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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第7章 「神の国の贈り物」7-3本文
第7章 7-3 神の国の実相
ACIM-Text- chapter7-3-1
聖霊は一なるレッスンを教えており、それをあらゆる状況においてあらゆる個人に適用します。
葛藤から自由である為、 聖霊は全ての努力と全ての成果を最大限にします。
神の国の力というものを教えることによって、 聖霊は全ての力があなたのものだと教えます。
それがどのように適用されるのかは問題ではありません。
その力は常に最大限のものです。
あなたが警戒することによって、その力があなたのものになる訳ではありませんが、そうすることにより、あなたがその力をいつでもあらゆる方法で、使えるようになります。
「私は常にあなたたちと共に在る」と言った時、私は文字通りのことを意味していました。
私は、どんな状況にある誰に対しても不在でではありません。
私がいつもあなたと共に在るので、あなたが道であり、真理であり、生命です。
私がこの力を作り出さなかったのと同様に、あなたはこうした力を作り出しませんでした。
それは、分かち合われる為に創造されたので、誰かを犠牲にした上で別の誰かに属するものとして知覚されるなら、その意味は失われます。
そのような知覚は、その力の持つ唯一の真の意味を排除したり見落とすことによって、その力を意味の無いものとします。
ACIM-Text- chapter7-3-2
神の意味は神の国の中で待っています。
なぜなら、そこが神がそれを置いた場所だからです。
それは時間の中で待っているのではありません。
それは、あなたと同様に神の国に属するので、その中でただ休息しています。
神の意味そのものであるあなたが、どうして自分自身がそこから離れていると知覚できるのでしょうか。
あなたは自分自身を実在しないものとして経験することによってのみ、自分の意味から分離したものとして自分自身を見ることが出来ます。
これが、 自我が狂っている理由です。
つまり、 自我はあなたがあなた自身ではないと教えているのです。
それは、あまりにも矛盾しており、明らかに不可能ことです。
従って、それはあなたが実際には学ぶことは出来ないが故に、実際に教えることも出来ないレッスンです。
けれども、あなたはいつでも教えています。
従って、たとえ 自我にはそれが何なのか分からなくとも、あなたは別の何かを教えているに違いありません。
とういことであれば、 自我は常に取り消されているということであり、それ故に、 自我はあなたの動機を怪しんでいます。
自我に忠誠を尽くすことであなたの心が統一されることは有り得ません。
なぜなら、あなたの心は 自我に属してはいないからです。
けれども、 自我にとっての「裏切り者」は、平安に忠実です。
従って、 自我の「敵」はあなたの友です。
ACIM-Text- chapter7-3-3
私が前に述べたことですが、 自我は自らが戦っていると知覚しており、その為に味方が必要な立場にいるので、 自我の友はあなたの一部ではありません。
戦っていないあなたは兄弟を探すべきであって、あなたが目にするあらゆる人たちを兄弟と認識しなくてはなりません。
なぜなら、対等な者たちだけに平安があるからです。
対等な神の子たちはあらゆるものを持っているので、競うことは出来ません。
しかし、もしその人たちが自分の兄弟の誰かを、自分と完全に対等な者ではないものとして知覚するなら、競うという考えがその人たちの心に入り込んだことになります。
この考えに対して警戒する必要を過小評価してはなりません。
なぜなら、あなたの葛藤の全てはそこから起こるからです。
それが、衝突する利害というものが有り得るという信念であり、従って、あなたは有り得ない事を真実として受け入れていることになります。
それは、あなたが自分自身を実在しないものとして知覚しているというのと、どこが違うでしょうか。
ACIM-Text- chapter7-3-4
神の国の中に在るということは、単にあなたの注意を全てそこに集中させるということです。
真実でないものに注意を向けることが出来ると信じている限り、あなたは葛藤を自分の選択肢として受け入れていることになります。
それは本当に選択肢でしょうか。
そうであるように見えますが、見かけと実相は同じではありません。
神の国そのものであるあなたは、見かけは気にかけることはありません。
あなたは実相そのものなので、実相はあなたのものです。
このようにして、「所有すること」と「在ること」が究極的に和解しますが、それはあなたの心の中で起こることであり、神の国の中で起こることではありません。
あなたの心の中にある祭壇が唯一の実相です。
祭壇は想念において完全に明確です。
なぜなら、それは完全な想念の反映だからです。
あなたの正しい心はただ兄弟たちだけを見ます。
というのも、それはそれ自体の光の中でのみ見るからです。
ACIM-Text- chapter7-3-5
神はあなたの心にご自身で明かりを灯しました。
そして、神ご自身の光によってあなたの心に光を灯し続けています。
なぜなら、神の光はあなたの心そのものだからです。
これには全く疑いの余地はなく、あなたがそれに疑問を持てば、あなたには答が与えられます。
その答えは、実相に疑問を持つことは無意味に疑問を持つことだという事実を確立することによって、そのような疑問をただ取り消します。
それ故に、 聖霊は決して問うことはしません。
聖霊の唯一つの機能は、疑わしいものを取り消し、そうすることで確実性へと導くことです。
確信のある者は完全に穏やかです。
なぜなら、その人たちには疑いがないからです。
疑わしいものは何一つその人たちの心に入り込まないので、その人たちは疑問を持つことはありません。
こうしたことが、その人たちを完璧な安らぎの中に留めます。
こうしたことが、自分とは何であるかを知っているその人たちが分かち合うものだからです。
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