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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第7章 「神の国の贈り物」7-7本文
第7章 7-7 神の国の全一性
ACIM-Text- chapter7-7-1
あなたはある兄弟を祝福するのを拒む度に、喪失感を覚えます。
拒否するということは愛するのと同様、全面的にすることだからです。
神の子としての身分にある者たちを部分的に拒むことは不可能なことなので、同じく部分的に愛すること不可能なのです。
時おり完全に愛するということも、出来ることではありません。
時には、全面的に本気でかかわり合ったりする、ということはできません。
拒否すること自体には何の力もありませんが、自分の心の力をそれに与えることができるし、その力は限りないものです。
もしも、あなたが実在を否定するためにその力を使えば、あなたにとって実在はなくなったも同然です。
実在の真価を部分的に認めることはできません。
それ故に、実在を少しでも否定すれば、それについての自覚を全て失ったことを意味します。
けれども、拒否するということはいわば防衛策なので、それは肯定的に使われることもあれば、否定的に使われることもあります。
否定的に使われると破壊的になります。
なぜなら、攻撃に使われるようになるからです。
しかし、 聖霊の手助けをしようとするときには、それはあなたが実在の一部を見分ける助けになり、かくして、その真価を全て認める助けにもなります。
心はあまりにも強いので、締め出されるままそれに従うことはありません。
あなたは自分の思いから自分自身を締め出すこと決してできないでしょう。
ACIM-Text- chapter7-7-2
ある兄弟が狂気の行動を取るときには、その人はあなたにその人を祝福する機会を差し出してくれています。
その兄弟が必要なものは、あなたに必要なものでもあります。
あなたは自分がその兄弟に差し出せる祝福を必要としています。
自分がその祝福を得る方法は、祝福を与えることをおいて他にはありません。
これこそ神の法則であり、それに例外は無いのです。
あなたが何かを否定すると、あなた自身それを欠くことになります。
その何かが不足しているからではなく、誰か他の人の中にあるのを否定してしまったので、自分自身の中にあるのに認識していないということです。
あなたがどう応ずるかはことごとく、自分を何であると思うかによって決定され、自分がなりたいと思うもの、まさにそれが自分だと思い込みます。
では、自分がなりたいと思うこと、それがその都度あなたがどう応じるかを決定するに違いありません。
ACIM-Text- chapter7-7-3
神の祝福は永久に自分のものなので、あなたには神の祝福は必要ありません。
しかし、あなた自身のを必要とすることは確かです。
自我はあなたの姿を、恵まれず愛情に欠けていて、傷つきやすい姿に描写します。
このような姿を愛せるはずがありません。
けれども、あなたはこのような心の像を置き去りにしさえすれば、それから極めて簡単に脱出出来ます。
あなたはそこにはおらず、そのような姿はあなたではありません。
このような風に描写した姿を誰にも見ないでおくことです。
さもないと、それを自分の姿として受け入れたことになります。
神の子としての身分についての幻想は全て、それが一緒に作り出されたように、一緒に追い払われます。
ある人の姿は自分がなりたくない姿だ、などと誰にも教えないでいなさい。
自分の兄弟は鏡であり、その中に、知覚するということが続く限りは、自分自身の想像した姿を見ることになります。
そして、知覚することは、神の子としての身分にある者たちが自らを完全であると分かるまで続くでしょう。
あなたが知覚し始めたので、自分でそうしたいと思う限り続けるに違いありません。
ACIM-Text- chapter7-7-4
幻想とは、いわば投資、見返りをあてに期待をかけるようなものです。
それに価値があると見る限り続くでしょう。
価値観は相対的なものですが、それは精神的判断であるから強力です。
幻想を追い払う唯一の方法は、それにつぎ込んだ投資を全て引っ込めることです。
そうすれば、自分の心からそのような幻想を追い出すことになるので、あなたにとって生命力のないものとなってしまいます。
そのようなものを心に抱いている間は、ずっとそれに活気を与えていることになります。
ただし、そこにはあなたが与えるものを受け取るものは何もありません。
ACIM-Text- chapter7-7-5
生命の贈り物はあなたに与えられているので、生命の贈り物はあなたが好きなように与えられます。
あなたはそれを与えないから、自分の贈られた物を認識していません。
実在しないものが生気を取り戻せるはずがないので、あなたは実在しないものを生かすことできません。
したがって、あなたは自分が確かに持っており、自分が正にそれそのものである贈り物を拡張していません。
それゆえに、真の自己を分かってはいません。
混乱状態はあなたの創造主の意志ではないので、混乱状態は全て生命を拡張していないことから来ます。
あなたは創造主から離れて何一つ出来ることは無く、創造主から離れては何もしないのも確かです。
自分自身を覚えておくために創造主のやり方を守ること、そして自分自身を忘れないように、創造主のやり方を教えなさい。
