は真実ではないということになります。

贖罪の目的は、幻想を拭い去ることです。

幻想を真実だと認めたうえで赦すということではありません。

 

ACIM-Text- chapter13-10-7

聖霊は、あなたの心の中に幻想を残しておいて怖がらせたり恐ろしげに見せたりして、どんなものからあなたを救ったのか実証しようとはしません。

聖霊が救い出してくれたというその何かは無くなったのです。

罪悪感を現実のものとせず、そのような思いを抱く理由はないとしなさい。

聖霊は、神がやって欲しいと思っていることを行うのであり、いつもそうしてきました。

分離を見たとはいえ、和合した姿というものを知っています。

癒しを教えますが、創造することも知っています。

聖霊は自らを通じ、また自ら行うようにあなたに見させたり教えさせたりするでしょう。

けれども、あなたは聖霊の知っていることはあなたのものでもあるというのに、それが何か分かってはいません。

 

ACIM-Text- chapter13-10-8

まさに今、その何かはあなたに与えられていますが、それは癒したり教えたり、なるべきことを今そうならせるためです。

今のところまだそうなっているとは言えません。

神の子は、自責の念に苛まれどうすればいいのか分らなくなっており、あちこちから迫りくる苦痛を味あわされ、暗い世界の中で独りだと信じ込んでいます。

自分の内面を見つめ、そこに光り輝くものが見えた時にこそ、父がどれほど自分を愛してくれているか思い出すことでしょう。

そして、自分は父に愛されていないものと思いこみ、救われ難いさだめにあると見なしていたとは信じられないような気がしてきます。

罪悪感を抱くのは正気ではなく、どうみても正当化できないうえ、全くその根拠がないと悟るやいなや、あなたは贖罪に目を向けることを恐れもせず、贖罪を全面的に受け入れるでしょう。

 

ACIM-Text- chapter13-10-9

自分自身に対して情け容赦しなかった者は、父の愛を覚えていません。

そして、自分の兄弟たちに対する思いやりもないので、自分がどれほど神を愛しているのか思い出せないのです。

けれども、愛しているということは永遠の真実です。

あなたの内にはきわだった平安があり、それは全く純粋で、その純粋さをもってあなたは創造されたのです。

自分の素晴らしい真実を目にするのを恐れることはありません。

あなたの心眼を弱めてしまう罪悪感の暗雲を通りぬけて見つめ、暗闇を後にし、光が見えてくる神聖な場所を眺めなさい。

父にささげられた祭壇は、それを自らのために建てた存在と同じように清らかです。

キリストがあなたに見せようとするものを妨げるものは何もありません。

キリストの意志は父のと同じであり、キリストは神の子一人ひとりに思いやりを持って接するし、あなたにも同じようにしてほしいと願っています。

 

ACIM-Text- chapter13-10-10

罪悪感から解放しなさい。

そうすれば、あなたも解放してもらえるでしょう。

それより他には、内面に目を向けて愛の光を見る方法はなく、その光は神自身いつも神の子を愛しているのと同様、絶え間なく確かに輝いています。

それと同じように、神の子は神を愛しているはずです。

愛には恐れがないというのも、愛には罪がないからです。

常に父を愛する者には、内面を見つめて自分の神聖さを悟るのを恐れる理由など何も無いはずです。

あなたは自ら信じ込んでいるような自分では有り得ません。

あなたは神の想念の中にいて、そこには罪悪感というものはないので、それをあなたが抱く理由もありません。

そして、聖霊、まさにこうした理性を、あなたに回復させようとしています。

聖霊はただ幻想を取り去るつもりです。

他のものは全てあなたに見せてくれます。

そのうえ、キリストの心眼によって、神の子の内面はいつまでも完全に清らかだということを見せるつもりでいます。

 

