Contents
奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第5章 「癒しと全一性」より5-6本文
第5章 5-6 時間と永遠
ACIM-Text- chapter5-6-1
神は自らの叡智においては待ってはいませんが、あなたが待っている間は、神の国から失われているものがあります。
あなたが全ての神の子たちの帰りを待っているのと同様に、神の子たちもあなたの帰りを待っています。
遅れることは永遠においては重大ではありませんが、時間の中では悲劇的になります。
あなたは永遠よりも時間の中にいることを選択したので、自分は確かに時間の中にいると信じています。
けれども、あなたの選択は自由であり、変更することも可能です。
あなたは時間に属しません。
あなたの居るべき場所は永遠の内にのみあり、神自らがあなたを永久にそこに置かれたのです。
ACIM-Text- chapter5-6-2
罪悪感という感情こそが、時間を維持させるものです。
それは、仕返しされたり見捨てられたりするのではないだろうかという恐れを引き起こし、それによって、未来を確実に過去と同じものにします。
これが 自我の継続性です。
これが、あなたは 自我から逃れられないと信じさせて、偽りの安全の感覚を 自我に与えます。
しかし、あなたは逃れることが出来るし、逃れなければなりません。
神は、それと引き換えに、永遠という継続性をあなたに差し伸べてくれます。
あなたがこの交換を選ぶ時、それと同時に罪悪感を喜びに、悪意を愛に、苦痛を平安に取り替えます。
私の役割は、あなたの意志から鎖を解き放ち、自由にすることだけです。
あなたの 自我は、この自由を受け入れることが出来ず、どんな機会も見逃さず、可能な限りの方法でそれに反抗するでしょう。
そして、 自我の作り主であるあなたは、 自我に何が出来るかを認識しています。
あなたが 自我にその力を与えたからです。
ACIM-Text- chapter5-6-3
神の国をいつも覚えておきなさい。
そして、神の国の一部であるあなたは失われることがあり得ないと覚えておきなさい。
私の中にあった心は、確かにあなたの中にもあります。
神は完全に公平に創造するからです。
聖霊から、常に神の公平さを気づかせてもらいなさい。
そして、そうした公平さをどのように兄弟たちと分かち合ったらいいかを、私が教えましょう。
それ以外にどのようにして、その公平さを自分のものとして要求する機会があなたに与えられるでしょうか。
二つの声が同時に、同じものについて異なった解釈を語っています。
あるいは、ほとんど同時と言うべきでしょう。
自我は常に先に語るからです。
そのような最初の解釈がなされるまでは、それに代わる解釈など必要ではありませんでした。
ACIM-Text- chapter5-6-4
これは、この世界で上級裁判所が下級裁判所の判決を覆す力を持っているのとよく似ています。
自我の決断には常に誤りがあります。
なぜなら、そうした決断は誤りに基づいているからであり、初めからその 自我の誤りを支持する為に下された決断だからです。
自我が知覚するもので正しく解釈されているものは何一つありません。
自我は自分の目的の為に聖書を引用するだけでなく、 自我を証明するものとして聖書を解釈することさえします。
聖書は、 自我の判断によれば恐ろしいものです。
自我は恐怖を抱かせるものだとそれを知覚するので、恐れながら解釈します。
恐れを抱いているあなたは、上級裁判所に上訴しようとしません。
なぜなら、上級裁判所でも自分に不利な判決が下されると信じているからです。
ACIM-Text- chapter5-6-5
自我の解釈がいかに人を惑わせる導きをするかという実例は数多くありますが、 聖霊がどのようにして自らの光の内でそれらを解釈し直せるかを示すには、ほんの僅かな例で十分でしょう。
ACIM-Text- chapter5-6-6
「自分で蒔いた種は自分で刈り取らなくてはならない」
聖霊がこれを解釈すると、培う価値があると自ら考えるものを、あなたは自分の内に培うという意味になります。
何が価値あるものかについてのあなたの判断が、それをあなたにとって価値あるものとします。
ACIM-Text- chapter5-6-7
「主は言われる。仇は私がとる」とあるのは、想念は分かち合うことによってのみ増大するということをあなたが思い出すなら、簡単に解釈し直すことができます。
これが強調することは、仇をとるという想念を分かち合うことは出来ないということです。
