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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第5章 「癒しと全一性」より5-3本文
第5章5-3 救済への導き手
ACIM-Text- chapter5-3-1
兄弟を認識する為には、その兄弟の中に 聖霊を認識することです。
既に私が述べたように、 聖霊とは知覚を叡智へと移す為の架け橋です。
それ故に、私たちはこの知覚と叡智という言葉を関連性があるものとして使うことができます。
なぜなら、 聖霊の心の中ではその二つは確かに関連しているからです。
この関わりは 聖霊の心の中にあることが必要です。
そうでなければ、これら二つの考え方の間の分離は、癒しを受け付けないからです。
聖霊は三位一体の一部です。
というのも、 聖霊の心はあなたの心の一部でもあり、神の心の一部でもあるからです。
これは言葉ではなく、経験を通して明確にされる必要があります。
ACIM-Text- chapter5-3-2
聖霊とは癒しの考えです。
この考えは、想念であるため分かち合うにつれて増大します。
それは神を代弁する呼びかけでもあるので、それは神の考えでもあります。
あなたは神の一部であるので、それはまたあなた自身の考えでもあり、神の被造物全ての考えでもあります。
聖霊の想念は宇宙の一部分であり、宇宙の法則に従うので、それは、他の想念の特性も共有しています。
つまり、与えることによって、それは強さを増していきます。
あなたがそれを兄弟に与えるに従って、それはあなたの中で増大します。
こうした奇跡が起こる為には、必ずしも兄弟が自分自身、あるいはあなたの内にある 聖霊を認識している必要はありません。
あなたがそうであったように、その兄弟は神を代弁する呼びかけから解離しているかもしれません。
この解離は、あなたがその兄弟の中にある神を代弁する呼びかけを認識して、それが実在していることを承認するようになるにつれて、あなたと兄弟の両方の中で癒されます。
ACIM-Text- chapter5-3-3
あなたの兄弟を見るのに、全く正反対の二つの見方があります。
それらは両方ともあなたの心の中にあるはずです。
なぜなら、そのようにあなたが知覚しているからです。
それらはまた、その人の心の中にもあるはずです。
なぜなら、あなたはその人を知覚しているからです。
兄弟の心の中にある 聖霊を通じて、その兄弟を見なさい。
そうすれば、あなたは自分の心の中に 聖霊を認識します。
あなたは自分の兄弟の中に承認するものを、自分自身の中にも承認することになり、自分が分かち合うものを強めることになります。
ACIM-Text- chapter5-3-4
聖霊の声はあなたの中では弱々しいものです。
だからこそ、あなたはそれを分かち合わなければなりません。
その声を聞くことが出来るようになる為には、その前にそれを強くする必要があります。
あなたの心の中でその声がそのように弱々しい間は、あなた自身の中でそれを聞き取るのは不可能です。
その声そのものが弱い訳ではありませんが、あなたにそれを聞く意欲がないことにより、それは制限されています。
もし、あなたが自分自身の中にのみ 聖霊を探すという誤りを犯すなら、あなた自身の想念があなたを怖がらせるでしょう。
なぜなら、あなたは 自我の視点を取り入れることにより 自我を導き手にして、 自我にとっては異国へと旅立つことになるからです。
これは必ず恐れを生じさせます。
ACIM-Text- chapter5-3-5
遅延は 自我からのものです。
なぜなら、時間は 自我の持つ概念だからです。
時間も遅延も永遠の中では何の意味もありません。
以前私が述べたように、 聖霊とは 自我に対する神の答えです。
聖霊があなたに思い出させることは全て、 自我の意向とは正反対です。
なぜなら、真の知覚と偽りの知覚は、それそのものが相反する関係にあるからです。
聖霊には、 自我が作り出したものを取り消すという任務があります。
聖霊は、 自我が作用しているのと同じ次元において、それを取り消します。
そうでなければ、心はそうした変化を理解することが出来ないでしょう。
ACIM-Text- chapter5-3-6
繰り返して強調したことですが、心の一つの次元は、もう一方の次元にとっては理解することは出来ません。
自我と 聖霊についても、時間と永遠についても同じことが言えます。
永遠とは神の想念です。
したがって、 聖霊はそれを完全に理解しています。
時間は 自我の信念の一つです。
したがって、 自我の領域である低次の心は、何の疑問も持たずに時間を受け入れます。
時間の中で唯一の永遠なる側面は、今だけです。
ACIM-Text- chapter5-3-7