生きている神の神の子たちにはただ尊敬の念を表し、喜んで自分自身もその神の子たちの一人だと見なすことです。
ACIM-Text- chapter7-7-6
神自ら尊敬に値するものとして創造した上、自ら重んじている者たちに相応しい贈り物とは、ただ尊敬することです。
その者たちこそ神が喜びとする愛し子たちなので、その者たちにいつも神が授けられる感謝の念を伝えることです。
あなたは神から離れてはいないので、その神の子たちからも離れているはずはありません。
神の愛の内に安らぎ、その安らぎを愛することで護りなさい。
ただ、神が創造したあらゆるもの、あなたもその一部なのですが、それを愛することです。
さもないと、神の平安を学び、あなた自身への神の贈り物を、あるがままの自分として受け入れることはできません。
自分自身の完全さはあなたが自分と同じように創造された者たちを全ての人尊重するようになるまで分りません。
ACIM-Text- chapter7-7-7
神の一人子こそ、もう一人の子を教えるのに十分相応しい唯一の教師です。
この教師が全ての人の心の内に在り、同じレッスンを全ての人に教えます。
いつも神の子一人ひとりの真価は計り知れないほどのものだと教え、それを無限の愛のために話しているので、その愛から生まれる無量の寛容さをもって教えようとします。
教師の寛容さで攻撃を祝福に変えることが出来るので、攻撃はことごとくその教師の寛容さを求める呼びかけとも言えます。
攻撃する者たちは自分が恵まれていないと信じるので攻撃するのであり、攻撃する者たちは自分が祝福されたとは分かっていません。
だからこそ、あなたの豊かさを与え、兄弟たちにその人自身の豊かさを教えることです。
その人たちが欠乏していると錯覚しているのに同意しないことです。
さもないと、あなたは自分自身が不足していると見て取ることでしょう。
ACIM-Text- chapter7-7-8
攻撃は決して攻撃を助長することは出来ません。
出来るとすればただ、攻撃された時に、それを自分の欲しいものを奪い取ろうとする手段だと、あなたが見て取ったときに限られます。
けれども、あなたは何一つ失うことは有り得ません。
失うとすれば、自分がそれを重要視しておらず、したがって、欲しいとは思っていないということだとしか考えられません。
こうしたことが、自分はその何かを奪われていると感じさせ、自分自身が拒絶したものを投影しておいて、その後、他の者がそれを自分から取りあげようとしていると信じるからです。
もしも、あなたが、自分の兄弟が神の国を自分から無理やり引き離そうとして、攻撃していると信じたりすれば、恐怖に怯えるに違いありません。
これこそ、 自我が投影すること全てに当てはまる究極的な根拠です。
ACIM-Text- chapter7-7-9
あなたの心の一部とはいえ、自らに責任があるとは信じておらず、神に対する忠誠心など持っていないので、 自我は信頼するということができません。
自我はあなたが自分の創造主に背き続けてきたという気違いじみた信念を投影し、あなた同様これをしでかせるはずもないあなたの兄弟たちが、あなたから神を取り上げようとしていると信じています。
ある兄弟がもう一人の兄弟を攻撃するときにはいつでも、それを信じているからです。
投影するときはいつも、自分の望むことを他の人の内に見ています。
もしも、あなたが自分自身、神から分離することを選べば、それを他の者たちがあなたにしていると思うようになります。
ACIM-Text- chapter7-7-10
あなたこそ神の意志そのものです。
他の事は何も自分の意志として受け入れてはなりません。
さもないと、あるがままの自分を否定していることになります。
自分が攻撃されているものと信じるので、これを否定するとあなたは攻撃を始めます。
しかし、神の愛を自分の中に見ると、それは確かにあらゆる所にあるので、それをあらゆる所に見始めます。
神の豊かさを一人ひとり全ての人の内に見ると、自分も全ての人と一緒に神の内にあると分かってくるでしょう。
あなたが神の大切な部分であるように、全ての人があなたの大切な部分です。
あなたはこのことを理解していないと寂しい思いをします。
それは神ご自身、神の子たちが神を分かっていないときには寂しい思いをするのと同様です。
神の平安とはこうしたことを理解することです。
ちょうどそのような考え方にのめり込む方法は一つしかなかったように、この世界の考え方からぬけだす道はただ一つです。
全一性を理解することで全部を理解することです。
ACIM-Text- chapter7-7-11
自我の思考体系はどの部分にせよ、全く正気とはいえず、ことごとく妄想的で、全く望ましくないと見て取れば、あなたはその体系全てを正確に評価しています。
これを直すことなので、創造されたものはどの部分も全面的に真実であり、完全無欠で、全面的に望ましいと見て取れるようになります。
ただこれだけを望むならこれだけを持つでしょうし、これだけを与えるならただこのようになるでしょう。
自我に贈り物を差し出すと、いつもそれを犠牲にしているように感じますが、神の国に差し出す贈り物は自分に対する贈り物です。
そうした贈り物は、神の愛し子たちに属するもので、その愛し子たちは神に属するので、神は必ず大事にします。
神の国は神のものなので、全ての力と栄光はあなたのものです。
奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第7章 「神の国の贈り物」目次