それならば、そのような想念は 聖霊に渡しなさい。
それは神の一部であるあなたの心には属さないので、 聖霊があなたの中で取り消してくれるでしょう。
ACIM-Text- chapter5-6-8
「父の罪を三代、四代の子孫にまで及ぼして罰する」は、 自我による解釈によれば特に悪意あるものです。
それは、 自我そのものの存続を保証しようとする試みに過ぎません。
聖霊にとってこれが意味するのは、前の世代が誤解したものごとについて、後の世代においても 聖霊が解釈し直すことができ、こうすることで恐れを生み出す能力から解放出来る、ということになります。
ACIM-Text- chapter5-6-9
「悪しき者は滅びる」は、もし「滅びる」という言葉が「取り消される」と理解されるなら、贖罪について述べた言葉となります。
愛のない想念はどれも皆取り消されなければなりませんが、 自我はこの「取り消される」という言葉を理解することさえ出来ません。
自我にとっては、「取り消される」とは「滅ぼされる」ことを意味します。
自我は、あなたの想念の一部なのだから滅ぼされることはありません。
しかし、それは創造的ではない為、分かち合うことをしないので、あなたを恐れから解放する為に、解釈し直されることになります。
あなたが 自我に与えてきた心の部分は、ただ、あなたの全一な心が属するべき神の国へ戻っていくのみです。
あなたは神の国の完成を遅らせることは出来ますが、そこに恐れの概念を持ち込むことは出来ません。
ACIM-Text- chapter5-6-10
あなたは、神の上級裁判所が自分に有罪判決を言い渡すだろうと、それを恐れる必要はありません。
それはただ、あなたに対する訴訟を却下するだけです。
神の子供に対する訴訟など有り得ません。
そして、神の被造物に罪があると立証しようとする証言はどれも、神自身に対して偽りの証言をしていることになります。
あなたの信じることの全てを、神ご自身の上級裁判所に喜んで上訴しなさい。
なぜなら、それは神を代弁し、真実を語るからです。
あなたが、どれほど入念に準備をしたとしても、あなたに対する訴訟は上級裁判所が却下するでしょう。
その訴えは万全であるかもしれませんが、神を誤魔化せるようなものではありません。
聖霊はそのような訴えを聞き入れないでしょう。
なぜなら、 聖霊は真に証しすることしかできないからです。
聖霊の判決はいつでも「神の王国はあなたのものであるからである」です。
ACIM-Text- chapter5-6-11
「私はこの世界に光として来た」と述べた時、私はその光をあなたと分かち合う為に来たということを意味していました。
自我の不明瞭な鏡について私が述べたことを思い出しなさい。
そして、「それを見ないように」と言ったことも忘れてはなりません。
自分自身を見い出す為にどこに目を向けるかはあなた次第であるということは、依然として真実です。
兄弟に対してあなたが寛容であるということは、あなた自身に対しても寛容であるということです。
神の子供は、寛容さを持って接するに相応しくはないでしょうか。
私はあなたに限りない寛容さを示しました。
なぜなら、私の意志は、私に限りなく寛容さを教えた私たちの父の意志と同じだからです。
父の声は、あなたの内にあるように私の内にあり、創造主の御名において一なる子に対し、寛容であるようにと語っていました。
ACIM-Text- chapter5-6-12
今度はあなたが、限りなく寛容であることだけが即座に結果を生み出すということを学ばなければなりません。
これが、時間が永遠へと交換される方法です。
限りない寛容さは、限りない愛に呼びかけ、今、結果を生み出すことによって、時間を必要の無いものにします。
時間とは、もはや役に立たなくなった時には退かせる学習教材だということを私たちは繰返し述べてきました。
時間の中で神を代弁する 聖霊も、時間は無意味だと知っています。
聖霊は、過ぎ行く時間の一瞬一瞬において、あなたにこのことを思い出させます。
なぜなら、あなたを永遠へと引き戻し、あなたが創造するものを祝福する為にそこに留まることが、 聖霊の特別な機能だからです。
聖霊はあなたが真に与えることの出来る唯一の祝福です。
なぜなら、 聖霊は真に祝福されているからです。
聖霊は神により惜しみなくあなたに与えられているのだから、あなたは自分が 聖霊を受け取った通りに、 聖霊を与えなければなりません。
奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第5章 「癒しと全一性」目次