聖霊は、 自我による解釈と霊(Spirit)の持つ叡智の間を取りなす仲介者です。
象徴を取り扱う能力を持っている 聖霊は、 自我に分かる言葉で 自我が信じていることについて働きかけることが出来ます。
象徴を越えて永遠なるものを見る能力により、 聖霊には自らが代弁する神の法則を理解することが出来ます。
したがって、 聖霊は 自我が作り出すものを、破壊によってではなく理解によって解釈し直す機能を果たすことが出来ます。
理解は光であり、光は叡智へと導びいてくれます。
聖霊は、光であるあなたの内にあるが故に、自らも光の内にあります。
しかし、あなた自身はこのことを知りません。
したがって、神の為にあなたを解釈し直すことが 聖霊に課せられた任務です。
ACIM-Text- chapter5-3-8
あなたは自分一人で自分自身を理解することは出来ません。
なぜなら、一なる子の正当な場を離れたあなたには何の意義もなく、一なる子にとっての正当な場所とは神だからです。
これがあなたの生命であり、あなたの永久不滅の姿であり、あなたの真の自己そのものです。
聖霊があなたに思い出させるのは、このことです。
聖霊が見ているのもこのことです。
この心眼はあまりにも穏やかなので、 自我には恐怖となります。
心の平安は 自我にとって一番の大敵です。
自我による実在についての解釈によれば、戦いこそが 自我が生き残る為の保証だからです。
自我は争いの中でこそ強くなります。
もし、あなたが争いというものがあると信じるなら、凶暴に反応することでしょう。
それは、危険という考えがあなたの心に浮かんだからです。
このような考えそのものが、 自我への訴えに他なりません。
危険からの呼びかけを用心深く警戒しているという点においては、 聖霊も 自我と同様ですが、 自我がそれを歓迎するのに対して、 聖霊は自らの強さをもってそれに抵抗します。
聖霊は心の平安を歓迎することによって、 自我によるそのような歓迎に対抗します。
永遠と平安は、時間と戦いの場合と同じように、相互に深い関連があります。
ACIM-Text- chapter5-3-9
知覚は、関わりから意義を引き出します。
あなたが受け入れるさまざまな関わりが、あなたの信念の基盤となります。
分離とは、分裂した心の別名に過ぎません。
あなたは自分が他者の中に知覚するものを、自分自身の中で強めています。
あなたは、自分の心に間違って知覚させているかもしれませんが、 聖霊はあなたの心による間違った知覚を、あなたの心に再解釈させます。
ACIM-Text- chapter5-3-10
聖霊は完璧な教師です。
聖霊は、あなたの心が既に理解していることだけを使って、あなたがそれを理解していないということを、あなたに教えます。
聖霊は、気の進まない学習者に対し、その心に逆らわないで対応することが出来ます。
なぜなら、その心の一部は今も神の側についているからです。
この部分を隠そうとする 自我の試みにも関わらず、それは依然として 自我よりもずっと強いものです。
それでも、 自我自身はその強さを認識してはいません。
聖霊はその強さを完全に認識していますが、その理由は、それが 聖霊自らの住み処であり、心の中で、 聖霊がくつろげる場所だからです。
あなたもそこでくつろいでいます。
なぜなら、そこが平安の場所であり、平安は神からのものだからです。
神の一部であるあなたは、神の平安の内でしかくつろぐことが出来ません。
そして平安が永遠なるものだとすれば、あなたは永遠の中においてのみくつろぐということになります。
ACIM-Text- chapter5-3-11
自我はこの世界を自ら知覚する通りに作り上げましたが、 自我の作り出したものの再解釈者である 聖霊は、あなたを故郷へ連れ帰る為の教えの手立てとしてこの世界を見ています。
聖霊は時間を知覚した上で、それを、時間を超越したものへと解釈し直す必要があります。
対立を抱えている心を相手にして、その心の為に働かなければならないので、 聖霊は対立するものごとの間を縫って働かなければなりません。
訂正して、学びなさい。
そして、学べるように心を開いていなさい。
あなたが真理を作り出したのではありませんが、それでも真理はあなたを自由にすることが出来ます。
聖霊の理解は、私を思い出して神を振り返ります。
聖霊は、常に神との霊的交わりの内にあり、あなたの一部でもあります。
なぜなら、 聖霊は過去と未来の物事の記憶を留めており、それらを現在へと運んでくるからです。
聖霊は、この歓喜をあなたの心の中に優しく保っています。
そしてあなたに求めることはただ、あなたが自分の中の喜びを増大させる為にその歓喜を分かち合い、それにより 聖霊の名においてそれを増大させることだけです。
奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第5章 「癒しと全一性」目次