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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第7章 「神の国の贈り物」7-8本文
第7章 7-8 信じ難き信念
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投影することがなければ、怒りは有り得ないと既に述べましたが、拡張がなければ愛も有り得ないということも、また真実です。
こうしたことは、心の根本的な法則、すなわち常に作用している法則を反映します。
この法則によって、あなたは創造し、創造されました。
それが、神の国を統一し、それを神の心の中に保つ法則です。
自我にとっては、この法則は、自分の望まないない何かを取り除くための手段だと知覚されています。
聖霊にとっては、それは分かち合うという根本的な法則であり、その法則に従って、あなたは自分が価値のあると認めるものを、自分の心に保つために、与えます。
聖霊にとっては、これは拡張の法則です。
自我にとっては、喪失感の法則とも言えます。
したがって、自分がその法則をどのように適用することを選択するかで、それは豊かさを生み出しもすれば、欠乏状態を生み出すことにもなります。
この選択はあなた次第ですが、その法則を活用するかどうか、それを決めるのはあなたが決めることではありません。
どの心も、必ず投影か拡張かのどちらかを行います。
なぜなら、そのようにして心は生きるのであり、どの心も生命だからです。
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投影と怒りの間の必然的な関連性をついに取り消すことができるようになる前に、まず、自我による投影の仕方について十分に理解しなくてはなりません。
自我は、常に心の葛藤を保存しようとします。
自我は、葛藤が小さくなっているように見せる方法を考案するのが、極めて巧妙です。
というのも、自我は、あなたが葛藤があまりにも耐えきれないと感じて、それをどうしても手放したい思うようになることを望まないからです。
それ故に、あなたが自我を手放して自由になってしまわないように、自我は自我自身があなたを葛藤から自由に出来るとあなたを説得しょうとします。
神の法則の歪曲した異説を使って、自我は心の本当の本当の目的を覆すためだけに、心の力を利用しようとします。
自我は、あなたの心から他の心へと葛藤を投影し、その問題を取り除くことが出来たと、あなたを信じ込ませようと試みます。
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この試みには二つの大きな誤りが伴っています。
第一に、厳密に言えば、葛藤は分かち合えないものなので、それを投影してしまえるものではありません。
葛藤の一部分を保っておいて、他の一部分を取り除こうとする試みはいずれも、実際には何の意味もありません
葛藤している教師は、教えるのが下手な教師であり、学ぶのが下手な教師でもあるということを思い出しなさい。
そのような教師のレッスンは混乱しており、そうしたレッスンの転移価値は、その人自身の混乱によって限られたものとなっています。
第二の誤りは、自分が望まないものは、与えてしまうことによって、それを取り除けるという考え方です。
与えるということは、逆にその何かを保つための方法です。
それを自分の外に見ることで、それを内側からは除外したと信じるのは、拡張の力の完全な歪曲です。
それ故に、投影する者たちは、自分自身の身の安全を守るために警戒しています。
その人たちは、自分が投影したことが戻ってきて、自分を傷つけることを恐れています。
自分が投影したものを自分自身の心からは抹消したと信じながらも、同時に、それらが知らない間に舞い戻ってこようとしているとも信じています。
投影されたものは、その人たちの心を離れていないので、その人たちはこれを気づかないようにするために、絶えず忙しく何か携わっています。
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あなたは他者についての幻想を持続させながら、自分自身についての幻想を持続させずにいることは出来ません。
心を断片化することは不可能なので、このことから逃れる道はありません。
断片化するということは、ばらばらにするということですが、心は攻撃することも、攻撃されることも有り得ません。
それが有り得るという信念は、自我が常に犯す誤りであり、自我が投影を使用する時に常にその基礎となる信念です。
自我は、心が何であるかを理解していません。
したがって、あなたが何であるか、それも理解していません。
しかし、自我とはあなたの信念なので、自我の生存はあなたの心に依存しています。
自我とは、自己認識における混乱です。
一貫性のある模範を一度も持ったことがない自我は、一貫性を伴う形で成長をしませんでした。
それは、自らの力を誤用している歪んだ心によって、神の法則を誤って適用されたことで生まれたものです。
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自我を恐れてはなりません。
それはあなたの心に依存しています。
そして、あなたは自分でそれを信じることでそれを作り出したので、自分がそれを信じるのをやめることによって、それは払いのけることができます。
あなたが自我を信じていることについての責任を、他の誰かに投影してはなりません。
さもなければ、あなたは自我への信念を心に留めることになります。
自我の存在についての唯一の責任を進んで受け入れようとする時、あなたはあらゆる怒りとあらゆる攻撃を脇に置いたことになります。
なぜなら、怒りも攻撃もあなた自身の誤りの責任を投影しようとする試みから生じるからです。
しかし、その誤りを自分のものとして受け入れた後は、それを持ち続けてはなりません。
それはすぐに聖霊に引き渡し、完全に取り消してもらいなさい。
そうすれば、それらの及ぼした全ての結果が、あなたの心からも、全一なるものとしての一なる子からも消え去るでしょう。
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聖霊は、あなたに自分の信念を越えて知覚することを教えます。
なぜなら、真理は信念を超越したものであり、聖霊の知覚は真実だからです。
自我を完全に忘れてしまうことはいつでも可能です。
なぜなら、それは全く信しがたい信念であり、自分で信じられないと判断した信念を持ち続けようとする人は誰もいないからです。
自我のことを学べば学ぶほど、それは信じられないものだいうことは、あなたに分かってきます。
信じ難いものは信じられないので、理解できるはずがありません。
信じられないものに基づく知覚が無意味なことは明白ですが、それは信念そのものによって作り出されているので、信じるに足りないものだとは認識されない場合があります。
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このコースの全目的は、自我は信じられないものであり、永久に信られないものだとあなたに教えることにあります。
信じられないものを信じることにより自我を作り出したあなたは、一人ではこの判断を下すことが出来ません。
あなた自身に贖罪を受け入れることによって、あなたは自分が単独に存在できるという信念を信じないと決断します。
それにより、分離という考えを追い払い、文字通り自分の一部である神の国全体と自分を一体とするあなたの真の自己認識を肯定します。
この自己認識は、信念を超越したものであると同時に、疑念を超越したものでもあります。
実在は無限であり、あなたの全一性は限界がありません。
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