ACIM-Text- chapter13-10-11

全ての神の子を等しく愛さない限り、あなたには誰とも本当の関係を結ぶことはできません。

愛は特別扱いすることではないのです。

もし、神の子の誰かを選り抜いて愛するなら、自分と関係のある全ての人に罪悪感を押しつけて、そうした関係を実在しないものとしてしまいます。

あなたは、ただ神が愛してくれるように愛せるだけです。

神と同じでない愛しかたをしようとしないようにしなさい。

なぜなら、神の愛とは特別な愛などないからです。

これが真実だと気づくまで、愛とはどんなものか皆目見当もつかないでしょう。

兄弟に罪があると非難するような者は、誰も自分が罪のない身であり神の平安のうちにあるとわかっていません。

罪はないうえ平安のうちにありながら、そう見ないとすれば、その人は妄想を抱いており、自分自身をよく見ているとは言えません。

その人に私はこう伝えたいのです。

神の子に目を向け、その清らかさを見つめ静かにしていなさい。

静寂のうちに神の子の神聖さを見つめ、父に感謝を捧げてなさい、神の子は決して罪悪感に影響されてはいない、と。

 

ACIM-Text- chapter13-10-12

あなたは幻想を持ち出して神の子を非難しようとしてきましたが、神の子は罪は無いということに何の影響も及ぼしてはいません。

その眩いばかりの清らかさは、全く罪悪感に影響されることなく全き愛に満ちており、あなたの心の中を明るくします。

私と一緒にその神の子を見つめ、愛しましょう。

その人を愛するうちに、あなたは自分に罪のないということを見出せるからです。

ともかく、自分自身をよく見てみなさい。

そうすれば、そこにある姿を見る喜びと感謝の念で、罪悪感など永久に払いのけられるでしょう。

そこで私は感謝を捧げます。

「父なる神よ、あなたが永遠に罪なきものとして創造してくれた、最も聖なる神の子の清らかさに感謝いたします」

 

ACIM-Text- chapter13-10-13

あなたと同様、私は自分にとって大切なものを中心に信頼し、また信じます。

違うのは、私はただ神が私と共に愛されるものを愛するということです。

だからこそ、あなたが自分で自分を評価する以上にあなたを大切にし、神が定められた価値に見合うようにあなたのことを重んじます。

神が創造した全てのものを愛し、全面的に信頼し信じています。

あなたに対する信頼は、私が自分の持てる限りの愛で父を愛するその愛と同じくらい強いものです。

限りなく信用しており、私の言い分を聞き入れてくれないのではなかろうかと恐れることもありません。

私は、あなたの愛らしさを父に感謝し、また神の国の完全さ、それは言うまでもなく神からのものですが、それに敬意を表して、あなたが私に捧げさせてくれるたくさんの贈り物に対しても感謝しているのです。

 

ACIM-Text- chapter13-10-14

父に自分の子と一つになれるようにする者は称賛に値します。

私達はみな、一人では大したことはありませんが、共にあれば実に強烈な明るさで光を放ち、それは誰も自分だけでは思いつくことさえできないほどの明るさです。

神の国の栄光に満つる輝きを前にし、罪悪感は和らいで優しい思いやりに変わり、もう決して以前のようになりません。

経験する反応は、ことごとく清められるので、父を讃える歌として相応しくなります。

父に創造されたもののうちには、父の称賛だけを見なさい。

なぜなら、父は決してあなたを賛美することをやめたりしないからです。

私達は、こうした賛美のうちに心を一つにして天国の扉の前に立ち、罪なき姿で入って行くことは確かです。

神はあなたを愛しています。

それならば、私があなたを十分信頼しないでおいて、神を申し分なく愛することができるでしょうか。

 

奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編13章 「罪悪無き世界」目次

13-0  序論

13-1  無罪性と傷かざる強さ

13-2  罪なき神の子

13-3  救いに対する恐れ

13-4  時間の機能

13-5  二つの感情

13-6  今を見出す

13-7  実相世界の達成

13-8  知覚から叡知へ

13-9  罪悪感の雲

13-10  罪悪からの解放

13-11  天国の平安

 

奇跡講座(奇跡のコース) テキスト編、ワークブック編、マニュアル編 各目次

テキスト編 1章~31章 目次

ワークブック編 レッスン1~365 目次

教師のためのマニュアル編 1~29 目次

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